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「お前は箸すら持ててない」と、かつて師から言われた言葉の意味を、ようやくわかってきた。

オレは数年前まで、合気道を習っていた。実質3年間ほどで、そろそろ一級昇級の審査…、という前に辞めた。
辞めた理由は、膝を痛めて、誤魔化し誤魔化しやっていたが、やればやるほど、自分の体軸がズレていくのがわかったで、違和感を感じたし、何より現在のような仕事を始めてから、稽古の曜日を毎週確保するのが難しくなったからだ。曜日に縛られるのが苦痛になってしまったのだ…。

しかし、合気道はオレの人生において、とても大きな影響を及ぼしたものであり、また、スピリチュアルや精神世界、歌、楽器、作曲技法など、あらゆるオレが身につけたほとんどの技術は「我流・独学」なのだが、オレがきちんと先生について習ったのは、この『合気道』と、あとは『自然農』くらいだろう。

さて、合気道の先生に、いつかこんなことを言われた事がある。

お前はまだ箸すら持てていない」と。

その時にも、その言葉の意味はある程度わかったつもりだったが、実はこの頃になってようやく、師の言った言葉の意味が、わかると共に、むしろ耳に痛いくらいだ。

今日の話はかなりマニアックな話だが、もしも「身体」の事に興味があったり、身体を通して、人格や人間性を向上させて行きたいと思う方は、このまま読み進めて欲しい。興味のない人には偉くストイックで意味不明なことが羅列されていると思うので、ここでnoteを閉じた方がいい。

さて、我々は生まれたばかりの赤ん坊の頃は、起き上がる事もできず、首の骨も定まっていない。馬や牛などは、生まれたその日に立ち上がるというのに、人間は未熟児で産まれてくるという摩訶不思議。

オレも子を持つからわかるが、人間は生まれ落ち、何もできず寝ていた状態が、手足をバタバタさせ、、その玉のような赤ん坊はやがて寝返りを打ち、上半身を起こしずり這い、そして四つん這いで動物のように動き、お座りをして、そして、立つ。その後、二本足で歩き始める。

我々はこの時の記憶はないが、この肉体はそのように成長し、今では立つも座るも歩くも、まして横になって寝るも、ごく当たり前の身体動作として、日常を送っている。

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