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目醒めの言葉。 「私たちはこの世界で「得る」ために生きるのではなく、手放すことが目的だとしたなら」

☆2022年1月16日(日)LIVE「メディテーション・ミュージック」

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会場LIVE終了後の「直会(なおらい)パーティー」参加 ⇨ S席
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どうして人は生まれ、生きるのか?

この問いには宗教的な答え、哲学的な答えや、刹那的な答え、様々あるだろう。

しかし多くの人が、この人生で「得る」ことを主体にして生きているのでは?

それは「物質」だったり、特定の「関係性」だったり、なんらかの「能力」だったり。

とにかく生きる上で、“今持ってないもの”を“得る”。そのために人は思考し、その人なりに努力をする。

しかし、実際にそれを得てみると、満足の後にすぐにやってくるものは、さらなる枯渇と、「もっと欲しい」「もっと得られる」というさらなる欲求であり、さらには、苦労して得たものを「失いたくない」という執着を感じる。

そのような境地に立って、その無限ループに気づいた者たちは、少し違ったアクションを起こす。

ある者は教育者として、後見を育て、自分が得ることよりも、「人に得てもらう」事に喜びを見出す。

またある者は、持っているものを寄付や奉仕をして、無い者達に与える。

しかし、その行為の結果として、彼らはまたさらに「得る」のだ。何故なら「与えたものを受け取る」のが世界の法則なのだ。

そして今度は「もっと与えて欲しい」という声にも応えるようになり、さらに与え、得る。

さらなる無限ループが始まる。

しかしそれは悪い気持ちはしないどころか、人から認められ、必要とされる事に喜びを覚え、快感を感じる。

ほとんどの人がそこで止まる。満足度の高い人生であり、多くの人が羨み、人間社会における「成功者」という事例とされる。

しかし、そこで止まらない者達もいる。

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