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温泉宿のアルバイト その1 「シコシコしてるか?」

先に言っておくが、このタイトルだけでこの話を何か「卑猥」だったり「エロ」な要素がないことをお断りしておこう。ただ他にうまいタイトルが思いつかなくて、今回の物語のひとつの核心である「シコシコしてるか?」を題した。

僕は色んなアルバイトをしたことがある。

おそらく多くの人がパッと「アルバイト」聞いて思いつくような業種、例えば「コンビニ」とか「ガソリンスタンド」とか「飲食店」とか「引越し」とか、その辺のテッパンのものはもちろん、「テレアポ」「データ入力」のような事務系、や「食品加工」や「工場」とか、変わったものだと「フェリーの清掃」とか、とにかく多種多様の仕事を経験した。

その中で、僕は高校3年生の頃、温泉旅館でアルバイトをしていたことがある。

地元は観光地だったが、温泉があるのは街の中心地からバスで40分ほどの距離にあり、そこはたくさんの温泉旅館やホテルがあり、冬はスキー客で賑わった。

旅館と書いたけど、そのバイト先は「〇〇ホテル」という、形式としてはホテルなのだろう。でも部屋は和室中心であり、食事もお座敷で、ホテルより旅館、と言ったほうが僕的にはしっくりくるので、温泉旅館と呼ばせてもらう。

規模的には「修学旅行生」を受け入れられるくらいだったので、やはりホテルと呼べる大きさはあった。

仕事の内容は主に、泊り客の食事の準備と片付け、洗い物がメインで、たまに布団敷きなどの雑用も行う。

食事は、例えばその日の予約が100名の場合、広い厨房の中心にある、長いステンレスの調理台目一杯に、刺身用の皿をずらり並べる。

そこに僕や、手の空いた中居さんや、洗い場のおばさんたちで、ダイコンのツマや、付け合わせの海藻なんかを定位置に盛り付ける。流れ作業だ。まるで機械になったように、黙々と盛りつけに徹する。同じ位置に、同じ分量、同じ形で。

その上に、板長や副料理長が切り分けた刺身を載せ、また僕らが最後に菊の花を添える。盛り付けが終わると、配膳用の何段も棚が付いた台車の載せ、中居さんたちと一緒に、食事する部屋や宴会場へ運ぶ。

刺身に限らず、小鉢やら天ぷらやら、すべての献立に対して、何度も何度も繰り返す。時間との勝負で、大忙しだ。

料理を出したり、お酒の用意などは、たくさんの中居さんたち。彼女らは和服姿で、住み込みの人もいれば、近くから通ってる人もいた。40代〜50代、といった年齢層だったと思う。

「おにいちゃん、カノジョはいるのかい?」

と、そのバイトを始めて間もない頃に、中居さんの一人から、仕事中の何気ない会話でそんなことを聞かれ、

「いえ、いないです」

と答えると、

「いねえのか?!ちゃんとシコシコしてるか? 使いもんにならなくなるから、困ったらおばちゃんがシコシコ手伝って鍛えてやるからな!がはははは!」

と、今の時代なら完全にセクハラ発言だが、そんな下品な感じも嫌いではなかった。その人自身がいつも明るく、ムードメーカー的なポジションだったからだろう。

ちなみに中居さんの中には、一部に高校生男子をそそる「熟女」の方もいなくなかったが、その“シコシコおばちゃん”では、勃つものも勃たないという風貌だったが…。

そして、その人は僕の中で「シコシコおばちゃん」という、名誉あるあだ名を付けたのは言うまでもない。

泊り客が晩の食事中、大人数だと「宴会中」となるわけだか、その間にさっとまかないを食べれる。家庭環境が不安定だった僕には、食事付きの仕事はありがたかった。

まかない飯は「サブちゃん」と呼ばれるおばちゃんの担当だった。

サブちゃん、と呼ばれるのは、苗字が「北島さん」だったから板長がそう名付けたらしい。「サブ!」と呼びつけるので、なんとなくそのまま定着していたようだが、本人は嫌がっていた。そしてその板長は女性スタッフから嫌われていたが、僕は下品で口は悪いが、仕事ぶりは丁寧なその板長のことは嫌いではなかった。

サブちゃんの作る賄いの食事は、至ってシンプルなメニューだった。味噌汁と焼きしゃけとか、肉じゃかとほうれん草の胡麻和え、という普通の食事。

ほとんどが和食で、煮物が多かったので地味だったが、まともな食事ができるのはありがたかった。ただそこそこの頻度で、お客さんに出す用の刺身の切れ端や、鍋物や焼き物の余りなどをもらえることもあったので、それはかなり嬉しいおかずだった。

しかし忙しい日は食事もそこそこ、あわててかきこむよに食べて、休憩時間はほとんどない。

お客さんが食事中に、女性の中居さんたちは配膳だが、我々にもやることがある。

学校で言うところの「用務員さん」的なポジションの(当時の僕にはそう思えた。主に雑用の仕事が多かった)、けっこう年配のおじいさん二人と一緒に、各部屋を回って布団を敷くのだ。こちらも当然時間との勝負だったが、いつもじいさんと回るので、ぎりぎりだった。

しかも、布団を大量に下ろしたり敷いたりと、これがなかなか重労働。

しかも要領つかむまでは、シーツをぴしっと“キメる”のも難しいもので、時間がかかった。

でも慣れてくると、相方のじいさんといいコンビネーションで、布団を下ろし、広げ、真っ白なシーツを、自然に広がるようにパッと放り投げ、それを反対側でさっと受け取り、式布団を包む。

布団が敷き終わったら、今度は片付けと洗い物だ。今度は時間に追われているわけではないが、一斉に下げられてくる、日によっては150人くらいの洗い物をこなす。食洗機はあったが、食洗機の前に油物はスポンジで擦らないと落ちないので、手洗いして、食洗機で「すすぎ」をしていくような感じだ。

すべてが片付くと、その日のミッション終了。大体、夜9時半くらいには完全に終える。だから、バイト時間的には、平均的に17時〜21時とか、学校の終わる時間次第でもう少し早く入ったり、忙しくてもう少し遅くなったりもした。

そのバイトは楽しかった。なにせ仕事の後は温泉が入れるのだ。しかも温泉の前に、こっそりと厨房にある日本酒を拝借して飲んだりもしてたし、手付かずの余り物を取っておて、缶ビールの酒のつまみにしたりもできた。
(注※ 高校三年生の頃の話ですが、お酒は普通に嗜んでました)

温泉に入ってしっかり温まり、最終のバスで帰る。家には23時には帰れた。

とまあそんな感じで、週に2、3回程度、気楽に働いていた。

気楽だったのは、とにかく職場が緩かったし、給料は「自由申請」という、『もらいたい時にいつでももらえる』という謎のシステムで、給料日を待たずとも、遊び銭をすぐにゲットできたのはありがたかった。

そのホテルの支配人の息子は、薬物所持で逮捕歴もある強面の大男で、時々顔を出して賄いを黙々と食ってた。いつもスーツ姿で、大柄の図体にスーツに革靴、明らかに“カタギ”の風貌ではなかった。

嫌なことを言われたとか一度もないが、彼が普段何の仕事をしているのかは、結局わからなかった。しかし、彼がいるときは、なんとなく周りにも緊張感が走るのがわかり、僕も仕事をさぼってタバコを吸っていたら、すぐに消して仕事をしているふりをした。

しかし、そんな逮捕歴のある息子にしろ、思えばなかなか濃いキャラは揃っていた。すけべで口の悪い板長とはあからさまに仲の悪い、北海道の温泉宿には似つかわしくない、とっても“沖縄顔”をしていた肌の黒い副料理長。

あと忘れられないのが、あまり仕事をしないでしょっちゅうタバコを吸っている、厨房の“主”のような「マツコねえさん」と呼ばれるお婆さん(多分80くらいだったのでは?)。

板長は陰で「ばばあ」と呼んでいたが、とにかく「マツコねえさん」はその職場では偉い立場で、お局様的な存在だった。

ぷかぷかとタバコをくゆらせながら、洗い物と「熱燗」をつけることだけが彼女の仕事だった。みんなが忙しそうに駆け回っていても、自分の仕事以外は一切やらないというタイプだった。だから中居さん達からも「あの人は全然働かない」と愚痴られていた。

しかし、熱燗は見事だった。普通は徳利を“湯煎ゆせん ”するものだが、その宿ではヤカンに直接日本酒を入れて、直接コンロの火にかけるのだ。湯煎よりはるかに早い。

1合徳利でも2合徳利でも、計らないでも1号2号3号、ぴたりと量を間違えがることはない。さらにそれが何本あっても、いつも一定の温度に仕上がる。徳利を持てばわかる。いつも同じくらいの温度で、中居さんたちが実際に測ったことがあって、本当にいつも同じだったと。

マツコねえさんは確かにあまり働かないが、そういう熟練の凄技を見せられると、「さすがね、叶わないわ」と、マツコねえさんは一目置かれるのだ。

週末には泊まり込みでバイトをした。夜は22時くらいに仕事を終えて、温泉入って、空いてる部屋を一室あてがってもらい、そこで缶ビールを飲んで、漫画を読んだりして過ごす。

朝は早い。朝食の準備と片付け。夜のようにメニューは多くないが、それでも人数次第ではなかなかの量だ。ちなみにこの朝食の洗い物をこなす中で、“納豆を食べた後のご飯茶碗”は、しばらくお湯につけてないと落ちづらいということを学んだ。

ただ、朝ご飯も出るし、朝風呂も入れるし、合コンの予定のない週末は、結構な頻度で泊まりでバイトをして稼いでいた。

そんなある日、僕と親しい友人の二人で、週末の泊まり込みのバイトだった。さほど難しい仕事ではないので、忙しくて人手が欲しい日には、そんな風に親しい友人を誘って一緒にバイトをしていたのだが、その日は旅館全体に緊張感が漂っていた。

「くれぐれも、お客さまに、粗相のないように!」

と、中居さんや支配人から言われたので、

「大事なお客さんなんですか?」

と尋ねると、

「見れば、わかる」

とのこと。そして、見てすぐにわかった。

浴衣の袖からはみ出した腕から、刺青。見るからにガラの悪い男たちの集団。全部で3、40人はいた。

そう、ヤクザさんご一行だったのだ。

と言っても、我々は「裏方」なので、実際に彼らと絡むことはない。たけど女中さんたちは大変だ。

ちらっと、宴会場の近くに行って様子を見に行ったが、やはり態度が悪い。

「おい!酒がたんねぇぞ!」
「はやく持って来いやコラ!」
「こっちのビールはまだか!」

と、あちこちから怒声が飛び交い、その度に中居さんたちが慌てて走る。

「こえぇ〜」

と、バイト仲間の友人と囁き合った。

そして、なんとか宴会を片付け、洗い物を終えて、仕事を上がった後、

「なあ、今日、風呂どうする?」

と僕らは相談した。

「風呂か…絶対あいつらがうじゃうじゃいるよな…」

「だよな〜」

1日くらい、風呂に入らなくても平気だった。わざわざ猛獣の群れに中に素っ裸で飛び込む必要性はない。しかし僕らはあえて根性試し、というか肝試し、又はロシアンルーレット的な気持ちで温泉へ行ってみた。

おそるおそる男湯の暖簾をくぐると、誰もいなかった。

「あれ?なんだ、今の時間はヤクザのおっさんたちは風呂に入らねえんだな」

なんて言いながら、湯船に浸かる。

彼らは食事前に風呂に入っていたのは知ってる。あとは酒飲んで騒いでいるのだろうと思った。

しかしその考えは甘かった。

我々が入って間も無く、ガラガラと戸が開くと、刺青だらけの男たちがうじゃうじゃと癒しと安らぎの温泉大浴場へ入ってくるのだ。

まあ、酔っ払ってご機嫌な様子だったので、危険な様子や、こちらに危害を加えそうな雰囲気はない。たがそうは言っても、自分の周りに“本職”の背中に観音さまやら龍やらなんだかわからない模様を彫り込んだ、体格の良い屈強そうな男たちが十数人いるのだ。

そこに、普段は街の中や学校では、多少なりともツッパって肩を怒らせて歩いているとはいえ、高校生男子2名は、あまりに小さく無力な存在だった。街出会うおっかないヤンキーの先輩に挨拶するとか、そんなレベルの人たちではないのだ。

一度、風呂の中で睨まれて、それだけで温かい湯の中でキンタマが縮こみ上がった。女の人にはわからないかもしれないが、とにかく、恐怖で縮こみ上がるのだ。

もちろんすぐに目を逸らした。睨み合ってしまったら命の保証はない。

だけどよく考えると、睨みつけられたと思ったのはこちらの勘違いで、ただそのヤクザのおっさんがあまりに人相が悪く、あまりに目つきが悪いせいで、僕は勝手にそう思い込んでしまったのだろう。

僕はそそくさと湯船を出て、頭を洗ってないことに気づき、迷ったがここまできた以上シャンプーをしないわけにはいかなかった。

しかしシャワーで頭を洗う時も、隣に座る刺青のおじさんに飛沫が飛ばないように細心の注意をして洗い、疲れを癒すどころか、あんなに緊張感ある温泉の時間はなかった。

「ふー、スリルあったなぁ〜」

と、金玉がゆるんだ頃、友人と笑い合った。なかなかできない体験であった。

☆☆

翌朝、何やら中居さんたちや支配人さんたちが揉めているを見ていた。ただ僕と友人は、とにかく目の前の仕事をこなすだけだった。朝食の準備やら、片付けやら。

少し遠目だったが、厨房の裏の一室で、シコシコおばちゃんが支配人とオーナーと話をしているのが見えた。おばちゃんは泣いていた。ぐしゃぐしゃの顔を、さらに歪ませながら。

何やら、支配人たちに責められている様子だった。それに対して悔しそうに弁明している、僕も作業の合間だったけど、そう見えた。

ちなみに、支配人は中年の女性で、オーナーは中年の男性。夫婦ではないし、どういう家族構成なのかは、最後までよくわからなかった。

「なんかあったんすか?」

僕はシコシコおばさんが泣いてるのを見て、同じ裏方のサブちゃんに聞いてみると、

「昨日のお客さんたちいるでしょ?例の…」

「ああ」

あの“ヤーさん”たちのことだと、言うまでもない。

「夜に、勝手にパントリー入って、冷蔵庫を開けて、お酒を飲んだらしいのよ」

「え?中に入ったんすか?」

お酒類は普段、厨房の奥の部屋にある大きあ冷蔵庫や、パントリーと呼ばれる倉庫のような一角にまとめて置いてある。

「そうよ。朝になったらビールも日本酒もウイスキーも、何本も空いてて…」

ひでえな…、そう思った。彼らが怖い人たちだというのはわかっていたけど、チンピラと違って、仁義とか、人としての筋というか、あまり一般の人に無茶なことはしないと、勝手に思っていたが、傍若無人に振る舞う連中だったのだ。

「それで、〇〇さんがね、鍵をかけなかったからだって…」

〇〇さんというのは、シコシコおばちゃんのことだ。

「え?でも、〇〇さんが鍵かけなかったっても、いつもかけてないじゃないっすか?それにチンピラたちがこっそり忍び込んだんでしょ? そもそも、お客さんに直接言えばいいじゃないっすか?」

「直接言ったらしいのよ。でも、彼らは知らねえって、怒鳴りつけるらしくて…」

これは、今考えるとと立派な犯罪行為であり、もちろん当時でも立派な犯罪行為であった。

「そんな、じゃあ、〇〇さんのせいってわけじゃ…」

「そうよね、でも、誰かの責任にしないと、支配人も収まらないんじゃないかしらね…」

サブちゃんは、話し合いを続けてる方を苦々しく見ながらそう言った。支配のことは、あまり好きじゃないのだ。

「あんたちはもう帰んなさい。お疲れ様」

様子をチラ見して、サブちゃんと噂話をしていた僕と友人に対して、支配人が言った。普段は優しいが、きつい口調だった。シコシコおばさんは、ハンカチで目元を抑えながら、ワナワナと震えていたが、僕らは帰れと言われれば帰るしかなかった。

その数日後に、またバイトの日があった。支配人は、いつもと変わらぬ様子だったけど、なんとなく全体に、空気感が悪かった。

「〇〇さん、辞めちゃったのよ」

厨房に入ると、サブちゃんからそう聞かされた。

「まあ、形はクビみたいなものらしいけど、とにかく、もう〇〇さんは来ないわ。かわいそうに…」

(クビ?)

意味がわからなかった。

「え?クビって…、いや、だって…」

言葉が見つからなかった。なんと言っていいのだろう? 

こんな時は何を思えばいいのだろう? 僕は自分の感情や思考の置き場に困った。

誰に対して腹を立ててるのだろうか? ヤクザの無法者たちにか?オーナーや支配人にか?それは、彼らの人間性なのか、罪を憎んで人を憎まずだから、その行為に対してか?

それか、傍観するしかない、無力な自分自身へか?

しかし、そんな疑問を打ち消すが如く、その日は猛烈に忙しくて、考える暇はなかった。〇〇さんが辞めた虚しさより、純粋に「人手が足りない」的な苛立ちを、みんな思っていたようだ。〇〇さんが抜けた穴はでかい。あの人はよく動く人だったから。

しかし、なんとなく妙な空気が数日間続いたが、結局中居さんたちも、我々裏方も、決められたことをやるだけだ。あの人の下品な冗談と、豪快な笑い声が聞けなくなったけど、実際のところ、僕自身も親しかったわけではない。

だから僕も「そんな人いたなぁ」と、案外あっさりと忘れていったし、そんな風にあっさりと割り切れる自分や、周りに人たちに対して、なんとなく悲しくなった。

ただ今もこうして、あのおばさんのことを思い出すことがある。

「にいちゃん、シコシコしてるか?」

それだけで、くすっと笑えてしまう。今の時代なら確実にアウトだけど、良い思い出だ。

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