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クリスマスを祝おう。

メリークリスマス。今日は無料記事です。

この時期、我が家のリビングには「クリスマス・ツリー」を飾ってる。12月の中旬くらいから、年明けくらいまで出しっ放しだ。

例年の行事だけど、うちの息子も、もう6年生。小さい頃と比べて、こういうのにいちいち喜びをあらわにはしない。プレゼントだって、幼い頃とくらべ、サンタに対して、懐疑的を越して、いい加減色々と考えているだろう。親としては、我が子の成長を感じる出来事でもある。別に寂しいとは思わない。そんなもんだと思うし、それが真っ当な感覚だろうと思う。大人になってから、彼自身が、誰かのサンタクロースになればいい。

先週、「そろそろクリスマスツリーを出そうか?」と息子に尋ねた。すると「んー、・・・別にどっちでもいいよ」と、あまり乗り気ではなさそうだった。ゲームやってる時に話しかけたってのもあるが、年々、この反応が弱くなるのを見て取れる。保育園とか通ってた頃は、すごく喜んだものだ。その時の記憶は、多分オレは一生忘れないだろうな。

今年、オレも正直(もういい加減、飾らなくてもいいかな)と思ったん。い実際、けっこう面倒臭い作業ではあるのだ。しかし、“子供がいるうちだけだから、面倒でも飾ろう。クリスマスを盛り上げよう!”と思って、一人で物置からクリスマス・ツリーの入った箱と、飾り付けや電飾を詰め込んだ紙袋を引っ張り出した。

結局、オレが準備を始めると、嫁も息子も手伝ってくれて、例年通りに、クリスマスツリーを部屋の角に置いた。やはり、あるとないとでは、クリスマス気分はだいぶ違う。飾ってよかった。

息子が学校に行った後、嫁さんにオレはこう言った。「こうやってクリスマスツリーを飾るのも、息子が子供のうちだけだからね」と。

すると嫁は「え?なんで?」と、きょとんした。(毎年、自分からやろうとしないくせに笑)話しをしてみると、嫁の中では、息子が大きくなって、巣立っても、“ツリーは毎年飾るもの”と思っていたと。

オレは、なんだか不思議な気分になった。そして、自分自身に驚かされた。てっきり、『家でクリスマス・ツリーを飾る』=『子供がいるから』と、思い込んでいたのだ。

(そうか、大人だけでも、年寄りだけでも、クリスマスツリーがあってもいいじゃん!)

なんでそんな当たり前の考え方ができなかったのか?多分、自分の生まれ育った環境は大きく影響していると思う。

子供の頃、実家でもいつもクリスマス・ツリーを飾り、夜は母がご馳走を作り、ホールのケーキを買って、パーティー気分で、子供の頃の一大イベントだった。きっと、多くの人たちがそうだっただろう。

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しかし、三つ年上の兄が中学生にもなると、兄は友人と過ごすので、夜はいない。オレと、母と父。なんだか一気に、寂しい感じのクリスマスイブになった。

そもそもオレも小学生の高学年には、プレゼントも「お小遣い」だったし、(サンタを一度も信じたことがない)その頃にはもう、ツリーも飾らないし、そういうお祝いモードって感じにはなってなかった。

そして、オレも中学生になると、兄のように、友達とパーティーをするのが当たり前になり、そこから例年、イブの夜は友人を自室に集め、仲間たちとのパーティーになった。

その頃には当然、家の中のリビングスペースには、クリスマスらしいものは何一つなかったと思う。親は、世間がクリスマスで浮かれているのを傍目で見ながら、いったいどんな気持ちだったんだろう?

オレが中二の頃には、母が病気になり、ますます、そんなものから遠ざかったような気がした。テレビでは、クリスマスの話題で溢れ、クリスマスソングが流れていたが、病気の母と、お金がなくて詫びしい家と、反抗期を通り越して、親を「憎む」オレ。家にいて、クリスマス・ソングが聞こえるたび、滑稽としか思えなかった。

しかし、今回の自分の家族とのやり取りで、あの頃の自分を思い出せた。それは「寂しかった」という気持ちだ。当時の想いに気づいた。

中学生になってからというより、やはり特に子供の頃だ。

実際は、兄が中学生になる少し前くらいにはもう、我が家での“クリスマス”というイベントは、どこか冷えた感触があった。母が作る骨付きチキンじゃなくて、「ケンタッキー・フライドチキン」だったし、ケーキも、ホールじゃなくて、個別の物を一切れずつ買っていた。

完全に、家族でクリスマスを祝うというムードはなくなっていた。オレも、どこか少し冷めた子供だったので、特に不満もなかったし、なんでも受け入れるタイプだったから、「あ、そうなんだ」って、現状を受け止めた。

しかし、本当は、寂しかったんだね。もちろん、それすら体験したことがな人にとっては、羨ましいだろうけど、とにかくオレが子供の頃、家族でクリスマス・パーティーなんてものをしていたのは、小学生の低学年の頃までだったと思う。

それ以来、実はどこかオレは、クリスマスというものに対して、どこか冷めきっている視点がある。正直、何が楽しいのか、よくわからなかった。イベントにかこつけて、女の子と過ごしたり、仲間と騒いだりするための、「商業主義の策略」とさえ思っていた節がある(笑)。サンタクロースのあのコスチュームも、コカ・コーラ社が考えたキャラクターだしね。

いや、正確な意味合いというか、クリスマスの本来の意味は「イエス・キリストの誕生日」だということは知っていた。なぜならオレはキリスト教の幼稚園であり、幼い頃は、いつも幼稚園で盛大にクリスマス会をやって、イエス生誕を祝った。家でも、他の家族はそんなことなかったが、オレは一人、クリスマスにはイエスにお祈りをしていた。こちらの書籍↓

でも書いているが、神を一度信じれなくなった中2の頃まで、それは続いていた。

自分が家族を持ち、子を持ち、41歳になって、あの頃の気持ちを思い出した。気づけてよかった。来年からも、クリスマスを祝い、楽しみたいと思う。家族で、夫婦で。もちろん、一人になっても、祝福し、祈る。

メリークリスマス。世界に幸せが訪れますように。


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