インタビュー|指田菜穂子「絵でつくる文学全集は、文学でも歴史でもないものを浮かび上がらせる」
「絵で百科事典をつくる」という発想のもと、言葉から連想されるあらゆる事象を一枚の画面に緻密に描き込む芸術家・指田菜穂子。初の作品集『日本文学大全集 1901-1925』では、日本文学をテーマに制作された25点からなる同名のシリーズ作品が収録されている。1901年から1925年に発表された小説25篇を選び出し、その登場人物を作品名とする「日本文学大全集」シリーズは、どのような考えのもと制作されたのだろうか。話を伺った。
― 「絵で百科事典をつくる」という独自のコンセプトに至った経緯について、お聞かせください。
指田 社会の中で生きるには言葉を使わざるをえないように、作品をつくるにしても、あらかじめ設定された美術の世界のルールの中でプレイするしかないと思うんです。ですから、「オリジナリティ」という概念は疑わしいと考えているのですが、「美術は自己表現だ」とする考え方が一般的で、どうしても「この人はこういう経歴だから、こういう絵を描いている」というふうに作品に「私」を読み込まれてしまうんです。こうした風潮に居心地の悪さを感じて行き着いたのが、自分の中から出てくるものを描くのではなく、自分の外にあるものを持ってきて、画面に詰め込む制作スタイルでした。「作品を読み込まれてしまうならば、逆に読ませてしまえ」という逆転の発想で、画面を埋め尽くす数多のモチーフが読むための仕掛けとなり、見る人それぞれが好き勝手にイメージを膨らませる絵を描くことにしたんです。同時に考え始めたのが、自分の外にあるものを描くのであれば、森羅万象、世界の全てを描きたいということでした。そこでコンセプトに据えたのが、世界のあらゆる事象が記載されている「百科事典」です。「本を編集するように絵を描く」という比喩がしっくりきたことに加えて、「百科事典」シリーズをライフワークとすることで「現在は編集途中だが、いずれは世界のあらゆる事象が収録されます」と言えることも好都合でした。
― 今回、日本文学をテーマにしたのは、なぜだったのでしょうか。
指田 きっかけは、夏目漱石『それから』にあります。三千代という登場人物の台詞に「だつて毒ぢやないでせう」というものがあるのですが、中学生ぐらいの時にこの台詞を気に入って、いつかこの台詞を使って作品をつくりたいと心に留めていました。百科事典とは違って、文学全集は編年体で構成することができるため、集積された時間を可視化できる点でも、文学というテーマに惹かれました。「日本文学大全集」シリーズのタイトルには、ある小説が発表(または執筆)された「年」と、その小説の「登場人物の名」を組み合わせ(例:「明治四十二年の女 三千代」)、タイトルにした登場人物の台詞を画中に書き込むことにしています。はじめは、20世紀の全ての年を対象にしようと思っていたのですが、今回は便宜的に、1901年(明治34年)から1925年(大正14年)の四半世紀としました。
作品化する小説については、発表(または執筆)された年が小説の舞台と考えて無理のないものを選び、その年に流行した事物や、出版された印刷物、活躍した人物などで画面を埋めています。それは、小説の登場人物が、あるいは明治42年を実際に生きた人々が、暮らしの中で目にしたかもしれないものです。私が試みたいことは、小説のストーリーを絵にすることではありませんし、ある年の歴史を絵にすることでもありません。小説内の明治42年と、現実の明治42年を曖昧に扱うことで、文学と歴史を扱いつつも、文学でも歴史でもない新しいものがつくれると思ったんです。
― 作品化した小説をみると、近代文学を代表する作家からマイナーな作家まで、幅広いラインナップとなっています。これは一般的な文学全集では見られない並びかと思いますが、どのように選定されたのかお聞かせください。
指田 明治の後期から大正にかけて書かれた小説を集中的に読むとよくわかるのですが、とにかく話が似ているんですね。日本の近代文学は、言文一致体という、小説にふさわしい文体を人工的に構築することで始まり、新聞や雑誌が掲載媒体になって読まれていたものなので、どうしても都市部に住んでいる一定以上の教育を受けた階層の話が多くなってしまいます。けれども、私が作品で扱いたいのは、森羅万象や、時間の流れといった大きなテーマのため、作品化する小説にも多様性を持たせる必要があります。小説の選定に際しては、メジャーな文学全集には収録されない作家の小説を漁ったりもしました。その結果、沖縄出身の摩文仁朝信など、マイナーな作家もラインナップに加わっています。どうしてもリアリズムの小説が多くなってしまうため、内田百閒「件」など、幻想的な小説も意図的に選びました。文学でも歴史でもないものをつくるためには、非現実的なものもフラットに扱うことが功を奏すのではないかと思ったんです。
全て小説ではあるものの、とても同じジャンルには思えないものが並んでいますが、「発表(または執筆)された年が舞台と考えて無理のないもの」というルールを決めたこともあり、選定は難航しました。というのも、ほとんどの小説は過去を回想して書かれるので、発表(執筆)年と小説の舞台となった年が同じ小説は少なく、作品化できる小説も限られてしまうんです。画中に台詞を書き込むこともルールに含めていますので、良い台詞がないものも対象外となってしまいます。
発表(執筆)年が同じ小説を読み比べて選定する方法に加えて、歴史的事件を起点に、それを扱っている小説を探す方法も採用しています。例えば、大正12年の関東大震災は社会に大きなインパクトを与えたため、作品でも扱うことを考えていました。翌年の大正13年には震災を振り返るタイプの小説がたくさん発表されているのですが、回想だと作品化できないんですね。そこで、震災の翌年のリアルな感情が書かれた小説を探して行き着いたのが藤澤清造『ウヰスキーの味』でした。
― 画面構成は、どのように考えるのでしょうか。
指田 画面に配置する様々なモチーフについては、文字資料を読んで調べることになるのですが、最終的には絵のかたちにするため、なんらかのビジュアルを手に入れる必要があります。どんなに面白いトピックでも、印刷物や写真が残っていない場合にはモチーフにすることができないんです。今回の制作においても、使いたくても使えなかったトピックは数多くありました。
キーになるビジュアルが見つかると、それを中心にして魅力的な画面を考えていきます。夏目漱石『それから』に取材した《日本文学大全集 明治四十二年の女 三千代》の場合には、収集した印刷物や写真を、パソコン上のフォルダーで上段、中段、下段の3つに分けて整理して制作を進めました。下段では、『それから』で電車が重要な役割を果たすことに因んで、ストーリーに関するイメージを路線図に見立てて配置しています。その背景にある波模様は、シリーズ内で統一感があった方がいいと考え、大きな作品では共通して使用しています。中段では、明治42年に東京を走っていた電車の車両と、この時代を象徴するランドマークを配置し、その上に、同時代の著名人を描き込んでいます。上段では、登場人物の三千代もしていた髪型(銀杏返し)の女と、作中で象徴的に用いられている白い百合を中央に配置し、周囲には同時代の様々なイメージを散りばめました。
― 今後も、「日本文学大全集」シリーズは続くのでしょうか。
指田 今後も制作を続ける場合、「日本文学大全集」第二集では1926〜50年の25年間が対象となるのですが、今回扱った1901〜1925年と比べて、より多様性のあるラインナップになることを予想しています。というのも、この時期の文学は舞台が東京以外の場所にも広がり、リアリズムではない表現も多く登場するため、一風変わった小説が数多く存在すると思うんです。「近代文学の黄金期は、大正時代まで」という人もいますが、私の選び方は文学としての完成度ではないので。モチーフも、足掛け15年間の暗い戦争期という先入観を乗り越えるような、面白いものを探し出せるのではないかと考えています。
(2022年2月3日・zoomにて収録)
指田菜穂子『日本文学大全集 1901-1925』
1901(明治三十四)年から1925(大正十四)年に発表された小説25篇を選び出し、その登場人物を作品名としたシリーズ「日本文学大全集」全25点を収録。絵の細部に何が描き込まれているかがわかる図解と文字による解説、日本文学研究者・ロバートキャンベルによる論考「歴史の河床に杭のように打ち込まれる『一年間』」も掲載。指田菜穂子1冊目の作品集。
出版記念展開催
作品集の出版にあわせて、同タイトルの展覧会が西村画廊(東京・日本橋)で開催されます。作品集に掲載されている「日本文学大全集」シリーズの全25点が一堂に介する機会です。ぜひご高覧ください。
[展覧会概要]
指田菜穂子「日本文学大全集 1901-1925」
2022年3月1日(火)―4月9日(土)日曜、月曜、祝日休廊
〒103-0027 東京都中央区日本橋2-10-8 日本橋日光ビル9F
Tel: 03-5203-2800
am-key@nishimura-gallery.com
http://www.nishimura-gallery.com/index.html
※最新情報は 西村画廊ホームページよりご確認ください。
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