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連載小説「天国へ行けますか?」 #3

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「知りたい?」

前回の続きです。

連載小説「天国へ行けますか?」 #3


「知りたい?」

兄はにんまりと笑って言う。俺の大嫌いな、人をバカにしたような薄笑いを浮かべて…。

「……知りたいに決まってんだろ!」

俺は大声で答える。足元を見られるような交渉は大嫌いだ。しかし、今は大嫌いな人間から、教えてもらわないとならない。なんという屈辱だ。

「ふふふふ。じゃあまずはほれ。乾杯しよか?」

そう言って兄は缶を掲げ、「お前の屈辱に!」と言って、ぐいっとビールを飲んだ。

俺はとてもビールなんて飲む気はしなかったので一瞬迷ったが、苛立ちながらもプルトップを開けて同じように乾杯の仕草はせずに、そのままビールを口運んだ。

「ん…」

一旦、息が止まりそうになる。そして、もう一口、喉に流し込む。

「…う…、うまい…!」

美味かった。さっきまでの怒りが消し飛ぶほど、美味かった…。こんなに美味いビールを飲んだのはいつ以来だろう?

なんて考えると、さっきまで暗くなって世界が、また白い光の世界になった。やはり、俺の心理状態を反映しているのか?

俺はまたビールを飲む。涙が出そうになるほど美味いと感じる。あっという間に、半分以上飲む。喉越しが最高だ。この苦味、炭酸のキレ…。

そうだ。俺は病気になってから、もちろん酒なんて飲めなかった。

だが不思議なもので、体は飲みたくないが、気分は酒を求めていた。酒やコーヒーにはかなりこだわったが、銘柄はなんでもよかった。とにかく趣向品で癒されたかったのだ。

ああ、自由に飲み食いできるって、なんて幸せなことだ。そう感じると、涙が滲んだ。

「どうだ?あの世で飲むビールはうめえだろ?」

しかし、兄に言われると、なぜか素直に美味いと言えない。

「かかかかか!まあいいさ!うまいビールで気分も軽くなったんだ。では、教えてしんぜよう!」

兄が手を挙げると、あたり一体にドラムロールの音が響いた。真っ白世界の四方八方から、それが聞こえる。

「人生において!最も!重要な!!こととは!!!」

俺は唾を飲んで兄の言葉を待つが、彼はそこでビールを飲んむ。

「ぷはー!うめえ!」

早くしてくれ!と俺はやきもきした。ドラムロールの音が、その期待や焦りを助長するかのようにずっと続いている。

「ふうっ!お待たせしました!人生において大事なこと!それは…」

それは……。

「楽しむこと!」

そこでドラムロールが鮮やかに甲高い音を出して、そしてファンファーレが鳴り響いた。

ファンファーレの余韻の中、俺は数秒間唖然として、

「……は?」

と、声が漏れた。

「いやいや!は?じゃねぇよ!こんなに丁寧に、しかもどらまちっくな演出して教えてやってんのによ!」

兄はお笑い芸人がずっこけるような仕草をして、おどけながら言うが、

「え?」

と、また俺は拍子抜けした声が出る。

「だから!楽しむことだよ!人生は、楽しむことが正解なんだ。それこそがすべての評価基準」

「……そんなことが、成功基準?」

「そう。そんなことだよ。楽しんだかどうか?が何よりも大事なんだよ。その中にはもちろん、よく笑うこと。やりたいことをやって、満足することなんかも含まれるぜ」

いや、納得できるわけがない。

「納得できねぇって感じだなぁ」兄は腕を組んで、上を見上げる。考え事をしているのだろう。

「そうだな。お前の人生が、約50年で、俺が30年だった。しかし実はこの年数はあまり関係ない。何年生きたかは、評価対象じゃない。そもそも時間ってのは生身の肉体世界特有の仕組みっていうか、ただの概念だ」

時間が、概念?

「要するに、長さでないってこと。さっきの寄付金の金額でないって話もそうだけど、数値とかはカンケーねぇんだ。だから自分の人生で、いかに笑い、いかに楽しみ、いかに満足したか、なんだよ。10歳でも、100歳でも、人生の楽しみ方とその充実感の問題だ。もちろん長生きはそれなりに楽しむチャンスが増えるけど、楽しまないという選択のチャンスも増えるから、楽しくない人生を90年生きたら、その分大減点になる」

「減点?楽しまないと、マイナスなのか?」

「そうだよ」兄はあっさりと答える。「つまり、我慢したり、嫌なことを嫌嫌やったり、言いたいこといわないで抑圧したり、気持ちに蓋をしたりってのは全部減点。
他にも、例えば悪いとわかってるのにやめなかったり、悪口言ったり、文句言ったり、不機嫌になったり、しょうもないことでクヨクヨしたり、小さなことで怒り続けたり、憎んだり。それらは全部減点な。そしてさっきの傲慢な考えや、周りの人を見下した思考もそう。減点なのよ」

俺はそれについて考える。

「……確かに、俺は傲慢な部分はあった。部下に当たったり、家族に当たったりもした。しかし、人生は楽しんだ。充実した人生だ!なにより、頑張ったんだ!俺は歯を食いしばって頑張って、今の地位を築いたんだ!」

俺は言ってて泣きそうになった。なんでかわからないが、とにかく悔しい気持ちで一杯だった。

「今の地位って言ってもよぉ、今はこの通り、ほふれ、なんもねえけどな」

兄は両手を広げて、外国人がよくやるようなポーズを取る。真っ白な世界で。今の俺は、何もないと。地位も名誉も金も、何もないと…。

「お、俺は苦労した!辛いことがたくさんあった!それはどうなんだ?それは評価されないのか?」

俺は兄のふざけた態度に怒り狂いそうになりながら言う。

そう。俺は若い頃は本当に苦労したし、辛い目にたくさんあった。死ぬ間際だって、孤独の中、後悔しながら苦しんだ。苦しんだ分、評価されてもいいのではないか?

「だ〜か〜ら〜」兄は呆れ顔で言う。「そういうことじゃねぇって!楽しむことって言ったじゃん? 我慢とか苦しさは、なんのポイントにもならんのよ。我慢しようと、苦労しようと、痛みに耐えようとも、点数は0点!」

「だ、だけど、苦しんだものは救われるとか、貧しいものは救われるとか、そんな話があ…ったような…」

うろ覚えもいいとこだが、言ってみる。

「ああ、貧しきものは幸いです。病めるものは幸いですっていう、聖書の言葉だな。そりゃ嘘だ」

「う、うそ?」

「嘘ってちゅうかよぉ…。いいか?苦労とか、そういう痛みや悲しみってのは、もっともっとこれから喜ぶためのジャンプ台みたいなもんなんだわ」

「ど、どういうことだ?」

「うーん、そうだ!おい、お前が今持ってるビール、飲んでみろよ」

「な、なんでだよ?」

「いいからよ」

俺は半分くらいに減っていたビールを飲む。

「ぐ…、なんだこれ?ま、まずっ…!おえ!」

「かかかかか!美味くねえだろ? 炭酸抜いて、温度もぬるくして、ちょっと味も変えてみた」

「か、変えてみたって…」

「こまけえことは抜きだ。ここはそういうトコだし、俺はガイドだからよ。まあ驚かせてすまん。ほれ、もう一口飲め、味は戻しておいた」

兄がそういうと、確かに缶がキンキンに冷えているのが手に伝わる。しかし、さっきの気持ち悪さがあるので、恐る恐る飲む。すると、

「う、うまい…」

味は戻った。いや、先ほどよりも美味い気がする。

「うめえだろ?同じ味だけど、さっきより美味く感じたんじゃねえの?」

俺は何も答えず、とりあえず話を聞く。

「その美味いって感覚はよ、お前が“不味い”ってのを知ってるからこそ、そう思えるし、その喜びを感じたわけだよな? もしこの世に、その美味いビールしかなったらどうだ? 世界中の全部のビールがその味、その温度、その喉越しなんだ。だったら、この世に美味いビールなんてあるか?」

そりゃぁ、比較ができないのなら、美味いも不味いもない。

「そうなんだよ。人生も同じだぜ?色んなことがあるから、比較があって、楽しめるし、幸せを理解するんだ。そして、人は苦労をすると、それをバネに頑張れるし、大きな感情を体験できるんだ」

確かにその通りだ。

「もしも生まれたのに何もしなかったら、人生は何も起きないし、その人生は安定してて、痛くも苦しくもないのかもしれないけど、そんな人生は楽しいか? 仮に資産家の息子として生まれてよ、働かなくてもいいとして、ずっと与えられたもんだけで生きてるとしてもよ、そいつは楽しいとか、嬉しいって思えるか? それよりも苦労したり、嫌な目にあったりして、それで自分のことにチャレンジして、そこでまた失敗したり、痛い目遭ったりする中で、気づきがあり、学びがあり、そうやって人間として成長する中で、達成感や充実感、そして幸福感があるんだろう?そしてその成長こそが、魂の喜びってもんよ」

「魂の、喜び…」

不真面目極まりない兄から、滔々と語られるその言葉は、なぜか俺の胸を打つ。

「お前は確かに頑張った。我慢もよくした。誰よりも苦労した。それで手にした成功だ。バネに頑張ったんだ。確かに、そこで喜びはあっただろう。親父もあんなんだったしな、かかかか!」

父のことを思い出す。父、松島洋介は地元ではそれなりの会社を持っていたが、俺が高校生の頃、事業を失敗させて、大きな借金を背負った。祖父の代からの会社を、父の無茶な経営で失敗させたのだ。

住んでいた家は抵当に取られ、俺たち一家はそれまでのそこそこ裕福な生活とは打って変わって、一気に貧乏生活になった。

そして親父はなんと、行方をくらましたのだ。家も会社も放り出して…。結局、あれ以来消息は知らないし、知りたいとも思わなかった。

そんな状況にもかかわらず、兄は地元では有名はゴロツキで、ロクに働きもしなかったのだ。俺と母さんが、どれだけ苦労して、屈辱を舐めたか…。俺が大学進学を諦めて、高校卒業してすぐに働かないとならなかったのもそのためだ。

兄に対して、当時の怒りを募らせていると、

「大変だったよなぁ、コウジは東大行けるってくらい優秀だったのになぁ。俺と違って、同じ親から生まれたと思えないくらいデキがいい。でもな、今だから言うけどよ〜、実は俺は俺で大変だったんだぜ?」

兄が頭をかきながら話し始めた。頭を掻くのは、なにか照れ臭い時の癖だった。

「親父はよ、実はヤクザからもサラ金借りてたんだわ。元金は800万くらいだったけど、利息とかなんちゃらで、結局2千万くらいの借金になってたんだよ。それでな、俺の先輩がそのサラ金のヤクザ事務所に出入りしてたからよぉ、それで色々と話をつけてよ」

(なんだ、その話は?) 

まったく知らない、初めて知る情報だった。

「でもやばかったぜぇ〜。マジでボコられた後にセメントに埋められそうになったからな! かかかかか! でもな、そこで別の先輩からよ、エロサイトの運営する会社の仕事紹介してもらってよ、なんと俺はそこでかなり荒稼ぎしちゃったんだわ。ほれ、エロい男の気持ちはよくわかるだろ? それでガンガン売り込んで、登録者何倍にも増やしてな、借金はみるみる返済」

兄の言葉に嘘がないことはわかる。しかも、兄の話しを聞きながら、その時に起きた出来事が、鮮明にイメージできる。兄のテレパシーなのだろうか?

どうやらその頃、兄はアダルトサイトの運営する会社で、20代前半でフロア責任者になるほど優秀だった。と言っても、1日20時間くらい働いている日もあった…。実家に迷惑はかけないという約束で、ヤクザの奴隷のように働いていたのだ。

借金が半分ほど減った頃に、そのヤクザ事務所自体が、警察組織に取り締られて、解体し、結果として借金も無くなった。

「し、知らなかった…。なんで、あの頃言ってくれなかったんだ?」

そうだ。知っていたら、兄を恨むことはなかった…。

「言ったらおめえ、母さんに迷惑かけるだろ? ただでさえごくつぶしの長男なんだ。これ以上心配の種ふやしてどうすんだよ? それにお前だって、兄貴がヤクザと揉めてるっちゃぁ、あの状況じゃ耐えらんかったと思うぜ?」

た、確かに、そうかもしれない。

「それによ、そもそも、苦労しました〜、頑張りました〜って言うのはよ、俺の美学じゃねえんだ。なんつったってほれ、イキじゃねえだろ? 男はイキじゃないとな」

兄はそう言って豪快に笑う。いき 、か。自分には最も足りないものかもしれない…。

「まあ、その後もよ、その会社でしばらく働いて、まとまった金溜まったから円満退社して、借金もなくなったし、世界でも見てこよ〜と思って、放浪の旅に出たのよ。ほれ、バックパッカーってやつだな。まあ、お前らに心配かけてんのはわかってたけど、ほれ、俺は俺で、自分の人生を楽しみたかったからよ〜。そこは悪いと思ってるぜ? せめてもう少し説明すればよかった。でもなんか俺もよ、そこまで行くと気まずくてな」

兄の人生、兄の生き様。今まで何も知らなかった。兄が死んでから20年以上経っていたが、俺はずっと兄のことを恨んでいたし、軽蔑していた。

「ってことで、俺の話はもういい。俺はあっちの世界じゃ落ちこぼれでも、こっちじゃ優等生だからよ。問題はあっちの世界じゃ優等生なのに、こっちの世界じゃ落第しそうなお前のことだ」

兄はふざけた口調だが、少し真面目な顔になる。

「お前は苦労した。頑張った。親父を含め、自分を馬鹿にした連中とか、社会とかに見返してやるっていう、強い気持ちがあった。だからお前は自分でビジネスを起こし、目的を達成した。見事だよ。他がやってないことにビジネスチャンスを見出して、しつこくやり続けたもんな」

俺はうなずいた。その通りだ。若い頃は、社会のあらゆるものへの復讐心があった。それが俺の原動力だった。だから一度や二度の失敗ごときでへこたれず、しつこいくらい粘り強く自分のビジネスを推し進め、それが評価され、そして欲しいものを手に入れたのだ。

「でもな、それって本当にお前のやりたいことだったのか? お前が、お前の魂が、求めていたことなのか? 自分が本当に求めていたことじゃないのに、そこに向けてやってた我慢や苦労って、これはもう0点じゃなくて、マイナス点なんだよ」

「マイナス?」

俺はその言葉にまた唖然とする。そして、唖然としつつ、自分の「やりたかったこと」とか「本当に求めていたこと」というワードにひっかかる自分がいる。

(俺は、やりたいことを、やってたつもりだったが、そういえば、そもそも俺にとってビジネスは、あの会社も、その後の会社も、仕事も、俺が本当にやりたいことだったのだろうか?)

兄は腕を組んで何も言わなかった。俺の頭の中の声は筒抜けのはずなのに。

つづく


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