【 無口(むく)論考 】
「無口」ではないかと疑われたことがある。
初めての子を授かった時、妊娠中毒症で陣痛促進剤の助けを借り予定日の翌日、娘を出産した。
4月なのに雪が積もったとても寒い日だった。2336gのとても小さな子で、2~3日保育器に入っていた。
ほとんど泣かない子だった。
泣いても蚊の鳴くような小さな声で、周りがザワザワしていたら誰にも気がつかれないような、そんな赤ちゃんだった。
よく眠った。
白くてまん丸の頭で、目を開けた姿は観音様の様だった。
義母から、
「この子は無口ではないか?」と心配されたのにはびっくりしたが、本当に大人しい子だった。
自分の小さい頃を思い起こすと、おなじDNA だなと思うことがよくある。
まだ母親として初心者マークの付いていた頃、車の後部座席のチャイルドシートに括り付け、1時間近く泣かせたことがある。
自分一人で運転して川沿いのひたすら一本道を走っていた。夕暮れ時だった。
いつもは大人しい子が、小さな声でひたすら泣き続けた。
何度か車を停めて、お腹が空いたのか?オムツは濡れていないか?身体の異常はないか?確かめると、一瞬は泣き止むが、車を走らせた途端また泣き出した。
かける言葉を失っていた。
自らも疲れていた。
小さな声で泣き続ける娘と一緒に自分も泣きながら車を運転して帰路を急いだ。
今、思い起こすと、そんなに家に帰るのを急がずにゆっくり抱っこして一緒に夕暮れを眺めてあげればよかったと悔やまれる。
自分が高校受験の時、6歳違いの姉が代わりに喋ってくれた。
自分の思いを口に出す勇気がなかった。姉の言葉がそのまま自分の言葉だった。姉の言葉通り私立の女子校に進んだ。
娘にも言葉がなかった。
親の言うがまま、私立の中・高女子校に通い続けた。周囲の良かれという思いが娘を黙らせたのかもしれない。
結婚して一度、大正生まれの義父から
「女は黙っとれ!」
と言われた。
ほかの雄弁な女性に比べると、何も意見を発していない大人しい嫁だと自負していただけにショックだった。
それからも極力自分の言葉を押し殺して来た。語彙が少ないのはそんな環境に依るところもあると思っている。
言葉を発しなくてもわかってくれるはずだ。との思いが覆された時、自分の言葉を探し出した。
つい最近のことである。
この歳になってやっと「言葉」の大切さに気づかされ、その「言葉」の裏側にある思いを相手にわからせるだけの語彙力が欲しいと考え出した。
私たちの世界は「言葉」に支配されている。
私たちの世界は、「嘘の世界」である。
言葉と事実の「接触面」は汚れている。
言葉のルールや本能の本質を知り、それを使いこなせる人間が、「嘘の世界」の支配者になる。
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