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「過去」に置き忘れた感情

心の世界というのは奥深いものである。なんせ、我々が認識できる「心」なんて、いわゆる「顕在意識」と呼ばれる、意識のほんの上澄みにしか過ぎない。

「思考」とか「マインド」と呼ばれる部分で我々は生きていて、判断し、選択肢、行動に移し、人生をあたかもコントロールしているかのようにマインドは振る舞うが、多くはプログラミングされた『反応』をしているだけなのかもしれない。

そのプログラムのある場所は我々の認識の及ぶ「顕在意識」ではなく、心の世界の多くの部分をしめる「潜在意識」と呼ばれる部分にある。あなたがスマホや電化製品の内部構造やシステムや原理を全く理解していないでも使いこなせるように、自分のプログラム自体を知らなくても、あなたはあなたとして生きていける。

ちなみにスピリチュアルだの神だの量子力学の意識の話などを、しょせん『マインド』で扱い、理解するわけだが、なかなかどうして「潜在意識」という“ブラックボックス”にプログラムがある以上、その学びやら気付きやらも、我々の預かり知らぬプログラミングの一部であるのかもしれない。

ハワイに伝わるセルフ・クリーニング法の『ホ・オポノポノ』においては、目の前に現れるすべては「記憶の再生」と言われる。我々の人生はこの記憶を再生し、浄化することにあると説かれている。その記憶こそがプログラミングであり、仏教やヒンドゥーでは「カルマ(業)」と呼ばれるものがそれだろう。

過去生とか前世とか、そんな話をしたらキリがないが、実は多くが幼少期に組み込まれたものであったりするので、過去の浄化というは、心の世界や精神世界を扱う上で、とても重要になってくる。

しかし、我々は日々生きている中で、「感情」とか「感覚的」なものを通して、そのプログラミングの外側からこの人生を眺め、マインドから離れる瞬間がある。その時は古い記憶やカルマを浄化するチャンスである。

ここ数年、俺自身もそういうことに向き合ってきた。気づいて、手放すたびに、魂が軽くなるような体験を重ねてきた。

「過去と向き合ってばかりでは意味がない」という考えもあるし、それも同意できるけど、やはり人には多くの未浄化な感情はあって、それは手放した方がいいと俺は思う。自然に解放されるものもあるけど、がっちりと深い部分に突き刺さったプログラムは、意識的に、意図的に光を向ける必要がある。

俺自身はそういうことを意識し始めてから人生は加速した。スムーズになった。夢が叶った、とか、願いが叶った、ということは特にないが、想像以上の幸福でスリリングな世界を生きている。

だから今も、日々の感覚や感情を、とても大切に扱い、取りこぼさないように注意している。

霊的に生きる、精神世界を生きるということは、常に自分の心を向き合い、自身の本質と、魂の声に耳を澄ませ続けなければならない。それはなかなか骨の折れる作業で、日々の瞑想などで、常に調える時間が必要だ。それは、どんな仕事や業務よりも、最優先にしている。

こういうことを、もっと前から知ってたらなぁ…、なんて、意味のない妄想をすることもある。それほど、過去に「取りこぼした感情」があり、それはまたなんらかの形で回収することは目に見えているので、定期的に、過去を振り返り、今一度感情の感触を感じ、光に変えていく。

これを、「祈り」とも言うし、浄化とも言うし、ホ・オポノポノでは「クリーニング」と呼ぶ。

もう先々週のことだが、ふとGoogleマップで、昔住んでいた街のあたりが目についた。マップを開いたのは、全然違う用事だったのだが、昔住んでいた場所と比較的近い場所だったせいで、ついつい気になって、衛星写真とかであれこれ見てしまった。

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