「死」とは怖いものなのか?
先日の7月10日、母の一周忌の命日だった。1年になる。
しかし、俺の母は14歳の頃からずっと病気で、亡くなる5、6年前からは認知症のような状態になり、3年前くらい前から気道切開し、人工呼吸器をつけて、話はできなくなり、意思疎通もままならなかった。
人工呼吸器と胃ろうと、大量の薬品で生かされ続ける母に対してずっと思っていたのは、
「母はこの状態で“生きている”と言えるのだろうか?」
という事だった。だから昨年、事実上、戸籍上、生物学的上として「死んだ」わけだが、俺にとってはそれはひとつの“形式”でしかなかったような気がする。とっくに、俺の中の母はすでにその大半が「死」んでいたし、関係性もなんだかわからないものになっていた。
今回は母の話ではなく、「死」についての話だが、少しスピリチュアルな内容になる。
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