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喜びも悲しびも みんな生きたい

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口には出せなかったけれど  心が折れそうな危うさの中で 私たちは 同じ風景を眺めた 青い海を見ているの?  白いカモメを眺めているの?  あの日 ここに私たちがいた  そのこと… もっと読む
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#京都

青く滲む 「しみ」に極楽浄土を見た

左右対称のインクの「《し》沁み」を応用した心理テストがある。 図版が何に見えるか、何を想像するか 、表現した内容を分析することで、人の思考過程やその病理を解釈する人格テストである。 実は昔、そのテストを私は受けた。 大学生の時であった。心理学専攻の院生が修士論文や博士論文を執筆するために行う実験の被検者として。 実験に協力すると自身の履修科目の出席日数にポイントが還元される。催眠療法のそれになったこともあった。 今思えば、モラトリアムで不真面目な学生だった(と思う)

いつの日か、きっとまためぐり逢える。

大切な「人」、大切な「もの」たちとの別れは 私たちに深い哀しみを与えます。 ひとりぼっちでいることが こんなに辛くて寂しいものであるとは思いもしなかった。 「残されたものはもう何もないんだ」と、 膝を抱えてうずくまっていた私に 君の懐かしい声が聞こえてきたんだ。                    「懐かしいことば・眩しい光」 「いつの日か、きっとまためぐり逢える」 君が教えてくれた 君からのギフト。                          道

二十年目の貼替え

写真(↑)は私の好きな寺院の障子です。 泉涌寺の塔頭雲龍院の雪見障子です。 私の京都寺社巡りのきっかけを作ってくれた景色なんです。 四角い小さな窓から、椿、灯籠、紅葉、そして松が見え、4つの宇宙が織りなす四季折々の風情を堪能することができます。 私はシンシンと雪が降って、手漉き和紙の白さが一段と増す寒中がやっぱり一番好きです。 元来、私は障子を通過する柔らかな光に包まれたちょっと暗めの空間に身を置いて、静寂を味わうのが好きでした。そこに伽羅のお香が漂ってくればパ

蝉の産声を聞いた(!?) 耳鳴りな日々。

うっとこの旦那はん 二十数年来 耳鳴りに往生したはりますねん。 ちょうど附属病院で仕事しはるようになって 暫くしての頃からでおすねん。 右の耳から始まって 今では両方で鳴ってるて言うたはります。  どないしはったんやろ。 「えらい時もあったぁ」言うたはりました。 なんでもシンと静まり返った夜分がそうらしいのどす。 うちらには ようわからへんのどすけど、 気にし過ぎて気ぃ狂いそうになってしまう時もあるそうどすなぁ。 耳鳴りは「耳の鐘」とか言うのやそうどすけど