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簡単な自分史、書いてみた⑨

1.小学校までは優等生??
2.無気力な中高生時代
3.なんだか楽しくなってきた大学時代
4.落ちこぼれがまさかの大学院へ
5.初就職は地元を離れて派遣社員から
6.まさかの結婚?
7.妊娠ってこんなに難しい?
8.次男出産後、どん底を味わう…
9.自分がこんな働き方するなんて!
10.大器晩成型?? 今が1番楽しいかも!

7.妊娠ってこんなに難しい?(2)

さてついに高度不妊治療を始めることになった。

その時の年齢は34歳。
一人目の時もそんなに簡単に妊娠したわけではなかったが
さすがに高度治療すればすぐに授かると思ってた。

体外受精は自然排卵前またはお薬で卵をたくさん
作って排卵する前に取り出す「採卵」という
治療と採卵した卵を精子と受精させてその受精卵を子宮の中に
戻す「移植」という治療がある。

この体外受精はいくつものハードルがある。

卵が育って採取できるか
受精がうまくいくか、
その受精卵のグレードはどうか
(受精したからといってすべてがいい状態の卵であるとは言えない)
移植した卵がしっかり着床して妊娠に至るか

私は次男の時は最初の病院で採卵から移植を2回ほど行い、
成果が出なかかったので別の病院に移ってその後、

結局トータルで
採卵は5回、移植は12回行い、ようやっと次男を授かることができた。

また卵管のつまりがあったり、子宮の異常といったものはなかったが
AMHという卵巣の年齢を表す指標が実年齢よりも5歳くらい高いことが
わかったり、橋本病(甲状腺機能低下症)があり、不妊だけでなく
不育症の傾向があることも明らかになったりした。

次男を妊娠したのは37歳の時

もちろん結果が出たことは本当に幸運だったとは思うが
仕事をしながらの不妊治療は体力的にも大変だったし、またお金は
怖すぎてちゃんと計算してないがちょっと安めの?外車が買えるくらいは
つぎ込んだと思う。

途中、もうあきらめようかなと思ったこともあった。
でもなかなか諦められなかったのは次男を妊娠する1年くらい前に
2度の流産を経験したからだ。

一度目は9週目くらいのときに赤ちゃんはなくなってしまった。
年末に妊娠してることが分かり、心拍も確認できた!
そのうれしい気持ちのまま、年始に病院に行ったらもう赤ちゃんの心臓は
止まっていた。

その後、赤ちゃんは女の子で18トリソミーの子だとわかり、先生は
染色体異常があるので長くは生きれなかったかもしれませんね~と
おっしゃった。

2度目の流産は5週目くらい。
生々しい話だが・・・トイレで塊が落ちた・・・

そしてその後、赤ちゃんの姿は確認されずでもなぜか妊娠しているときの
ホルモン値はなかなか下がらないという謎の現象が起きた。

2回の流産は私にとってはすごく悲しかったし、不育症かもしれない
私は妊娠してもまた流産してしまうのでは?という恐怖感が
どこかであったけど同時に

「大丈夫だよ。もう少し頑張って」とお空に行った子から励まされた気がした。

それに短い時間だけどおなかの中で一緒に入れた時間は本当に幸せだった。

今、こうやって書いていても泣きそうになる。

改めて今我が家にいる子たちは奇跡の連続なんだと思う。
怒ってばかりの私を少し反省したいと思う笑

そして次男を妊娠後も頸椎流産の危険性があったり・・・と
決して順調ではない妊娠生活であったが

長男が小学校1年生の時、38歳で私は次男を出産した。

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