見出し画像

“読も” 2022年7月度 第17回|i am you are

「アートハウスへの想い」
 
 
i am you areのボーカル、小河です。
これまで幾度となく匿名ブログへの投稿を行ってきた。
自分では面白いと思った事を他人へと伝える、その難しさを投稿の度に痛感する日々。
長ったらしく難しい言葉を並べつつ、聡明を気取りながら書いた文章も多々あったと思うが、それでも懲りずにお読みいただいた方々がいた事実に感謝している。
 
 
今回のタイトルはアートハウスへの想い、との事だった。
何を語れば良いのか皆目見当もつかないが、取り急ぎ書き始める事にする。
 
 
私が神戸アートハウスへ行き始めたきっかけは、多分MAMA DRIVEだったのではないかと記憶している。
加古川にあるSTAR DANCEというライブハウスに通っていた高校時代を経て、神戸学院大学という超一流大学へと入学した18歳の頃だった。

私は当時、STAR DANCE以外のライブハウスへほとんど行ったことが無く、先輩に誘われるがまま大阪のセカンドラインや、当時存在した難波ロケッツへと数回行った事があるレベルだったのだが、どうにも自分が大阪のライブハウスで活動している想像がつかず、もう少し身近な神戸を活動拠点とするに至った。
 
 
神戸には当時マージービートやバックビート、ブレス、スタークラブなどがあり、そのどれもが魅力的に見え、それでもやはりバンドをやるからには「ホーム」と呼べるライブハウスが必要なのではないかとうっすら感じていた。
 
 
神戸学院大学。
この大学に行き、フォークソング部という部活に入部した事によって、私の運命は大きく動き始めたと思う。
 
 
新入生歓迎会のライブで、当時MAMA DRIVEとして活動していたベースボーカルのシブヤマサコ、飲んだくれ&人見知りギターのササカワマイカ。
そしてキミノファルセットというバンドで活動していたドラムス、原田賢。

この3人が、トリコロールというバンドのコピーバンドをしていた。

正直に告白すると、私はその瞬間にベースボーカルのシブヤマサコに一目惚れし、フォークソング部への入部を決意した。
こんな格好良い人がいる部活なら、きっと自分の音楽人生も豊かになるだろう、そう考えていた。
 
 
 
 
しかしその夢は、1回生の夏合宿で見事に打ち砕かれる事となる。

時を同じくしてVoice0というバンドで活動していたフシミさんと、ササカワマイカは、非情なるサディスティック、人ならざるエグイ性格を持ち合わせており、ポテトチップスを汚い畳にばらまいては「食え」というような人達だった。

そのポテトチップスを畳に食らいつきながら食べ、そのあとベランダで吐くという遊びを私はしていたわけだが・・・

そんなこんなあり、失望しつつも心と体はすっかりフォークソング部となってしまった私は、この4年間を人生で一番楽しかった時代として心に刻んでいる。人間という生き物は不思議だと思う。
 
 
話は戻り、そのササカワマイカに連れられて、神戸アートハウス店主の西本昇平氏の家へとお邪魔した事が、神戸アートハウスに出演をするきっかけとなった。
 
 
 
西本氏の細君であるエナさん。
彼女はもともとユラインというバンドで活動をしていた。
その後、バンドをやりたいという気持ちがあり、現在アルカラでベースを弾いている下上氏、MAMA DRIVEでドラムを叩いていた、ただただでっかいだけの人間オオギマナブをメンバーに迎え、あとはギターだけを探している状態でMAMA DRIVEのササカワマイカへと声がかかった。

しかしササカワマイカは生粋のネガティブであり、「私よりギターを弾ける人がこのバンドに入るべきだ」という謎の使命感をもって、小河をエナさんのバンドへと加入させようとしていた。

そんな事もあり、西本氏とエナさんが住む愛の巣へと乗り込んだ。
ただただ酒を飲み、当時はまだお子様もいらっしゃらなかった為、本当にただただ酒を飲んだ。

明け方になり西本氏がライブハウスの仕事を終えて帰宅する。
自宅に見ず知らずの若者が、自分の妻と酒を飲んだくれている。
その光景を見ても笑顔で、「誰やねんお前」と言う西本氏。寛大である。

その後は賞味期限をとっくに過ぎた腐ったマッコリをしこたま飲まされ、撃沈。
そして今に至る。

エナさんとのバンドは、「アンダゴ」という名前で活動をしていた。
ちょうどアルカラが上京する直前までライブ活動を細々と行う事となる。

ベースの下上さんはドラえもんが好きで、スタジオの度にデカビタを飲んでいた。

アンダゴ最後のスタジオで彼が「アンダゴをやれて、ベースの楽しさに改めて気づいた」的な事をデカビタを飲みながら熱弁していたのを「かわいいな」と思いながら見ていたのは秘密である。もしかしたらその時はビックルを飲んでいたかもしれない。
 
 
 
神戸アートハウスでバンド活動を行い、初めてツアーに行った。
神戸アートハウスでたくさん全国の友達が出来た。
神戸アートハウスで地元がもっと好きになった。

私にとっての神戸アートハウスは、一言で表すと「愛」だった。
人知れずいろんな人と抱き合って、いろんな人と擦れ違い、いくつもの夜で千鳥足になって、それでもまだ私は神戸アートハウスで息をして歌を歌う。

これから名前や形が変わってしまっても、それでも私は西本氏やノリオをはじめとして、ハコを守り続ける人達に尊敬の眼差しをもって、変わらず酒を飲み続けるんだろうと思う。

きっと、10年後もまた笑いあって、音楽が出来ていたらと切に願う。

私とあなたで、大好きな場所を、大好きな場所にし続けましょう。
今までありがとう、神戸アートハウス。そしてこれからもよろしく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?