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[コロナ禍について思う事 前編]

おはようございます。

マスクをつけると味見しづらいのは解るのですが、パスタの茹であげのタイミングや肉の焼き加減の感覚まで鈍ってしまうのに驚いている荻堂です。



もしかしたら時期尚早かもしれませんが、
思うところがあるので今回のコロナ騒動について書きます。

僕は兵庫県の夙川でイタリアンレストランを経営して17年になりますが、
これほどのピンチに陥ったのは初めてです。

「不要不急の外出はせず。人との接触をなるべく避けましょう。」

サービス業の僕はちょうどそこにポコッとハマってしまったようで、
今迄とは違う様相に
まあ戸惑いました。

実際にコロナに感染したとかでは無く、
2次的な要因に苦しんだだけなのでしょうが、
僕にとってはover capacity
お手上げです。
先が見えないのが大きな要因でした。

日本が自粛モードになってから3ヶ月以上経ちます。
まさかこんなに長くなるとは思っていませんでした。
まあまだ続いていますが。。。

僕のお店の前には夙川公園という桜の名所があります。
桜のシーズンには毎年多くの方に来ていただき、
忙しくさせて頂いております。
年末よりも売り上げが多いぐらいです。
ですが、今年は桜をじっと恨めしそうに見つめるだけ、
綺麗だなぁとかの感情も湧かず。
これからの未来の不安に押しつぶされそうになっていました。

助成金の申請や貸入れの相談とかに奔走してる時はまだましで、
ゴールデンウィーク中はディナーの予約がない日は早めに閉めて家に帰るしかなく、
陽の高いうちに家に帰るのが何日も続いてた時が1番辛かったですね。

もう人に必要にされてないように思えて、
僕はもう誰にも相手にされていないんじゃ無いのか、
皆んな僕のことなんか忘れてるのかもしれない。
そんな感情に押し潰されそうになって、
家に帰っても部屋に閉じ籠もった日もありました。

家族が心配する顔を見るのも辛かった。

仕事を失ったお父さんが公園で時間を潰す気持ちが凄く分かりました。


落ち込んでてもしょうがないし
気持ちを入れ替えて
出来ることはやってるんだから
逆に今しかできないことをやろうと
部屋の掃除や家のメンテナンス
昼間から子供と公園で遊んだりしました。


これってポジティブな思考の変化や行動に見えますが、
正直に言いますがこの時閉店も視野に入れていました。
足掻いても仕方がない、
もしそういう事になったら、それだけの店だったんだって。


でも、こんな僕の事を心配してくれて、顔を出してくださったり、エール下さる方がいっぱいいて、

自分は無価値じゃ無いんだと
まだやっても良いのだと
力を頂きました。

本当に嬉しかった。

このコロナで沢山の人の温かさに触れ、
目一杯の愛情を頂きました。


僕はまだ必要とされてるんだ。


足掻いてやる。
どこまでも足掻いて
皆んなに恩返しするんだ。

人は1人では生きていけないと知り、
僕は1人で生きていないのだと知りました。

大袈裟でなく今までで1番幸せな時だったと思います。


緊急事態事態宣言が関西も解除されて事態は収束に向かっているかもしれません。
でもコロナは収束はあっても終息はまず無いでしょう。

コロナと共に生きる。
防疫を意識すれば怖いウイルスじゃ無いと思います。

6月は新しい時代の幕開け、
以前のような生活様式はもはや通用しないでしょう。
レストランも然りです。

第二波第三波に向けてどう対策して行くかを

新型コロナウイルスがもたらした新しい秩序の中で、
どう生きていくかを

考え無ければならない、
いや考える機会を与えられたのかもしれません。

次回 コロナについて思う事 後編


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