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尽くしきって、あとは待つ。

北海道出張にきている。
あるお寺で屏風画を描いたりワークショップをしながら、お世話になっているのだが、ある日の朝食時、住職のお母様の話された「42歳で若くして亡くなった先代住職の話」が、とても心に響いた。

先代住職は若かりし頃に、やはり住職である父に対して、こう諭したと言う。

「我々仏に支えるものは、相手に対して、尽くして尽くして、尽くし切って、あとは待つだけなんだよ。自らお布施などを求めに檀家さんのところに行くんじゃないよ」と。

僕は、子育てにも言えることだなと思った。
どうしても欲が出るし、感情的にもなる。利己的な育児にもなるだろう。これだけやったんだから、こうしてほしいとか、目に見えた成長や結果を求めてしまうところだろう。

奉仕、慈愛、利他的な生き方。子供にとって、尽くして尽くし切る。見返りは求めない。
我々一般人が、托鉢のお坊さんにお賽銭を渡すのは、「徳をつむきっかけを与えてくださりありがたい」という意味からきている。表面的な生活の支援だけではなく、その存在を尊敬し、敬うからこそ、尽くせること自体に深い喜びを見出せるのだ。

出張と家族旅行が兼ね合って、仕事で不眠不休の上に、暴れ回る子供らの世話もあり、骸骨のように身も心も抉れているのだが、むすこの耳かきをして寝息を立てている姿を見ながら、また先代住職の話を思いし、「尽くし切ろう。そしてあとは待つだけ」だと心に決めたのだ。子供の純粋な魂こそ、仏性に限りなく近いものだ。

待つことは、品性である。
待つことは、信じることである。
待つことは、豊かなことである。

画業も子育ても、一身一体。
いつだって、我が我が、と自己中心的な感情に翻弄される。
かといって、溺愛とも違う。モンスターペアレントなんて、まさに自己愛そのものだ。子供のため、を履き違えてしまうことが、一番怖い。本人も良かれと思うことほど。

ちゃんと、中庸に生きねばならないな。

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