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[アルテシンポジオオープン秘話 vol.1]

おはようございます。
最近いろんな事を考えすぎで、
眠りが浅く夢が鮮明に残っています。
お陰で夢のことだったか現実のことなのかが、わからなくなり始めている荻堂です。

御要望が何件かございましたので
アルテシンポジオのオープン秘話を書きたいと思います。

僕は兵庫県西宮市の夙川でアルテシンポジオと言うリストランテを17年程営んでいますが、
その前は京都の老舗リストランテのディボディバで働いていました。

専門学校生の時にバイトに入ったのがきっかけでずっとディボディバの西沢シェフにお世話になっています。
大阪の北摂地方から上洛したガキンチョに、
この業界しきたりや京都での生き方を叩き込んでくれた大恩ある親同然の方です。

京都には京都イタリア料理研究会という集まりがあり、定期的に勉強会やイベントを開催したりしていました。
発足当時は一枚岩でしたが、
僕がイタリアから帰って来た頃には
3つぐらいのグループがあり、
お互いをあまり干渉しない様な状況でした。
今の仲の良い京都のイタリア料理業界からは想像できないですね。

そんな環境でしたので当時の僕ら若いコック達は、
別のグループとコミニュケーションをとるのはタブーでした。

それでは余りにも寂しいしつまらないので、
当時パッパラルドの笹島シェフのセコンド赤木シェフ(現オステリア エ バール R)とカーサビアンカの那須シェフのセコンド吉村シェフ(現イル コロンボ)の3人で時間をとって会うことにしました。

親方に内緒で行くのも何なので、
今度会う約束の報告したら

「何でや」
と根掘り葉掘り聞かれ
あんまり変なこと言わないのと
後で報告する事を条件にお許しを頂きました。
気軽にコミュニケーションをとるだけのつもりだったのに、
なんか外務次官級の協議のような物々しさになりました。

それでも許可は頂いたので
日程を決め合う事に、
はじめはぎこちなかったのですが
お酒が入ると話も盛り上がり、
お互いの思いを吐露しあった結果、
京都イタリア料理の若手の会を作ろうと言う話にまで至りました。
各々が其々の親方に報告して、許しを得れば発足しようと決め、その日は解散しました。

次の日、恐る恐る若手の会の件を報告すると

「良いんじゃ無ですか。
でも仕事に支障のない様に。」

え?意外にあっさり認めて頂きました。

その後、若手の子らと飲んだり、勉強会したり
とても楽しかったです。
この数年が僕の京都時代で一番思い出深いです。

沢山の人と交流して行くうちに
ある自我が芽生えてきました。

独立心

元々他の人より強めにあったのですが
修行中と言う言葉で押さえつけて来ました。
でも多くの人と接したことで
それが活性化したんだと思います。

西沢シェフに気持ちを伝えました。
1年かけて残った後輩たちに引き継ぎしますので
お願いしますと。

あの当時のディボディバはスタッフの層が相当厚かったので、引き継ぎしなくても全然やっていけたと思いますが、
僕なりの矜恃です。
西沢シェフも納得して下さいました。

そんな折に、破格な条件で東京の会員制レストランの立ち上げのシェフにならないかと言う話がきました。

次回、荻堂大いに悩む。

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