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簡単な自分史、書いてみた②

1.小学校までは優等生??
2.無気力な中高生時代
3.なんだか楽しくなってきた大学時代
4.落ちこぼれがまさかの大学院へ
5.初就職は地元を離れて派遣社員から
6.まさかの結婚?
7.妊娠ってこんなに難しい?
8.次男出産後、どん底を味わう…
9.自分がこんな働き方するなんて!
10.大器晩成型?? 今が1番楽しいかも!

2.無気力な中高生時代

人生の一番どん底期はいつですか?
そう問われたら・・・間違いなく私は中高時代と答えるでしょう。

中学受験で唯一合格した学校は幼稚園から大学院までの
一貫教育を行う私立女子校だった。

その女子校に中学から入学。
まず簡潔に言うとこの学校の雰囲気に全くなじめなかった。

理由は何だろう?

周りは幼稚園や小学校から上がってきている子もいて
すでにグループが出来上がっていた。

校則が異常に厳しかった。

中学受験のために頑張りすぎたのか勉強する意欲が
ほぼなくなって成績はいつも最下位から数えた方が
早かった。

いろんな理由があるが・・・
一番なじめなかったのは女子だけの特有な世界。

こんなおばさんになっても、いやおばさんだからこそか??
私はいまだに女子の集団がかなり苦手である。

とにかく疲れる。気をつかう・・・

それが高校も含めて6年間女子だらけの中で過ごしたんだ。
自分をほめてあげたい。

グループで群れたがる。
お揃いをしたがる。
トイレや水のみに行くのさえ、誘い合う。

思い出すだけで嫌悪感(笑)

何度も生まれ変わったら男の子になりたい!とひそかに願った

中高時代は今思うと自分でもびっくりするくらい勉強をしなかった。

そして小学校3年生で初めてつまずいた算数が数学という
教科になり、奴は本当に私を苦しめた。
数学は特に成績が悪く、成績に赤点がつくほどだった。

勉強はできない、女子の世界は嫌い 
よって学校にはなるべく行きたくなかった。

だから時々、熱もないのにあるふりをしたり、熱はないけど
本当に体が動かなくて年に10日くらいは休んでいたと思う。

今、思うとプチ不登校だったのかもしれない。

私が通っていた学校は中学から高校はほとんどの子がそのまま
内部進学するのが普通だった。

あまりに成績が悪かったので、内部進学の時に
高校に入ったらもう少し頑張ります!といったような
誓約書を書かされた気がする。

でも高校に入ってからも勉強はさほどしなかった。
だから相変わらず数学は成績に赤点がつくほどの
ひどさでよく母は、保護者会に行くと
「このあとお残りください」というメモが資料の間に
挟まれていて母はよく「行きたくないわ」とこぼしていた。

今思うと、ほんとに申し訳なく思う。

こんな感じなので友人もかなり少なかったけど
今でも付き合いが続いている友達がいる。

彼女はすごく社交的でお友達が多いのに
なぜか私のことをいつも気にしてくれて
私にたくさんの愛のこもった手紙や言葉をくれる。
私が20年以上前に送った手紙や写真をいまだに持っていてくれる。

ときどき、それをLINEで写真にして送ってきてくれるのだが
それを見たら本当に泣きそうになる。

今、こうして書いていても泣きそうになる笑

ほんとにかけがえのない存在だから、つらかった中高時代は
この人と会っただけでチャラにできると本気で思う。


さて大学受験も迫ってきて相変わらず勉強もしない
だらだらガールの私に少しだけ変化が起きた。

3年生になると選択科目が多くなり、比較的興味がある教科だけを
自分で選択できるようになった。

その中で私が唯一(笑)やる気がわいた授業が
食物(食品・栄養学) と 手芸

手芸は全然人気がなくて学年150名くらいいるのに手芸選択を      とっていたのは3名だけだった。

でも先生もメンバーものほほんとした人ばかりで
週に1回のこの授業がほんとに癒しの時間だった。

食物の授業は調理実習と座学があったが食べることが大好きな
私にとってこちらもすごく楽しい時間だった。

そして奇跡が起きた!笑

どの科目も後ろから数えた方が早いくらいの落ちこぼれの私が
なんと!はじめて「食物」のテストでクラス1位をとったのだ。

1位をとったのもすごくうれしかったのだが、先生が
「きっちょむさんは1位なのも頑張りましたが、
とにかく答案の字がきれいだったのがすごいと思います」

とほめてくれた!!!

中高とほめられることと疎遠だった私にとって
久しぶりにほめられたことがほんの少しだけ自信になった。

ずっと自分は何もやらない、やれないダメ人間と決めつけて
きたのでそんな自分にも少しはいいところがあるんだ!と
少しずつ希望が見えてきた気がする。

それから1年未満で劇的に成績が上がることは
全くなかったが笑 それでも今までの無気力ガールは卒業しつつあった。

そして付属大学の栄養学が勉強できる学科に行きたいという目標が
できた。

成績が悪かったため短大を進められたが、今思うと何様なのか?笑
4年制の学部に行きたいですと頑固に意思を曲げなかった。

案の定、大学入学試験の内部選考は外部選考よりも優しいが・・・
私は不合格だった。

こうなるとあとは普通に外部の人と同じように入学試験を
受けるか、あとは全然別の大学を受けるかという選択肢となる。

心配した父は、これからは英語の時代が来るから・・・と
外国の大学の日本校の様なところを何校か調べてきて薦めてきた。

しかし、正直私はほぼ興味がなかった。
なので当然のように付属の大学の一般入試を受けた。

そしたらなんということだろう??
いまだによくわからないのだがなぜか受かった。

自分でもびっくりしながら例の友達に伝えに行くと
友達は大号泣してくれた。

私は驚きすぎて涙も出なかった。

そんなこんなであれだけ嫌だった学校の付属大学に進学することと
なったのだ。

書いてみて気づいたけど、1記事1項目のペースになりそう。
思ったよりは濃い人生だったようだ。

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