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情報の『本質』より『誰』が言うか?で、我々は判断をしてしまうが、それは公平な視点ですか?

お知らせ。9月4日。ライブイベントです。

リアルに体感する、音の渦。少人数でゆったり味わえます(笑)残り10席程度。音の力が世界を変える。

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あなたはジャッジ(判断)をする。そりゃそうだ。自分に関わるすべての事象に、「良い・悪い」「正しい・間違い」「美しい・醜い」などを判断し、もちろん『正解』を選び、それに基づいて行動をするだろう。

「明日雨が降ります」という何気ない情報にしてもそうだ。あなたは雨を見越して計画を立てるだろう。シーツを洗濯して外に干そうとは思わない。

時事ネタだと「コロナは危険」や「コロナはただの風邪」とか。「世界が滅びる」とか「世界は救われる」でも、なんでもいいが、どんな情報や意見に対しても、あなたはその情報・意見を、あなたの中で判断する。

しかし、あなたの人生に重要なのは、それらの『情報』ではない。つまり、あなたが見聞きした「意見そのもの」や「考え方そのもの」ではない。あなたにとって大事なのは、あなたの『判断』であり、あなたの『選択』である。

天気の話がわかりやすいのでもう一度例える。「明日は雨」という情報を、あなたが気象庁発表の『天気予報』からの情報なら、「信頼」して、明日は雨だと信じるだろうが、もしも3、4歳の子供が「明日は晴れだよ〜」と言ったらどうだろうか?

あなたは、その子供の言うことを信じるだろうか?しかし、天気予報は雨。

こうなると、あなたが信じるのは『明日の天気』ではない。あなたは『気象庁』を信じていることになる。

何が言いたいのかというと、天気予報なら小さな話だが、あなたの人生の大事な局面を決める際に、そのために仕入れた情報に、『偏り』がないか?ということだ。

もう一度言うが、大事なのは「情報」ではない。

あなたが何を信じているか?

なのだ。

例えば、「マスクと手の消毒で感染防止になる」という意見がある。これは、マスメディアが流している情報。しかし、

「マスクの繊維ではウイルスを防ぐ効果も飛沫を防ぐ効果もほとんどなく、消毒は手の常在菌を殺すだけで、良い事はあまりない」

と、ネット情報ではこれらの情報がたくさんあるよ、という俺(ケンスケ)の意見。

あなたが信じる意見は、“ケンスケ”と“テレビ”の「信頼感」で大きく左右されているということだ。何が正解か?ではなく、あなたが何を信じるか?

あなた自身の意見を持つ前に、耳に入った情報は必ず、あなたの自我を経由する。あなたが潜在的にマスメディアの言うことを信じていれば、「マスクつけよう」と選択するだろうし、俺のことを信じれば(もしくはマスメディアを信じていなければ)、俺の意見に賛同するだろう。

あなたはこう反論するかもしれない。

「そんなことありません!私は自分で考えて判断しているんです!」

しかし、その判断基準の前段階の話をしている。それほど、なんらかの情報が入ると、我々は一瞬で判断を下しがちなのだ。完全に「公平」に見るというのは、とても難しい。

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