“読も” 2022年7月度 第6回|アサノレインコート
ART HOUSE閉店まで残り2か月
そのタイミングで、のりおから今回は実名でブログをお願いします。と連絡があり、閉店発表からもうそんな時期まで来たんやなーっと思いました。
ART HOUSEへの想いを綴ってください!
と言われたんやけど、なかなか言葉にする事が難しい性格なので、支離滅裂むちゃくちゃな文章になってしまうかもしれないけど、最後まで読んで頂ければと思います。
僕がART HOUSEに出演し始めたのが、18歳の頃で、今は34になり成人アオハルのほとんどをアートと共有した事になりますねー。
アートハウスの登竜門、卵爆裂イベントで初めて出て、そこでまだ働いてた、たいさんに見てもらって、『お前めっちゃえーやん、ちゃんとバンド組んでやれよ』って、褒められたら褒められる分だけ喜んでしまう僕が、それをきっかけにcro、AO、IRO、と名前だけ改名しまくりで初めてバンドを始めました。
そこで、アートハウスに出演してるcibo(しーく)しょうごとかアトリエ(ヒエログリフ)田中マンとか、アイアム(ロッカクジインチ)やたかな?当時は、ギラついてて、田中まんの前で大泣きしたり、じんちとまじゲンカしたり、しょうごはめちゃバカにしてくるしみたいな、感じ
とかとか、いろんな大切な仲間も出来て、先輩も後輩も、人生の中で1番出会いがある場所でもありました。
アートハウススタッフにもほんまに僕が1番お世話になってんちゃうかな?って思うくらい甘やかしていただきました。
大蔵海岸でのアートBBQの時にお金が底をついて、『居酒屋で働いて帰れ』ってしょーぴに言われてほんまにみんな帰った時もまじ泣きしました。まじでここから出られへんやん、どしよ?ってなってカウンターでまずは大将と仲良くならな思ってめっちゃコミュ力発揮したんも良き思い出です。
いろんな事を教えてくれたアートハウス
仲間と一緒に汗をかいたのもアートハウス
朝まで笑いあって、記憶なくすんもアートハウス
こんなライブハウスが他にありますか?
ほんまにたくさんお世話になりました!ありがとうございます!!
新しい場所でもそんな箱になるであろうと確信してますので、
とりあえず、
一旦ほんまのとりあえず、
まっじでお疲れ様でした!!!!
最後までお読み頂きありがとうございました!!
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