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簡単な自分史、書いてみた③

1.小学校までは優等生??
2.無気力な中高生時代
3.なんだか楽しくなってきた大学時代
4.落ちこぼれがまさかの大学院へ
5.初就職は地元を離れて派遣社員から
6.まさかの結婚?
7.妊娠ってこんなに難しい?
8.次男出産後、どん底を味わう…
9.自分がこんな働き方するなんて!
10.大器晩成型?? 今が1番楽しいかも!

3.なんだか楽しくなってきた大学時代

地獄の中高時代を終えて奇跡の大学進学を叶えた私。

でも正直気持ちはそんなに晴れ晴れとはしてなかった。

大学に行ったって女子だらけ・・・
状況は変わらないんだからまた馴染めないんだろう・・・

私が行った学部は1クラス30名くらいの小さなクラスだった。
その中で中高から上がってきた子は数名。
ほとんどはいろんな地域から来た
高校までは共学の学校に通っていた子だった。

不思議なことに一気に雰囲気は変わった。
いや変わってないのかもしれないけど・・・
私の捉え方が変わったのかもしれない。

中高時代のようにクラス単位で活動することも
結構減ったし、選択授業で行動するからいつも同じ人たちと
いる必要もない。

一人でいたってそんなに目立たない。

トイレも水を飲みに行くのも一人で行ける笑


そして友達になった子は全員他の高校から来た子だった。

一応、クラスでは5-6名くらいのグループでいたけど
その時一緒にいれる子、いたい子とだけいたらよくて
誰かが抜けたり、行かないと言ったって誰も悪口なんて言わない!!

あーー!!!なんて理想的な関係。

これを私はずっと求めていたのだ。
女子が嫌いなのではなく、女子がつくりがちな特有の
グループ意識が嫌いだったのだ。

大学に入ってからも私は相変わらず興味がある学科は
頑張るけど、苦手な科目は勉強しないという悪い癖が
あったので決して優等生ではなかったけど・・・
こんな日が来るなんて!と叫びたくなるほど笑
バラ色の毎日だった。

私の学部は実験、実習が多く、レポートも多い週は
いくつも重なる忙しさだったけど・・・
合間で友達と行くライブとか買い物とか、
お泊まり会とか・・・ そういった楽しみが
勝ちすぎて毎日学校に行くのが楽しくてたまらなかった。

中高時代は校則が厳しすぎて、学校帰りにどこかに寄るのも
許されていなかったのだ。
なので授業おわりに友達と
「どこでお茶する?」なんて会話をできる日が来るなんて!!!

両親も「あの落ちこぼれ娘が大学に行っただけで恩の字」とでも
思っていたのか?大学に行ってからは勉強!勉強!と
ほぼ言わなくなった。

そして、大学に行けただけでも奇跡だったのに私の人生には
まだ奇跡が起こった。


大学3年生の時、卒論を書くために研究室を決めることになった。
希望の研究室に行けるのは成績順と言われていた。

私は大学でもさほど成績は良くなかったけど、厚かましく
人気の研究室に行く希望を出した。

その研究室は卒論を書くために国立の研究所に研究生として
行かせてもらえるという特典?があった。

研究室の教授がその研究所の元所長ということでそんな素敵な
特典?がついていたのだ。

その年はさほど研究室の人気がなかったのか?(失礼)どうか
わからないが私はその研究室に入ることができた。

おかげで4年生は授業以外はせっせとその研究所に通い、
研究所の先生方に大いにお世話になり、卒論を仕上げた。

大学も楽しかったが、この国立の研究所もすんごく楽しかった!!

指導教官から私と同じように他大学から来ている学生、大学院生と
年齢も環境も性別も色々でそんな方達と交流ができるのが
楽しかった。

ずっと女子ばかりの世界にいた私にとって男性と話す機会が増えた
というのもすごく刺激的だった。

ある日は実験が楽しみすぎて眠れない時もあった笑

こんな生活をもっと続けたい!!と思った私は大学院に
行くことを決めた。

研究室の教授のおかげで大学院時代もまた楽しすぎる
国立の研究所で迎えることになったのだ。

そしておまけのように書くが・・・この頃かなり遅咲きだが
人生で初めての彼氏ができた。


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