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トイレに飾ってあるキースへリングのその後の話

「ニューヨークでキースへリングの絵を見たとき、あ、これトイレに飾ってあった絵だ!ってすぐわかった」

小学生の時よくうちに遊びに来ていた男の子が立派な青年になり、海外で社会人として暮らしていましたが、久しぶりにうちに遊びに来てこんな嬉しいことを言ってくれました。
中学生になってからはほとんどうちに来ることはなかったのですが、覚えていたんだ。

あー、私がやりたかったことはこういうことだ。

小さい子どもを美術館に連れていく活動をしていると、時々子どもにアートを見せることに意味はないのでは?というようなことを言われることがあります。
「子どもにこの絵の意味が解るのか?」
「美術館は大人が静かにアートを楽しむ場所であって、子どもが遊びにくる場所ではない。」
「日本画を子どもに見せて何になるんだ。」
まあ、私はある意味オトナなので、こういうことを言われても喧嘩をしたりしません。
飛び切りの笑顔を見せて
「申し訳ありません、喧しかったですか?」
と、少なくとも美術館に苦情がいくことのないような対応をしてしまいます。
決して
「じゃぁ、お前にこの絵の何がわかるんじゃい!」
などということはありません。

もし、彼がうちのトイレに飾ってある絵を見ていなかったら、どこかでキースへリングの絵と出会っても、その絵の前を素通りしていたかもしれません。
キースへリングの絵を見て、もしかしたら今を生きる彼が、場所や時代を超え、言葉を介せず直接何かを理解するかもしれない。
そうだったら私にとっても、キースへリングにとってもこんなに嬉しいことはない。

小さいころバスケットボールの選手になりたかった彼は今「建築家」というものを自分の進路の選択肢として考え始めています。
彼がバスケットの選手になろうが、建築家になろうが、優しいお父さんになろうが、何になろうが、幸せであってほしい。
そしてすべての子どもが豊かな人生を歩んでほしいと思います。

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