才能多様性
見慣れたものの見え方が変わるとき。
気分転換や運動不足解消に近所を自転車で走ります。ガソリン代も高いですしね。それで書店やスーパー、産直の店やホームセンターをハシゴするわけです。買い物の用があれば、どのルートだと同じ道を使わずに走れるか、ざっくりしたイメージを作って回遊します。
今日もそんな感じで自転車を走らせました。
ところが、毎日noteを見ている為か、書店に立ち寄っても何一つ頭に入って来ないのです。ボクが書店に立ち寄る時は、何らかのヒントやアドバイスの類を探すわけですが、ボクの欲しいものはここにないと言うことに気づかされてしまったのです。
書店にヒントもアドバイスもないとすれば、ボクは何を求めているんだろう。
それから馴染みのホームセンターへ行って、いつものように店内をぶらついて思いました。
既製品のなんと味気ないことか。
安く買える市販品に感動や共感を求めるでしょうか。もちろん、どうせなら気に入った色や形のものを欲しいと思うでしょう。でも、まず安いものという条件が優先されれば、色や形はその次となり、メーカーもそこにこだわらなくなるでしょう。
何がいいたいかと言うと、普段、市販品として目にしたり手にしたりしている既製品に欠けている形のない何かをnoteのクリエイターさんや作家さんの作品として目にしているため、店頭に並ぶ既製品がひどく味気なく素っ気なく見えてしまうのではないかと思ったのです。無論、その製品を生産する為の方々のご苦労を否定するつもりは毛頭ありません。ただ、既製品は個人の技術や感情が影響しないよう規格化されて生産される為、美術品でも芸術品でもないのだと言う当然のことなのです。
その形のないものは、本来なら価格などつけられよう筈もない大きな価値があるだと思うのです。それをnoteでは多くの方が最も安い価格設定で提供しています。
世の中には規格化されることのない多くの才能がまだまだあると言うことは嬉しい驚きです。
…才能は多様であればこそ…ですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?