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不思議な予感…

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作家、セミナー業、アーティスト業、いろんな肩書きがあるが、俺が人生の中で一番心血を注いだのは紛れもなく「歌」であり「音楽」だと思う。

20代前半で、けっこうとんとん拍子で人生が上手く回りかけたところで、病気になって活動できなくなったり、その後も体と誤魔化し誤魔化しだったり、まあ、タイミングがどうとか、全部言い訳で、一言で言えば「才能がなくて」、20代後半に、結婚と共に音楽の夢は挫折。

しかし、ミュージシャンになるという夢を諦めていた俺が、ひょんなことから、再び歌い出すようになったし、曲もがんがん作るし、過去に作って、誰にも聞かれることなく埋もれていた楽曲も発表できるようになった。なんと幸せなことかと思う。

しかし、俺はこうなることを、ずっとずっと予期していたような気がする。

今日は、そんな『不思議な予感』についての話だ。

小学生の頃に、ギターを初めて触った。父から「ドレミファソラシド」を教えてもらい、ビートルズや、レイ・チャールズの曲のフレーズだけを教えてもらったりした(今思うと、親父のそのセンスに脱帽だ!感謝だね)。

ただ、実はそんなにギターには興味はなかった。ただ、なんとなく弾いてみただけだった。しかし、中学一年生の頃、テレビの金曜ロードショーか何かで、映画「スタンド・バイ・ミー」が放映されていた。

映画もさることながら、ベン・E・キングの歌う主題歌「Stand by me」がカッコ良かった。

曲はよく知っていた。父がたまに歌ってるのも聞いてたからだ。しかし、映画の影響だろう。同年代の少年たちの冒険を見たせいか、とにかく曲に胸を打たれた。

俺もギターを弾いて唄たくなった。ギター弾き語りできたら、カッコ良さそうだし、女子にもてるんじゃね?と、中一男子、不純な動機はバリバリだ。

「お父さん、この曲、俺もギターで弾けるようになりたいから教えてよ」

と頼んだら、親父は教えてくれることなく、「この本見ながら調べろ。この図の通りに弦を押さえて右手で鳴らしながら歌え」と、雑なアドバイスと共に、歌本(コードや、コードの押さえ方も載っていた)を貸してくれた。

今思うと、親父のあの判断は最高だった。あそこで手取り足取り教えてもらったら、確実に俺は覚えれなかったか、もっと時間がかかったと思う。自力で、自分で調べて、工夫しながらやったから、体で覚えた。チューニング方法なども、デジタルチューナーなどなく、「耳で覚えろ」と言われたしね。

とにかく俺はモテたいがために(?)必死に、スタンドバイミーの一音下げのコード「G・Em・C・D」という、初心者も押さえやすい四つのコードを練習した。

中一のクリスマス。家に友人たちを招いてクリスマスパーティーをした。そこで俺は「ギターで弾き語りやってるんだぜ!」と、ドヤ顔で披露することになった。

ストロークも、「じゃん、じゃかじゃかじゃか」とカッコよくは弾けず、「ぽろろろん」と、1拍に合わせて1回ストロークするだけで精一杯だった。歌いながら、指元をずっと凝視して、神経を左手の指、右手、そして歌、全部に気を配り、客席(友人たち、12、3人かな)を見る余裕はまったくなかった。

しかし、俺はスタンド・バイ・ミーで、生まれて初めて、人前で弾き語りをしたのだ。自分の部屋のベッドのステージで。はっきり言って、みんながどんな風に聴いてるかなんて考える余裕はなかったが、無事に歌い終わり、ようやく皆に顔を向けた…。

「・・・・・」

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