前半 「安易な質問」について(無料) 後半 「愚痴を言いたくなった時と、愚痴を聞かされた時の対応」について
今日のnoteは前半(無料部分)と、後半の有料記事で分かれています。
前半 「安易な質問」について(無料)
僕はここ数年、ワークショップとかセミナーとかやってますが、内容的には「メンタル」「心」「スピリチュアル(霊性)」に関することです。
僕は何度か「幸せになりたかったら質問をやめること」と、発信していたこともあり、僕自身が厳しく思われているのか(笑)、あまり「安易な質問」されることってないです。
現に、昨年から始めた「探究クラブ」というサークルでは、週に一度、オンラインで瞑想会を行い、質疑応答も自由ですが、皆さんその辺をわかっていて、あまり質問がなくて逆にさびしいくらいです(笑)
でも、その中で弾き出される、インスピレーションに似た質問は、僕の心を打つものも多く、僕自身の鏡として、我が事として真剣に精査し、質問に答える、というより、一緒に考えることができます。
どうして僕が「安易な質問はしない方がいい」と言うにはいくつか理由があって、まず一つは、
「安易な質問」の対となるエネルギーは、「安易な答え」になりがちだということ。
人はすぐに「答え」を求めます、正解を得て、自分の願望をいかにして安易に達成するかを知りたい。でも、安易な答えって、どうしても安易で「その場しのぎ」「対処療法」なものが多くなります。
ただ面白いのが、そういう安易な質問でも役に立つケースがあって、それはその質問を「共有」する場合です。公開されて、他の人にもその応答がある場合。なぜか質問者よりも、むしろ他の人に響く、ということはあります。そのコミュニティなり会合に、コミットしているほど、そういう「流れ弾」で、深い洞察が起きたりします。
それともう一つ、安易な質問をする人の特徴として「本当は自分で答えを知ってる」ということが多いというのもあります。
本当に知ってる場合もあって、「背中を押してほしい」、もしくは「止めてほしい」の場合もありますが、一番多いのが「期待した答えを言ってほしい」です。
その場合、こちらがどんなに真剣に答えても、その期待にそぐわなければ、まずそういう人はアドバイスを実行しなかったりもしますね。
これは僕が長年、自分自身や、同業者から多数のリサーチを取ったものなので、大筋は合っていると思います。大体、この業界で「あるある話」で通用します。
僕が「安易な質問」をしない方がいいと思う理由は、単純に「自分でも考えようね」っていう提案なんです。質問するな、相談するなって言ってるわけではないです。
で、今度は回答者、もしくは、メンターなり講師なりの立場としての考察。
安易な質問に、安易な答えを出して提示したり、ただその場で慰めるように寄り添うだけでは、その人のポテンシャルを奪いかねない、と思うのもあります。
もちろん、相手は何らかのお悩みを持っているのは事実ですが、相手の「考える時間」を奪うことがおかしいと思います。その人はその人なりに真剣に自分の人生に悩み、コミットし、アプローチすることで成長し、自立します。
僕はよっぽど切羽詰まった人以外は、すべての人は「自分でやれる人」だと思っています。
よっぽど切羽詰まった…、というのは、今にも餓死寸前、っていう状態です。そこではただちに救済の手を差し伸べるべきです。
しかし、そこで例えば食べ物を差し上げる限り、その人はほぼ確実に依存します。だからある段階で「自立」を促す態度が必要です。だから、餓死寸前から脱却したら、「魚の捕り方」や「農作物の栽培法」を伝えるのです。
ただやっかいなのが、講師側が、そこで自分の承認欲求を満たしているケースも多々ある、という事実です。
安易な答えを伝えたり、ただただ寄り添ってその場で慰めることで、人から頼られ、感謝され、ちやほやされる。
これって麻薬です。お互いにとっての。共依存関係になります。
だから、もしも有料でメンタル系のサービスを受ける場合は、本当に相手をよくよく選んだ方がいいのです。そして、あなたがそういうお仕事をする場合、自分の中に「感謝されたい」というエゴを、早急に見つけないと、あとになってから面倒なことになります。
なぜなら、対処療法では根本的な治癒はなく、双方にとって、恒久的、普遍的な幸福というのもに辿り着くことを、逆に阻害するからです。
さて、こんなツイートをしましたが、
「相談」という名の下の「愚痴」を言う人っていますよね?
愚痴って不思議です。いくら言っても何も解決しないことは本人もわかっているのに、とにかく言ってしまう。
後半では、人間社会に蔓延る「愚痴」について、言いたくなった時の自分への対応と、聞かされた時の他者への対応を掘り下げようと思います。
「愚痴を言いたくなった時と、愚痴を聞かされた時の対応」について
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