Sound & Art

紙媒体で出版していた「エルヴィス・サウンドマガジン」のウェブ版です。エルヴィスの曲を1…

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紙媒体で出版していた「エルヴィス・サウンドマガジン」のウェブ版です。エルヴィスの曲を1曲ずつ取り上げ、サウンドを中心にマニアックな記事をお届けします。加えて、ここでしか聴けないモノラル曲のDESステレオ版も毎回公開予定です(有料記事も含みます)。どうぞよろしくお願いいたします。

最近の記事

「オー・ハッピー・デイ / Oh, Happy Day」〜リハーサルだけでは本当にもったいない名唱!(1970年)

1968年12月、NBC『カムバック・スペシャル』が成功を収めると、エルヴィスはコンサート・ステージへの復帰を切望しました。それは実に8年ぶりのことで、舞台に選ばれたのはラスヴェガスのインターナショナル・ホテルでした。1969年7月から8月にかけての第一回ヴェガス長期公演は圧倒的な成功を収め、それを見たパーカー大佐は、1970年の初頭、ある企画を思い付きます。それはエルヴィスのコンサートを映画に撮って公開することでした。このプランはただちに実行に移され、5月にはMGMとの契約

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    • 「いかす生活 / What A Wonderful Life」〜60年代初頭のエルヴィス・サウンドを作ったエンジニア、ビル・ポーター技師(1961年)

      今回は、60年代初頭にエルヴィスのレコーディング・エンジニアを務めたビル・ポーター技師(Bill Porter : 1931 – 2010)についてご紹介します。ポーター技師はマルチ・トラック・レコーディング導入前の“一発録り”録音で素晴らしい手腕を発揮し、ナッシュヴィル・サウンドを作り上げた人物の一人として知られています。その卓越したミックスは今聴いても何の遜色も無く、むしろ新鮮に聴こえるから不思議です。ポーター技師は、エルヴィスのレコーディングでは1960年の『Elvis

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      • 「監獄ロック / Jailhouse Rock」〜初めてエルヴィスと対面したリーバー&ストーラー(1957年)

        「ハウンド・ドッグ」の大成功により、エルヴィスの楽曲を管理していたフレディ・ビーンストックは、何とかしてリーバー&ストーラーから新しい楽曲を手に入れようと必死に努力しましたが、なかなか曲が得られませんでした。ようやく彼らが持ってきたのは、2年前に別な歌手に歌わせて不発に終わった「ラヴ・ミー」だけでした。リーバーとストーラーはこの曲を自分たちの最大の失敗作だと思っていましたが、エルヴィスはこの曲を自分の解釈で見事に歌い上げたのでした。気を良くしたリーバーとストーラーは、翌195

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        • 「ブルー・スウェード・シューズ / Blue Suede Shoes」〜不死鳥のごとく復活した『'68 カムバックSP』(1968年)

          1960年代後半、エルヴィスの人気は下降の一途をたどっていました。年に3本のペースで作られていた映画もどれも内容的に似たり寄ったりで、商業的にも悲惨な状態へと追い込まれていました。シングルはトップ40にも入らず、アルバムもマンネリ化したサントラばかりで、音楽的に評価されるものはほとんどありませんでした。頭を悩ませたパーカー大佐は、NBCテレビと1時間枠の特別番組制作の契約をします。エルヴィスが生の観客の前に立つことは7年振り、TV出演自体は1960年3月の『フランク・シナトラ

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        「オー・ハッピー・デイ / Oh, Happy Day」〜リハーサルだ…

          「ハウンド・ドッグ / Hound Dog」〜初ヴェガス公演失敗の挫折から生まれた大ヒット!(1956年)

          1956年4月24日から5月6日、エルヴィスはラスヴェガスのニューフロンティア・ホテルのヴィーナス・ルームでショーを行ないますが、ラスヴェガスはエルヴィスにとってはまだ場違いな場所でした。結果的に出演契約は前倒しで打ち切られ、エルヴィスは初めての挫折を味わうこととなります。しかしながら、このラスヴェガス公演からは副産物が生まれました。ある晩エルヴィスが仲間達と街をぶらついている時に、フレディ・ベルとベルボーイズが、ブルース曲「ハウンド・ドッグ」を新しいアレンジで演奏しているの

          「ハウンド・ドッグ / Hound Dog」〜初ヴェガス公演失敗の挫折から生まれた大ヒット!(1956年)

          「シェイク・ラトル・アンド・ロール / Shake Rattle And Roll」〜ドーシー・ショー:衝撃のTVデビュー(1956年)

          それは、冷たい雨が降るニューヨークのブロードウェイの夜のことでした。1956年1月28日、場所は53番街と54番街の間にあるTVスタジオ。その出来事とは、ポップス界ではまだ無名のシンガーの全米ネットワークへの初登場でした。名前はエルヴィス・プレスリー。並外れた才能を持ってはいましたが、それを全米の視聴者に披露することに不安を覚えていました。ニューヨークで成功するのは至難の技だったのです。今まで南部で活動してきた彼は、彼の音楽に対して全く予備知識のない観衆を前にしなければなりま

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          「シェイク・ラトル・アンド・ロール / Shake Rattle And …

          「マイ・ハピネス / My Happiness」〜4ドルで作った最初のプライベート・レコード(1953年)

          ヒュームズ・ハイスクールを卒業し、就職活動中だった18歳のエルヴィスは、ハイスクール時代の6人の級友たちとメンフィスのダウンタウンをブラブラしながら夕方を過ごすことが多かったようです。そんな時、エルヴィスはいつも、自分がどれほど歌手になりたいかを熱く語っていたといいます。特に親友のエド・リーク(エドウィン・S・リーク)には、ユニオン・アヴェニュー706番地にある地元のレコーディング・スタジオに行くつもりであることを何度も話しています。自分の声がレコードではどんな風に聞こえるか

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          「アイ・ガット・スタング / I Got Stung」〜メンバー一新!兵役中に行なわれた一夜限りのセッション・その2(1958年)

          1958年6月10日、RCAの要望に応じて、既に兵役中だったエルヴィスの休暇を利用して行なわれた一夜限りのセッションの続きです。メンバーを一新して行なわれたこのセッションは、今までに比べ格段にレベルが高く、時期的にも音楽面でも、50年代から60年代へとエルヴィスをつなげる重要なセッションでした。ジャズ畑の古いタイプのドラマーであったD.J. フォンタナに加えて、8ビートでグルーヴできるバディ・ハーマンが参加し、さらに、カントリー系ギターのスコティ・ムーアに代わって、よりソリッ

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          「アイ・ガット・スタング / I Got Stung」〜メンバー一新…

          「ラヴィング・ユー・ベイビー / Ain't That Loving You Baby」〜メンバー一新!兵役中に行なわれた一夜限りのセッション・その1(1958年)

          1958年3月、ニュー・オーリンズでのロケで『闇に響く声(King Creole)』の撮影を終えたエルヴィスは、24日にメンフィスの徴兵局を訪れ、他の若者たちと共に米国陸軍軍人としての道のりを歩み出すこととなります。最初の任地はテキサス州のフォートフッドで、半年間の基礎訓練が始まりました。4 月に「思い出の指輪(Wear My Ring Around Your Neck)」がシングルとして発売されヒットしていたものの、RCAレコードは、入隊後のエルヴィスの人気をいかに維持する

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          「ラヴィング・ユー・ベイビー / Ain't That Loving You B…

          「アイム・ア・ラウストバウト / I'm A Roustabout」〜38年振りに陽の目を見たタイトルソング(1964年)

          今回は、エルヴィスの1964年のパラマウント映画『青春カーニバル / Roustabout』、そしてこの映画のサウンドトラックからお蔵入りとなり、40年近く経ってようやく陽の目を見ることとなったもう一つのタイトル・ソング「アイム・ア・ラウストバウト/I'm A Roustabout」についてじっくりとお話ししたいと思います。 映画『青春カーニバル / Roustabout』(1964年) 原題である『Roustabout』とは「雑役夫」とか「肉体労働者」とかいう意味で

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          「アイム・ア・ラウストバウト / I'm A Roustabout」〜38…