推測の海域
思う所様々あれど…。
今日は言葉にするのがとても難しいのです。何度か書きかけてはやめることを繰り返してしまいました。
noteがとても居心地の良い場所となって来たのは繋がった方々がとても気持ちの良い方々だったからであり、noteと言うまっさらなフィールドがシンプルであるが故に様々なユーザーに活躍の場を提供しているからだと思います。
でも、思いはそれぞれですから規約に違反していなければ、クリエイターである必要もなければ、作品発表の場と考える必要もないわけです…。
ただ、noteが創作活動の場でなくなったとすれば…そう考えて少しゾッとしました。
何故「シェア」がないのか…。
外部サイトへの誘導や埋め込みによる情報共有…それはnoteに必要な機能でしょうか。どこのSNSでも見られるようにただ情報が流れるだけであればnoteの意義は何でしょう?
また、多くの人をフォローすればフォローしてもらえる数も増えます。これまでのSNSの定石でしょう。けれど、より多くの情報を受け取ることになり本来楽しみにしている作品を見逃してしまったり必要な情報が得られなくなります。もしかしてより多くの人をフォローすると言う数の原理は、落とし穴ではないのでしょうか。既にそのことに気がついてフォローを外した方もあるようです。
本当にスキな作品を大切に鑑賞する。そこに意図があるのではないかと…感じたのです。そのためにより多くのフォローの必要はなく、むしろ厳選すべきです。
何故検索機能がなかったのか…。
それは検索されないと言う利点もあった筈です。少なからずお互いをよく知らないままに相互フォローすれば、お互いがどんな目的でnoteに参加しているか解りません。簡単に検索されないからこそ守られている部分もあったのではないでしょうか。
これらは飽くまでも推測のお話です。note誕生までには、様々な議論が重ねられたことでしょう。不便さの陰にはそんな意図が隠れているのではないかと。それは即ち利用者が創作活動に専念出来るよう設計されているからではないかと感じたのでした。
これからも創作活動が心置きなく継続出来る場であって欲しいと願うばかりです。
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