見出し画像

早来迎はさっさと帰って行った。

4/16から、東京国立博物館で開催されている「法然と極楽浄土」展である。
ここで1番の注目作品といえば、大規模修繕で5年ほど見ることができなかった早来迎こと「阿弥陀二十五菩薩来迎図」である。

来迎図といっても縁のない方は多いかもしれない。しかし、主にハイシニア世代の方々の熱烈な人気で、会場は活気に満ちていた。しかも浄土宗といえば、庶民に信仰された大乗仏教の一大宗派。そして法然の人生も丁寧に描かれていた。

来迎図とは、「人が亡くなる時に、浄土から阿弥陀如来が菩薩の楽団を引き連れてお迎えに来てくれる」様子を描いたものだ。さまざまなパターンが描かれているが、今回のメインとなるこの早来迎は、優雅なお迎えどころか、雲の勢いが凄まじく(超スピード)で迎えに来ているという、ちょっと変わった絵なのだ。まさに「国宝」。京都・知恩院でも滅多に見れない。国宝は年間で展示する期間が制限されているそうだ。

ぼくがこの作品に強く想いを寄せたのは、2018年秋、岩手県平泉の世界遺産「毛越寺」にて仏画を展示する機会に恵まれたことがきっかけだった。
6mの屏風画をまえにして、何を描こうかと試行錯誤した時に、この早来迎の絵が飛び込んできた。ぼくは衝撃を受け、僕なりの来迎図を表現しようと考えた。
そもそも2013年、母の他界をきっかけに生まれた「天国のクジラ」という絵は、あの世の天国からクジラがお迎えにきて、故人や動物たちを乗せて世界中を旅する」というテーマだ。つまり来迎図と同じなのである。
奇しくも、仏画展示を予定している2018年秋は、妻が第一子をみごもって、すでに臨月を迎えようとしていた。亡き母はいつも孫を見たいと言っていた。そんな母のために。そして、これから生まれてくる息子のために、僕は初めて来迎図を完成させた。
息子の名前には、浄土の色とされている瑠璃色から、「瑠」の一字いただいた。展覧会は毛越寺で10月から2週間展示され、その次の週に元気な男の子が生まれた。

さて、そのような思い入れのある今回の早来迎である。4/16から機会を狙っていたが、締め切りやゴールデンウイークの集中制作や、日々の育児や仕事の合間に、遠い上野まで行くチャンスをつくるのはなかなか至難だった。しかし、本日5/21に睡眠不足を押して、ついに上野までやってきた。快晴だった。

そして、会場にてゆっくりと展示物を見て回る。法然は、「南無阿弥陀と唱えると浄土に行ける」と説いて、一般の庶民から絶大に支持された。文言を唱えれば極楽にいける。その簡単なプロセスが、どれだけ多くの人たちに安寧を与えただろう。極楽浄土への切符は、なにも貴族や武士、高僧だけのためではない。厳しい修行を経て得られるものではない。信じるものがあることで、日々の糧になることもある。
しかしそれを伝える僧侶たちは、膨大な修練を積んでいる。だからこそ、自分自身の体験を持って、仏の道を伝えられるのだろう。簡単に救われる人もいて、救われない人もいる。そもそも法然自体が、幼き頃に、暴徒の手により父親を失った。怒りに震える幼き法然に、父は「決して怒りで仕返すのではない。僧の道を選び、私を供養しなさい」と言ったという。

そんな法然のことを学びつつ、いよいよ仏画の部屋へ。。

緊張して、ゆっくり見回してみると、、、。

ない。

???。部屋を間違ったか?

もう一度見て回る。

やはり、ない。

恐る恐る、会場スタッフに質問すると、こんな答えが。

「早来迎は、前半の展示で終了しました」。

僕は腰が抜けて、思わず崩れ落ちそうになった。
なぜ?なぜ?
前半後半??
スタッフはパンフレットを見せる。老眼が進んでよく見えない細かい文字で、確かにこう書かれてあった。(4/16-5/12)と。

そ、そんな。
僕は半泣きにならながら、それでも静かに落ち着いて尋ねた。
「またどこかで飾られないんですかね?」。
しかしスタッフは、まるで裁判官のように、きっぱり「ないです」と言った。

僕はフラフラと会場のベンチに座り、こめかみに手を当てた。46歳の中年男性が、涙ぐんでいた。周りのソファーでおしくらまんじゅうのように座っていたハイシニアの方々は、僕のことを「さぞ感動したに違いない」と思ったことだろう。

僕は腕時計のタイマーをセットした。(5分。5分だけ、この気持ちに寄り添おう。そして忘れよう。縁がなかったのだと)。

自分を責めに責めた。まるでバカみたいだ。何が息子の誕生日だ。何が仏画のきっかけだ。何が夢にまでみた、だ。お前の想いなんて「その程度!」だったんだと。

いつか、いつか、と考えて、日常があるとか締め切りがあるとか言い訳して、余裕こいて、さて行くかと思ったら、

『早来迎はその名のとおり、超スピードで極楽浄土へ帰っていった』

呑気な1人の男を置き去って。

後で聞くと、前半後半の作品入れ替えがあることを知らないハイシニア層も多かったらしい。スタッフも何度もその質問をされたことだろう。そして、何十何百のシワクチャの悲しげな顔を見ても、いつのまにか何も感じなくなったかもしれない。そりゃそうだ。スタッフのせいではない。すべて(我々の無知)のせいなのだ。

5分経ち、すくっと経った。会場を見渡したら、すべてがグレーに映った。色を感じない。これが失望というものか。

しかし、徐々に色彩が蘇る。そして別の会場で、巨大な曼荼羅の掛け軸を見て、心が静まってきた。もう一周してみた。今度は丁寧に。早来迎のためのエキストラではなく、一つ一つの作品に意味がある。特に、早来迎の代わりに展示された仏画は、心が和む慈愛を感じさせた。

最後は、写真OKの涅槃図。
迫力がある。
真ん中でお釈迦様は、死ぬ間際に寝ながら瞑想をしている。弟子や動物たちは、その最後を共に過ごしている。

そういえば、僕もこのように寝ていた。ダラダラと油断して。ただ疲れを取るために寝ていた。
なんとも、自分自身の不甲斐なさを感じるものだ。しかし、そんな僕を仏様は優しく観ている。叱ることもなく、ただ、受け入れている。

「南無阿弥陀と唱えてみよ。そしたら、自分の心の生み出す地獄から救われる」と法然が説いている。

僕は会場を出て、焼けるような直射日光の中で、法然の生きた時代を想像する。きっと前世は、野垂れ死にそうな農民だろう。日照りが続き、苗が萎れていく様をみて、腹を空かせた乳飲み子が泣いている。妻に働け!と蹴られる。そんな時に、きっと、天のせいにもせず、身分のせいにもせず、南無阿弥陀と唱えたかもしれない。

そのうちに、ぽつりぽつりと雨が降ってくる。ああ、ありがたやと喜ぶ。自分が何のために生まれたのか、人生の意味も意義もわからないままに、日々を生きるので精一杯。そして、病気になって死んでいったことだろう。子供の頃の夢なんて、とうの昔に忘れて。その農民は、後悔したのか。それとも満足して亡くなったのか、わからない。そして、遠くから楽団の音色が聴こえる。煌びやかな光と共に、見たこともない美しい姿の仏たちがお迎えにくる。

妄想していると、目の前を大勢の修学旅行生が横切った。どこからきたのだろう。同じ服を着て、同じ色の髪型で、雲にも乗らないのに、超スピードで横切っていく。足音は打楽器のよう。舞うように歩く高校生たちの若さたるや。

僕は、曖昧な現実に存在していた。そうして、帰るべき家族のもとへ、フラフラと歩いていく。  
極楽浄土のお迎えは、まだはやい。

よろしければサポートお願いいいたします。こちらのサポートは、画家としての活動や創作の源として活用させていただきます。応援よろしくお願い致します。