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探求文庫#147  「知ってる」と「やってる」の話

最近、息子が「左手」で飯を食ってます。

あ、突然すいません。なんのことか意味わかりませんよね(笑)

息子くんは右利きなんですが、この頃左手で箸を使います。

先月くらいから初めて、その頃はまだぎこちない感じも見て取れて、掴み損なったり、落としたりしてましたが、今ではかなり普通に使ってます。本人的には「まだ右手のようにはできない」と言うとります。

ちなみに、急に左手を使い出した理由は「脳を鍛える」つもりだったと。

うーむ。親子だから似てしまったのか、かく言う僕も二十代の頃、左手使って右脳をトレーニング、みたいな話を聞いて、歯磨きとか、カレーライスなど、スプーンやフォークくらいなら、練習して左手で食べられるようになりました。今でも、けっこう意識してます。

しかし、箸は難しいのです!すぐに諦めましたもん。ムズすぎて。だから息子を見て「すごっ!」と、我が子ながらあっぱれですし、「悔しい!」という謎のライバル心も芽生え、密かにコソ練(こっそり練習)して、ある日目の前で普通に使ってる姿を見せて、

「え?左手使えますけどなにか?」

みたいにドヤろうと計画中です(笑)

さて、今日の本題です。


1 「知ってる」

あなたは日本で生まれ育っているのなら、おそらく箸を使えると思います。利き手で何不自由なく。

人によっては少し変わった持ち方の人もいるかもしれませんが(昔はけっこう変な持ち方のヤツいたなぁ〜)、とにかく使えますよね?

ちなみに一説によると、箸の持ち方そのものが、一種のムドラー(印)という、神的儀式の指の形だとか??

それはさておき。

ぜひ手元にお箸があるならやってみてください。利き手じゃない方の手で、箸を持つ。

「持ち方」は、当然ですけど「知ってる」はずだよね??

だって、利き手でいつも持っているんですから。だから、反対の手でも持てると思います。

でも「持つ」ことができても、それで「掴む」、「食べる」とかなるとどうでしょう?

おそらくできないのでは?

僕はまったくできんとですばい。さらにそこで「魚の身をほぐす」「ナスを箸で割って切り分ける」とか、むちゃくちゃ高等テクニックですよ。

でも不思議じゃないですか? 持ち方も、使い方も知ってる。

なのに、「できない」んですよ。

これって不思議なことだと思いませんか?

ついつい僕らは「知ってる」と「できる」と思いがちでは? 少なくとも僕は自分自身にそう思いました。やり方を知ってるのに、できないという事実に、自分の思考の浅はかさというか、落とし穴を見つけた気分でした。

2 「段階を踏む」

僕は若い頃、一番長く勤めていた飲食店の店長から教わったことがあります。

「仕事には段階があるんだ。それは、知る、わかる、やる、できる」

この話は過去にも書いたかもしれませんが、何度読んでも良いと思うので書きますね。

「知る」

「わかる」

「やる」

「できる」

この4つ、それぞれに大きな開きがあります。

「知ってる」と「わかってる」は違うし、「わかってる」と「やる」は違うし、そして「できる」となると、さらに高次元の話です。

なのに『知ってる』だけで、『わかったつもり』になり、『やった気』になるし、あげくできてもいないのに「できる」もしくは「すぐにできる」と思ってしまう。

だから自分の思考を一から見直して、自分がどの段階にいるのかまず理解しないとならない。そして「できる」という目的に達するために、その段階を踏むことが大切なんですが…。

後半はお知らせの後。

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3 とりあえず「やる」

段階として、「知る⇨分かる」からなんですが、この分かるってのは結局のところ、「頭」じゃないんです。『知る』までは情報であり、表面的な知識です。「わかる」となると、「深い知識」「知恵」ですね。

それを理解するのは頭じゃないので、知る⇨分かる、に進むためには、次の段階の「やる」なんです。「やらない」と、「わからない」んです。

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