幸せの種
寝る前になって脳が活性化するのは困ったモノです。このまま布団に入ってもノソノソ起き出す羽目になるので書くことにします。
高校の頃、美術部に入ってました。
当時は漫画家志望でした。
ある時、クラスメートがやって来て「好きな女の子がいるんだけど似顔絵を描いてくれないか」と言うのです。写真を見本にしたのか特徴を聞いてイラスト調に描いたのか忘れてしまいましたが、しばらくして二人はつきあうことになったそうです。彼は、ボクのイラストのご利益だと言ってました。ボクにはそんな実感はなかったのですが、しばらくして話を聞いた別のクラスメートがボクの所にやって来て「好きな女のコのイラストを描いて欲しい」と…。その二人もつきあうことになったようです。
客観的に考えて偶然の範疇を越える話ではないと思います。
ただ、ボクは自分の作品の意義を考えるきっかけになりました。
誰かを幸せに出来る作品を描きたい。
デザイナーとアーティストでは少し立場が違いますが、デザイナーは特にそれが顕著ではないでしょうか。直接的に言えば、デザインした広告はクライアントが儲かってくれないと困るのです。そうでないとデザインした意味を見失いかねませんし、場合によっては仕事を失います。
もちろん、直接的な利益ではなくてもそのデザインが誰かを幸せにすることが目的の場合もあるでしょう。
絵の教室に通っている頃は、まずモデルさんに欲しいと言ってもらえる作品を描くことが目標でした。たぶん、誰かの笑顔を見るのが好きなんだと思います。だからデザインする時も作品を描く時も誰かが喜んでくれることを楽しみにしています。
noteでは、スキとコメントですよね。ダッシュボードを開くともっと詳細な数字が解ります。それが誰かのお役に立てた数字と考えてみると…まだまだ…全然足りないように思えます。結構顕著に出ますよね。誰かが喜んでくれてるのかどうか…とても参考になります。今のボクに出来ることの一つと考えているのでボクが作った素材をどんな風に使ってくださっているのかも気になります。
自覚はなくても実践している方は既にいらっしゃいますよね。それぞれの立場で誰かのために自分で出来ることを願ってnoteしている。ボクにはそう見えます。クリエイターでなくても出来ることなんです。自分に出来ることを見つけて実践してる方…すごいと思います。何かお役に立てないかなぁって思います。
つまり、自分のためだけに何かすることも出来ますが、誰かの為に自分が出来ることもあるわけです。noteの場合、自分でその取り組みの評価が解る…ある意味怖いですけど、そこがいいんだと思います。
そう考えると、noteで出来ることってきっとたくさんあるんですよね。最初はフリーマーケットか商店街のようなイメージでしたが、社会構造の縮図が出来上がる可能性を秘めているような気がしてきました。
誰かを幸せにする方法…知ってますか?
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