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恋するコラム「異国の歌い手に恋する」

主に恋バナ?

今日の夕方、あるママ友とお話ししながら、「そういえば恋バナ的な記事を書いてたっけな?」とアメブロを探してみました。
5つくらい記事が上がっていたので、noteにも転載してみようと思いました。
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それはまさに、衝撃的な恋に落ちるようなものだった。
 
 
当時17歳。
 
鹿児島の片田舎で、退屈すぎる高校生活を送っていた。
 
 
美大生になりたいと夢見ても、全くもって現実味もなかったし、手段も見当たらない。家族や親戚、高校教師たちにまで全力で美大進学を反対され、当たり前に地元の大学に行き、当たり前に就職しろと散々に言われていた。

 
僕は毎日、昼休みになると、学校の裏手にある墓地で弁当を食べていた。島津家の広大な墓地は、とても居心地がよく、心が静まるのだ。
 
クラスの生徒たちからも噂になっていた。「かつては生徒会長だったのに、今はお墓の猫だけが話し相手みたい・・見る影はないわね・・」。
 
全然気になからなった。猫の方はよっぽど話がわかる。
 
 
放課後、いつものように美術室に向かった。
 
扉を開けると、数十の立派な石膏像が迎えてくれる。2m以上ある奴隷像、ミロのビーナス、ミケランジェロの名作の数々・・。片手で数えられるほどの美術部員よりも、彼らの方がある種の厳粛さを持って、空間を管理していた。それはそうだろう。彼らのほうが、何百年も美の先輩なのだ。

 
教員室からテレビの音がしていた。
 
やる気のない美術教師は、早々と野球部の監督業に向かってたので、はて?と思ってのぞいてみると、ブラウン管の前で、同級生の男がテレビを見ながら身体を揺らしていた。
 
彼は、耳にピアスをしたイケ好かない男だった。オシャレに人一倍関心があり、夜になるとクラブに繰り出したり、ライブハウスでビートルズのコピーをしていた。僕が日本にいるならば、彼は裏側のブラジルにいるようなものだった。
 
テレビ画面には、海外のモデルが、変な服を着て黙々と歩いているシーンが映されていた。その番組は「ファッション通信」といった。

 
さて、「一体何が、衝撃的な恋なんだ!」とお思いの方もいるだろう。そのファッション通信のモデルに恋した訳でもないし、そのピアス男に恋した訳でもない(笑)。
 
ファッションショーよりも何よりも、BGMで流れる「歌声」に衝撃を受けたのだ!!
 
わずかでも時間が違えば、僕はその歌声を聴くことはなかっただろうし、その歌声によって、「遠く忘れていた記憶のような、何か」を呼び起こされることもなかっただろう。
 

冒頭で、「衝撃的な恋に落ちるようなものだった」と書いたが、それは一部間違いであることに気づく。
 
「恋」が前提ではなく、「衝撃」が前提であるということ。無論17歳の僕は、本当の恋なんて知らないわけだから、衝撃こそが、その後の人生における選択を決めていくことになる。
 
 
そんなわけで、インターネットもない時代にどうやってこの歌声の主を探し当てたかは覚えていない。そのピアス男が「UKロックらしい」と言っていたのか、何なのか。しかし僕は、見つけたのだ。アイルランド出身のバンド「The Cranberries」を。その曲は「The icicle melts」というタイトルで、幼い子供が拐われて、嘆き悲しむ母親の気持ちを歌ったものだった・・。

YouTubeはこちら。ぜひ聴いてください。

https://youtu.be/iJd3K7mNslc

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以後、高校時代の救いになったアルバム。自分のルーツはきっとアイルランドや、民族的な音楽にあるのだろうと確信していた。それからアフリカやインドや南米の音楽、それも最も土着的なもの(図書館の資料としてありそうな)、あとは三味線に惹かれていった。
 
 
今現在に至るまで、この「衝撃」を基にして絵を描き続けている。その源にあるエネルギーの種類を例えるなら、何というか・・・人間の普遍的な営みというか。歌う、描く、伝える、踊る・・最もシンプルで大切な何か。
 
 
その後、僕も音楽をやりたい!と思い、楽器屋で一番安かったオカリナ(5000円)を購入し、美術部室でずっと練習していたら、数少ない美術部員の後輩に「長友さんは、ニヤつきながらオカリナを吹いている・・。妖怪なの??」という噂が立ち、ますます孤立していったことは言うまでもない。
 
 
(おわり)

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