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特別公開:坂本龍一さんインタビュー「明日の見えない時代に、耳を澄ます」(2011年9月)

去る3月28日に音楽家の坂本龍一さんが亡くなられました。訃報を目にしたとたんに涙が溢れてきて、それからずっと坂本さんの音楽を聴き、多くの追悼文を読み、テレビ番組や動画を見続けています。

アルテスと坂本さんとのご縁は『三輪眞弘音楽藝術』に推薦のコメントをいただいたときに始まります。その刊行の翌年3月に東日本大震災が起き、同年秋に季刊誌『アルテス』を創刊するにあたって、特集のテーマに「3.11と音楽」を選びました。

応援ソングがあふれ、音楽界でも「絆」が強調される流れに違和感をいだいていたぼくらが、「音楽はなにかの役に立つのか? 音楽家にはなにができるのか? そもそもそんな疑問を持つこと自体に意味はあるのか?」そんな疑問をぶつけてみようとロング・インタビューをオファーしたのが高橋悠治さん、大友良英さん、ピーター・バラカンさん、そして坂本龍一さんでした。

2011年9月17日にニューヨークのご自宅と下北沢の事務所をオンラインで結び、編集部4人で伺ったそのインタビュー記事を、坂本さんの事務所にご了承をいただき全文をnoteに公開します。

現実世界の裂け目に絆創膏を貼ろうとするところに「頑張ろう」の欺瞞がある、といった卓見をはじめ、「音楽家は未来を聴く」など、坂本さんが音楽という表現の根本をどう捉えているかを理解するうえで大事な言葉が多くふくまれています。ぜひご一読ください。


季刊『アルテスVol.1 2011 Winter』紙面より

心の封印を解く音楽の力

──本誌に掲載した岡田暁生さん、三輪眞弘さん、吉岡洋さんのエッセイと討論[2011年7月23日に京都で開催されたシンポジウム「3.11 芸術の運命」から]のなかで、三輪さんは「多くの音楽家、芸術家はおそらく同じことを考えたに違いない。すなわち、被災者の人々にたいして『いま、自分になにかできることはないのか?』ということだ」というある意味ナイーヴな問いと、そのいっぽうで「物理学の理論どおり爆発し、生活空間に放出された目に見えない放射性物質の恐怖の前でそもそも『勇気づけ』たり『癒し』たりする行動が意味をなすのだろうか?」という反問をなさっていますが、じっさいに坂本さんがあのときにお感じになったこと、いまお考えになっていることをお聞かせ願えたらと思います。
坂本 はいわかりました。どこから始めましょうか?
──坂本さんは、この九月に出版されたばかりの大友良英さんの『クロニクルFUKUSHIMA』[青土社刊]に収録された対談のなかで、「9・11のテロの後、しばらく音楽を作る気持ちになれなかった」とおっしゃっています。また、その後、それでも音楽によって癒されたとのことですが、そのときの感覚はどんなものだったのでしょうか。
坂本 そうですね。9・11から始まって、何ヵ月か続いた自分の状態、また世界の状態は、いまだにインパクトが大きくて、忘れられません。やはり恐怖ですね。津波や地震の恐怖とは少し違うもので、誰がやったかわからない、次になにが起こるかわからないというたいへんな恐怖に囲まれて、なんとか自分の支柱、立ち位置を見つけなければいけないと思い、必死になって、おもにネットで情報を探しました。背景は何なのか、誰がやっているのか、目的はなにか......短期間にものすごい量の情報を得て、勉強して、自分のなかで世界像を立て直そうとしたんですね。自分にとっての世界像をもたないと、人間というのは行動できないんです。その世界像というか世界地図みたいなものがいちど壊れてしまった。それをもういちど、つぎはぎだらけでもいいから立て直そうとしたわけですね。そうしてはじめて次の行動に結びつけられる。そういうものなんだなあと感じました。
 そういうときは、とてもじゃないですけど、音楽を作ろうとか音楽を聴こうとか、そんな精神状態にはならなかった。そのことに自分でもびっくりしましたけど、やはり恐怖やショックがあまりにも強くて、壊れた世界像を修復するほうが先だったのだと思います。
──なるほど。
坂本 大友さんとの対談でも言ってますけれども、あれだけ騒々しいニューヨークがまったく静かなわけです。音楽ももちろん聞こえてこないし、車のクラクションを誰も鳴らさない、まるで葬送のような......人間というのは葬送をするときにとても静かになるものなのだなあと、しばらく経ってから気がつきました。というのは、一週間くらいたったとき、マンハッタンのユニオン・スクエアという広場で、誰かがギターでビートルズの〈イエスタデイ〉を弾いているのをふと耳にして、「ああ、この一週間、音楽を耳にしていなかったなあ」と気づいたんです。音楽を聴いていなかったことさえも忘れていたんですね。それが9・11後に聴いたはじめての音楽でしたから、すこし違和感もあり、それを聴いたことで、その一週間がそれだけ静かであったことも知り、それまで音楽を欲していなかった自分の精神状態にも驚き、またそのストリート・ミュージシャンの奏でる〈イエスタデイ〉がなかなか良いもんだなあと(笑)、そのことにも驚き......〈イエスタデイ〉なんていう曲は、自分の人生のなかでは何十回、何百回と耳にしてきたはずなんですけれども、そういう状況の静けさのなかで入ってくる音楽というのは、やはりなかなか良いもんだなあと思ったんです。
 それでも、すぐには自分で音楽を作ろうという気にはなれなくて、一ヵ月くらいは悶々としていたんですが、頼まれていた映画音楽の締切が迫ってきていたので、やっと重い腰を上げてしかたなく作りはじめたのです。いま思えば因縁というか、写真家の本橋成一さんが監督をされた『アレクセイと泉』[二〇〇二年公開]という映画で、チェルノブイリで被曝した村の話なんです。この映画が思った以上にポジティヴに語りかけてきて、なおかつ音楽を作るわけですから、じっさいに自分の指先から音が鳴るんですね。一ヵ月ほどの静寂の後ではじめて音を鳴らす、そういう作業をしていくなかで、人生ではじめてですけど、音に癒されるというのかな、音楽に癒されるという体験をしたんです。ショックや恐ろしさや悲しみを、「悲しい」と表現できるということ、それは「癒し」になるんだと思うんです。
 つまり人間というのは、あまりにも恐ろしくて受け入れがたいことが起こると、「恐ろしい」とか「悲しい」とか表現できない状態になるんですね。その感情を封印してしまう。極端なときは記憶喪失になったりしてまで、封印するわけです。音楽にはその封印を解く力があるんだと、そのときはじめて思いました。自分の音楽が良いとか悪いとかじゃなくて、もしかしたら音楽そのものにそういう力があるのかなということを、生まれてはじめて経験して、ずいぶん驚きましたね。
 「癒し」という言葉は、この討論のなかでも出てきていますけれども、ぼくも大嫌いな言葉なんです(笑)。自分のピアノ曲がヒットしたとき[一九九九年の〈エナジー・フロー〉]に「癒し」などという言葉を使われて、ひじょうに迷惑して(笑)......「癒し」という言葉から感じる欺瞞を、ぼくもいつもほんとうに不愉快に思ってきたんです。そのぼくが癒しを感じてしまったことが、自分で気恥ずかしくもあり、でも間違いなく、なにか強力に封印しロックしていたものが解かれて、感情が外に出てくるということが自分のなかにも起こったので、「こういうことがあるんだなあ」と素直に認めました。
──ちょっと抽象的な質問になってしまいますが、その「心の封印を解く」というのは、音楽がなにかきっかけというか、呼び水のようなかたちで気持ちのなかに入ってくる感じなのか、それとも、もっと物理的な刺激として体の細胞に作用するような感じなんでしょうか。
坂本 音楽というものは、以前は脳のなかの大脳皮質的な部分で作られたり聴かれたりするといわれていましたが、最近の脳科学の研究によると、ずいぶん脳の基底部〜いわゆる爬虫類の脳といわれる、進化の過程ではかなり古い部分にあたる、食欲とか性欲といった生物の基本的な欲求のコントロールを司るところが活発に働くらしいんですね。それを考えると、感情のロックが解かれたというのは、甘ったるい比喩かもしれないけど、子どもにとってのおかあさんの声とかね〜子どもが怖い目にあって「おかあさん」と言ってきたときに、おかあさんが頭を撫でてあげるとか、「だいじょうぶよ」って抱きしめるとか、そういうことに近いのかもしれません。脳の基底の部分を撫でてくれて、ほんとうに鍵を開けてくれる、そういう生理的な感覚ですね。だから、大脳皮質ではないというか、知的なレベルのことではないような気がします。

未来の人間たちが対話してくれる音楽とは

── 一週間ぶりに聴いた〈イエスタデイ〉のなにがそんなに響いたのか、ご自分ではどうお考えですか?
坂本 まず、はじめて〈イエスタデイ〉を聴いたときの一〇代の自分が蘇ってきますよね。もちろん聴く人の歳は違っていて、それぞれの一〇代があるわけです。だけど、それぞれの一〇代にちゃんと働きかけることのできる音楽というのがある。そういう音楽が長く受け継がれていく音楽なのかなとそのとき感じました。そういう力のない、三ヵ月で消費されて終わってしまうような音楽というのも、とうぜんあります。三輪さんではないですが、いまぼくらが手にしている音楽のうち、一〇〇年後の人間も聴いている音楽はどういうものかなあと、ぼくもよく考えます。自分の音楽は難しいかなとか(笑)、それじゃいかん、などと反省しながらもよく考えるんですが......ビートルズは残るだろう、とかね。
──これからさらに一〇〇年残る、と。
坂本 ビートルズは残るでしょう、いくつかの曲はね。愚にもつかない遊びですが、はたして武満徹はどうだろうか、ピエール・ブーレーズは難しいんじゃないか(笑)......そういうことも考えますね。
 「芸術というのは、いま目の前にいる人たちだけではなく、死者や未来の、まだ見えない人のことが計算に入っているか、視野に入っているかの違いなんだ」という三輪さんの視点はとても正しくて、ぼくも共感します。ぼくら自身が、たとえば二〇〇年も三〇〇年も前に死んだ人の音楽をいまだに糧として聴いて育ってきたわけです。音楽だけじゃなくて、文学や哲学や思想もそうですけど、すでに死んだ人たちから滋養を得て、死んだ人たちの残したものと対話しながら育ってきて、いまだにそれを続けているわけですよね。ぼくらが死んだ後に、こんどは未来の人間たちがはたしてぼくらの残したものと対話してくれるだろうかと、よく考えます。
──岡田暁生さんは「危機的状況が訪れると容赦なく表現の真摯さが問われ始める」と書いておられます。ビートルズがつねに真摯だったとは思いませんが、こういう状況になると、その真摯さの度合いがはかられる。受け手の側の価値基準がすごく上がるということもあるかと思います。
坂本 上がりますね。やはりエンタテインメントというか、享楽的な音楽というのは耳にしづらいですよね、そういうときは。今回の9・11の後も、あえて聴くとするとやはりバッハですとか......聴くものの範囲が極端に狭まりますね。やっぱりバッハになってしまうのか、と多少の悔しさも感じつつ、長く残っているものにはそれなりの理由があると。それが岡田さんのいう「真摯」ということなのかもしれません。
 あるいは岡田さんはまた、近代というのは人生の時間でしかものを考えていなくて、近代以前までは神話的な時間、つまり人類の、あるいは宇宙の最初から最後までというような厖大な時間を考えていたということをおっしゃっていますけれども、まったくそのとおりですね。自分たちはどこから来てどこへ行くのかという、人類全体の神話的な時間というのを、ふだんぼくたちは忘れているわけですけれども、大きなテロや災害があると、そういう神話的な時間が蘇ってくるような精神状態になりますから、その時間感覚に合った音楽を求めてしまうんだと思います。面白いことにワーグナーではないんですね。ワーグナーは自分の楽劇のなかで神話的な時間を表現していますけれども、どうしてもちがうなあという感じがします。
 ビートルズは必ずしも真摯に音楽を作ったわけじゃないというのは、まさにそのとおりで、モーツァルトだってそうですね。じつはバッハだって、あんなにたくさん書きましたけれども、「また日曜日が来ちゃうから」といって仕事で嫌々書いている部分も多々あったでしょうね。「こういう音を書くと受けがいいかな」とかね、そんなことも考えていたでしょう。ただ、ロマン派的な「苦悩する芸術家」の真摯さと、音自身がもっている真摯さとはまたちょっと違うものだと思うんです。

死者と遺族に寄り添って邪魔にならない音楽を

──坂本さんは三月一一日には東京にいらっしゃったんですよね。
坂本 はい、東京にいました。
──大地震を体験されたあと、音楽の聴き方や創作において、特別感じたことはありますか?
坂本 三輪さんは「レクイエムなんか作れない」とおっしゃっていて、それにはとても共感しているのですが、こういう事態のときに何ができるか、どういう音楽が可能かということはもちろん考えつつも、いっぽうではひとりの人間として、あるいはひとりの日本人として、どんなことでもしてサポートしたいとも思うわけです。寄付をするだけかもしれないし、現地に行ってボランティア活動をするかもしれないし、人それぞれですが、なにかしたいと思う自分もいるわけです。それで、ニューヨークという場所からでもできることとして、ウェブサイトを作って寄付を呼びかけ、寄付をしてくれた方たちにお返しに音楽やアートをプレゼントしています[坂本龍一、平野友康が発起人となって立ち上げたプロジェクト「kizunaworld.org」のこと]。 じつは、ぼくのところにも「被災者の人たちを励ます音楽を作ってくれ」「それをチャリティにして云々」といった依頼が来たのですが、そういうことはぼくにはまったくできないので、ぜんぶ断りました。
 そこで作った〈kizuna world〉という曲はたぶん9・11以降はじめて自分が世の中に出した音で、それでも震災から一ヵ月以上たっていたと思います。ウェブサイトのためにはじめて曲を作らなきゃいけなくなって、ほんとうにおずおずと「こういうものかなあ」と。「頑張ろう」とか励ましとかじゃないんです。つまり、亡くなった方たちと残された家族に寄り添って、邪魔にならない音楽ですね。ぼくがじっさいに被災地に行ったら、残された家族のところで遺影に手を合わせ、お茶一杯でも一緒にいただきながらしばらく時間を過ごしても邪魔にならない人間でいたいと思います。「あんた帰ってくれ」とは言われたくない。いることで少しはお手伝いできたら、喜ばれたらうれしいと思っています。そのような音楽ですよね。ほんとにいちばんつらい目に遭った人たちが聴いても邪魔にならずに、しばらくのあいだ〜─五分くらいはそばにいさせてもらえる音楽というのかな。ほんとうにおずおずとですけれど、それでやっと始まったという感じですかね。
 三輪さんが問いかけている問題というのは、まったく解決できないし、簡単に答えは出せないわけですから、その問いを忘れないことが大事だと思っています。こういう自然の強大さを、あるいは自然の上に、または自然に囲まれてぼくたち人間が生きているということを、ふだんは忘れていますが、こういうできごとはそれを強烈なかたちで思い出させてくれるわけです。日常に帰っていくと、どうしても意識が希薄になっていきがちですが、ぼくは忘れたくない。そういう状況から出てきた三輪さんの問いは、つねに考え続けていかなければいけないと、ぼくも思っています。

人工環境のなかに裂け目を作ること

──ところで、吉岡洋さんは「一七世紀にリスボンの大地震の脅威をまのあたりにしたカントが、その後『崇高』という理念を打ち出した」とおっしゃっていますが、たとえば音楽の創作、芸術の創造において、あるいは芸術家としての活動のうえで〜ご自分のことでもかまいませんし、もっと長いスパンのことでもかまわないんですが〜これからなにかが決定的に変わっていくというふうに思われますか?
坂本 徹底的に変わらざるをえない人もいるでしょうね。また、日常に戻っていってしまう人も、それはそれでいるような気がします。すべてのアーティストに強制はできないですが、ぼくは大きな問いを突きつけられたと思っています。リスボン大地震のときも、ヨーロッパじゅうでたいへんな論争になったそうですね。ぼくも9・11の後に思い出して調べたんですが、カントが書き、ルソーとヴォルテールが論争しています。
 現代人は自然の前で謙虚であることをふだん忘れています。とくにこの一〇年とか二〇年くらい、岡田さんの言葉でいえば「オール電化の時代」ということになるのかな、そういう人工環境のなかで生きていて、東京やニューヨークのような大都市では、自然があることすら忘れてしまっている。そこで暮らす人にとって必要なのは、昨日や今日と同じように、明日もその人工環境を機能させる電力あるいはエネルギーが供給されることなんです。ちゃんと確保されないと、人工環境は機能しないわけですから。ですからそのような環境に住んでいる人たちは、必然的に保守的になります。原発でも何でもいいから電気をよこせ、経済を停滞させるな、と。
 ただ、あのような大きな災害があると、それがいかに脆いものかということを思い出させてくれる。人間の小ささとか非力感をすごく強烈に味わわせてくれるんですけれども、それは忘れてはいけないと思っています。その人間集団の一部である、ものを作る人間、音楽を作るような人間にとっても、とうぜんそれはいちばん深く考えていなければいけない問題だと思います。
 三輪さんの言っていることに近いかもしれないけど、むしろ、そういう人工環境のなかに裂け目を作って、いつもそのことを忘れないようにするのが、もしかしたらアートや音楽の役目でもあるのかもしれません。古代でいえば、天と地を結ぶもの。宗教儀式もそうでしょうが、それと同じですよね、アートや音楽の役割というのは。
 いまは人工環境に覆われてしまって、その天の部分が見えないわけですから、そこに裂け目を作りだして、ときどき「おまえたちは自然の掌の上でお遊戯してるだけだよ」ということを、自分たちも忘れない、みんなにも思い出してもらう、ということが必要なのかもしれません。
 もうすこし違う言い方をすると、三輪さんは「電力芸術」を問題にしていますが、ほとんど同じような意味で、いまアートや音楽やものを作るあらゆる人間は、どうしても核の問題、原子力の問題をなんらかのかたちで考えていかなきゃいけないとぼくも思っています。核と「ものを作ること」との関係について、なんらかの態度を表明することが求められていると思うんです。
──9・11の後、世界が壊れた、世界地図が壊れたとおっしゃいましたが、それは、岡田さんのように「物語が壊れた」というふうに言い換えることもできますね。
坂本 そうですね。
──そのときに、音楽というものが、壊れてしまった世界や物語を修復するのに役に立つということはないんでしょうか?
坂本 それは、役に立つと思っている人がいるから、やはり「頑張ろう、頑張ろう」というふうにやるわけですよね。破れてしまった地図を、絆創膏を貼ってでも元どおりに戻そうとするわけですが、岡田さんが言うのは、もともとそういう世界像自体が虚構なんだということですよね。それは近代世界が夢みてきたものであって、近代の少し前の時代を知っているゲーテは、それを噓くさいと言って見ていたと。そういう近代の世界像、あるいは人工環境という夢が少し綻びちゃったので、「頑張ろう」と呼びかけるCMを作ったり、音楽を作ったり歌ったりして、その夢をもういちど見ようとするわけです。
 でも、それはダメですよね。むしろ、悪いのは夢だったんだよ、現実はこうだよ、と覚醒しなければと思うんですが、難しいですよね。ぼくら自身が生まれる前から近代の夢のなかで生きてきて、神話を語れるような人間はもう少ないわけですから。それでアメリカ先住民族とか、レヴィ=ストロースではないですけどアマゾンとかに惹かれるのかもしれませんね。縄文に惹かれるのも同じことかもしれない。旧石器時代、新石器時代に、われわれの先祖がどういう自然観をもって生きていたのかを、いまこそ知っておかないといけないと思います。勉強するチャンスですよね。

自分の音楽はエコにはならない

──さきほどビートルズやバッハがどういう情熱や愛情や姿勢で作品を作ったかということと、音楽が長く聴かれるかどうかはかならずしも相関しないというお話がありました。そうすると、いまこれから坂本さんが音楽を作るうえでも、坂本さんがどんなことを考えて作ったのかということは......
坂本 それは享受する人には関係ないですね。
──そこが音楽というものの〜音楽だけじゃないのかもしれませんが〜ある種の不思議なところでもあり、魅力でもあり、魔力でもあるとも思うんですが。
坂本 映画のせいもあるのかもしれないけど、たとえばモーツァルトはふざけた野郎だったと思うんですよ(笑)。女たらしで酒飲みで......もちろんそれだけではなかったみたいですが、でも、ふざけて作ったっていいんですよ、ぜんぜん。音楽の質は関係ないですから。むしろ反対に、バッハが一音一音祈りながら作ったからといって、そう聞こえる人もいれば聞こえない人もいるでしょう。バッハがどう思って作ったかなんて聴く人には関係ない。とくに何百年も後の人にはね。
 さっき言ったようなことは、いま生きているぼくにとっての問題であって、それを考えているからといって別にいい音楽ができるわけでもない。もっとちゃらちゃらしながら作った音楽のほうがいいと思う人もいるかもしれない(笑)。それは関係ないですね。ただ、作る側としては大問題なわけです。
──社会的な活動をされていることと、ご自分の創作の活動には関係があまりないということですか?ご自分ではどういうふうに関係づけられているのでしょうか。
坂本 うん、あまり関係ないですね。ぼくはいつもエコ、エコとか言ってるわけですけども(笑)、もちろんそれなりに勉強したりはしているんですが、自分の音楽はあまりエコにはならないなあと(笑)。エコな音楽ってどんなものなんだろうと。
 エコな音楽って、一般的にはアコースティックで、リラックスできてとか、そういうイメージだと思うんですが、そういう音楽はぼく大っ嫌いだし(笑)、作る気はないし。でも、もっと本質的にエコな音楽というものがあるんじゃないかと思うんですけど、なかなか思いつかなくて。まあ、時がくればなにか出てくるだろうし、強引に音楽とエコを結びつけようとは思っていないんです。
 さっき、電気や核と向き合わなければいけないなんて言いましたけれども、いっぽうでは電気や核なんてただのインフラであって、エネルギーのソースなんてどうでもいいといえばどうでもいいんですよ。リスクが少なくて安定して供給さえしてくれれば、われわれが考える必要はじつはないのかもしれない。放射能が出るような危険なものは嫌ですけれども、危険じゃなく負荷が少なければ、水力だろうが太陽光だろうが地熱だろうが、なんでもいいわけです。
 電気イコール原子力だと、どうもそういう頭になっちゃっている人が、「反」のほうにも「推進」のほうにもたくさんいて、ぼくがちょっと「原子力反対」みたいなことをいうと、「じゃあ、電気使うな」なんてことを言われるんだけど、電気なんて原子力以外にも作る方法はいくらでもあるんですから。そこがごっちゃになっている人も見受けられますが、そこは分けて考えたほうがいいと思っています。

『schola』――近代の欺瞞の物語を崩しつつ、
良いものは良いということ

──9・11の後のビートルズ、9・11の後のバッハと、「長く残った音楽しか聴けなかった」とおっしゃいましたが──
坂本 長く残ってきた音楽というだけではなくて、静かな音楽といってもいいかもしれません。うるさい音楽はこういうときには耳にしたくないですよね。だから、頑張ろうなんていう音楽はもうとんでもない話でね。頑張らない音楽がいいですよね、こういうときは。モートン・フェルドマンとか......フェルドマンは9・11以降だけじゃなくて、ここ何年かとても好きで、ぼく自身の歳にも関係あるのかもしれないけれども、でももしかしたら世界的な変化があって、静かなものを求めている人たちが確実に増えている気もしますね。
──『schola』[坂本龍一監修の書籍+CDのシリーズ。コモンズから17巻まで、アルテスから第18巻『ピアノへの旅』を刊行]では、バッハやモーツァルトをはじめ音楽史を振り返って再構成するというお仕事をされていますが、最近のそういったお仕事は「長く残る音楽」という意識ともつながるのかなと思いました。
坂本 直接関係あるのかどうかわからないですが、『schola』をやると言い出したせいで、長いこと聴いてなかったものをいまいちど聴き直しているのはたしかで、ぼくがいちばん勉強になっています。昔のような音楽全集を復刻すればいいというのではなく、現在出すうえでの必然性をとうぜんうち出していきたいと思っていますが、いままでの歴史的な通説をひっくり返せばいいというものでもなくて、良いものは良いということでいくべきだけれども、同時に近代に作られてきた欺瞞の物語は崩さなきゃいけない。
 たとえば、バッハが「ドイツ音楽の父」みたいにいわれて、ずっとそう評価されてきたかのように思われてきましたが、まさにロマン派、近代が作りだした神話です、それは。じつはバッハはある時期までずっと忘れられていて、一九世紀のヨーロッパの国民国家形成時に、国家にもとづいた音楽の歴史が必要になったときに、ドイツ音楽の起源としてもちだされたのがバッハだったわけです。そういう真実は明らかにしていかなきゃいけないけれども、それでもやっぱり、バッハはなかなか面白いぞということになるわけです。古典派もそうだし、いろんなフィルターを一枚一枚はぎ取りながら、良いものは良いし、良くないものは良くないと、つねに澄んだ目で見ていきたいと思っています。
──そういえば、ロマン派の作曲家はこれまではとりあげられてないですね。
坂本 ロマン派は個人的に不得手なんで(笑)。いま『schola』のために頑張って勉強してますよ(笑)。ロマン派はほとんど聴かずに育ってきちゃったから。ほんと、マーラーとかブルックナーとか長ったらしくて、大げさなやつをね、しかたないから苦行のように聴いてますよ。でも、聴いてると、だんだん少しは好きになってきちゃうものですね、恐ろしいことに(笑)。
 話が飛ぶようですけれど、ぼくはミュージカルが嫌いなんです(笑)。子どものころからミュージカルが嫌いだということがアイデンティティになっているんですが、ロマン派と同じように義務で何回も観たり聴いたりしていたら、ミュージカルですらしまいには好きになってしまうのかと思うと、ちょっと怖いですね(笑)。
──ミュージカルが嫌いっていうのは、どういう理由でですか? 音楽のなかに物語があるとか、タモリさんが言うように、いきなり歌い出すのが嫌とか......?
坂本 小学校のときに聴きに連れていかれたんですよね。それがトラウマになってしまってですね(笑)。たとえば、「私は愛してます〜」みたいなことを日本語で変なメロディに乗っけて歌うという......変ですよね、あれは。まったく現実味がなくて、欺瞞のかたまりみたいに思えて。
 たとえば懐石のレストランに行ったら、BGMがボサノヴァだったりするわけで、ものすごく違和感があるんですけど、だったらチントンシャンと尺八やお琴でいいのかというとそうでもないし、困ってしまいますよね。そういう懐石でボサノヴァがかかっているような気恥ずかしさというか欺瞞を、日本のミュージカルには感じて、それ以来嫌いになっちゃったんですね。
──もしかしたら、これから「頑張ろう」というミュージカルを作ろうとする人が出てくるかもしれません。
坂本 そうかもしれませんね。岡田さんじゃないですけど、自分でも、なぜこんなに「頑張ろう」が嫌いなんだろうとも思いますけどね(笑)。でも、それはやっぱり欺瞞だからでしょう。吉岡さんも言っていましたが、怖いものを怖いと表現するとか、泣きたいときに泣くとか、頭で理解できないことが起こったときには混乱するのが自然なことなのに、それすらできない人間たちになってしまったのかという絶望というのか、そこにはほんとうに共感できますね。
──欺瞞に気づかせてくれる音楽ならいいけれども、それをことさらに取り繕う、塗り固めるような......
坂本 繕ったり、塗り固めたりして、なんとか虚構を長持ちさせようというものにたいしては、とても腹が立ちますね。もう物語はメルトスルーしてるんだから。

音を聴く人間は、未来を聴く

──坂本さん個人としての音楽史と、戦後日本の流れ〜さきほどおっしゃった「次になにが起こるかわからない状況」というのは、戦時中についてもいえることだと思います〜を重ね合わせたときに、戦後の世代として音楽活動をなさってきて、いまの状況をどうご覧になっているのかをお聞きしたいのですが。
坂本 あまりに大きなテーマで、うまく答えられそうにありませんが、簡単にいうとしたら、戦争が終わって数年後に生まれたぼくにとっては、冷戦という東西対立の期間が長かったわけです。ぼくが生まれてから四〇年以上です。それは対立だから、一種の緊張をもったものですけど、対立していることによって逆にひじょうに安定している面もあったわけです。巨大な防壁に囲まれている状態で、じつはわりとのんびりしていたと思います。その対立が明日も続くであろう、来年も続くであろうという、敵も味方もそういう前提のもとで生きているので、意外と安定しているわけですね。安定したなかで、右肩上がりの成長もあった。それが一九八九年、九〇年あたりから世界が壊れはじめると、こんどはそれまで抑えられてきた小さな対立やトラブルが噴出してくる。民族対立やイスラムのテロもそうなんでしょう。それが現在の状態ですよね。
 冷戦の時代は、対立があったから物語が作りやすい時代でもあったんですが、東西対立がなくなってから、面白いものが出てこなくなりましたね。ヴィム・ヴェンダーズのようなひじょうに才能のある映画監督が、もう物語を作れなくなっちゃったんです。大きな物語がなくなっても、ぼくたちはなにかを作っていかなければいけないわけですけども、簡単には作れないわけですよね。いつも物語を探し求めているような、ひじょうに不安定な状態です。テロの恐怖と同様に、どこに向かっているのかわからない、物語の筋が見えない不安定さに耐え続けなきゃいけない。だからこそ、頑張ろう節みたいなもの、頑張ろうという物語に安直に手を出してしまう人たちもたくさんいるんでしょう。でも、ほんとうに真摯な態度というのは、明日どうなるかわからないという状態に耐え続けて、きちんと目を開いていること、あるいは耳で聴くことでしょうね。
 そういえば、予言というのは「聴く」ものですよね。「天の声を聴く」っていうでしょ? いつでも音で表現される。
──ああ、たしかに!
坂本 予感があったときも「耳をそばだてる」っていうでしょ? わりと聴くものなんですよね。気配を感じさせるのは、音なんですよ。だから、音を聴く人間は、未来を聴く、これから起ころうとしていることを聴く能力が少しだけあるのかもしれないですね。
──なるほど。
坂本 そういう訓練を知らないうちにしているのかもしれないですね。予言というのはかならず音で、言葉でもあるけれど、音で伝わってくるものなんです。どうしてもきれいな物語にはならないんですけどね。真実というのはむしろ、普通の人にとっては嫌なものです。ノアの方舟のノアだって、世界中でただひとり「洪水がくる」と言っていたわけでしょう。他の人は嫌なわけですよ。「みんなが死んじゃうようなことをなんで言うんだ」と。いまそんなことをTwitterでつぶやいたら、炎上しちゃいますよね(笑)。でも、ノアはそんな人だったんです。真実をつぶやかれると困る人が多いので、その反対の物語を作って、みんなで「頑張ろう」といって防御する。壁を作るというか、真実を見ないようにするんじゃないのかな。
──音楽家というのは、やはりそのときのために聴く訓練をしているし、するべきだと。
坂本 自然にしているはずだし、そういう能力を少しはもって生まれてきているのかもしれませんね。


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