
教育の要不要論についての雑感
Twitterでたまたまこんな記事を見掛けた
義務教育がない頃は「学校なんかに行くやつはクズだ!本を読むやつはクソだ!うちは農家だから死ぬまで畑だけ耕せてればいいんだ!何も考えてない牛みてーにな!」って意見が正論扱いされてたんだよ。そんな時代に戻りてえのか。「役に立たない学問」とか言ってる連中は。
— ネヴァダ (@nevadan2) May 19, 2020
役に立たない知識なんて無いと思うけどなぁ。
— 相河柚希🍊Yuzuki Aikawa (@artartn) May 20, 2020
ほら、誰だったかが言ってたじゃないの「明日使える無駄知識」って。メロンパンデゴザイマース
役に立てるか立てないかは、知識を得た人の意識の問題だと思うよ。
— 相河柚希🍊Yuzuki Aikawa (@artartn) May 20, 2020
役に立てようと思えば役に立つし
役立てる気が無ければ役に立たない
教育機関は、ただ平等に与えるだけ。
「学校なんて役に立たねぇ」って言ってる人は「自分は得た学びを活用する気がありません」と言う看板を掲げているだけの話だと思うな。
— 相河柚希🍊Yuzuki Aikawa (@artartn) May 20, 2020
そして「活用する」のも「スキル」だから、積年の訓練によって廃棄率が変わる。熟練した人程廃棄率は少ない。
あ。コレ、言葉が足りなかったですね。
— 相河柚希🍊Yuzuki Aikawa (@artartn) May 20, 2020
✖「学校なんて」
〇「学校で教わる知識や教育なんて」
学校生活で発生する人間関係とかメンドクサイあれやこれやは含まれず、ただ「授業で得られる学び」の部分です。
「役に立つ」と言ってる人は「役に立てようと意識して動いている」ので、結果「学びが生かされる」
— 相河柚希🍊Yuzuki Aikawa (@artartn) May 20, 2020
「役に立たない」と言ってる人はその意識が無いので「生かされない」
これに
「活かし方を教える」「研究はそうじゃない」が混ざる。
「自分はどう生きたいのか」を考えるのが大事かもね。
これ以上Twitterで続けるのも色々アレなので、続きの雑感はここに書こうと思う。と言っても長々と書く気もないが。
たぶん、今の日本で「教育」と「必要性」にズレを感じる人は、ミスマッチを起こしている人が少なくないのだと思う。
「生きがい」は「適材適所」からも生まれる。
自分の得た学びと、置かれた環境がミスマッチしていればストレスになる。
「現場で腕を振るい社会にとって役に立ちたい人」が「社会の役に立てる気の無い(と内々の研究員が言っている)研究」に配属されるのは不幸である。
逆に「自分の人生や生活を全て捧げても、この謎を究明したい」と思っている人間が「小手先の技術」ばかりを教えられるのもまた苦痛である。
学舎はただ「そこにある」だけで、それを「有用・無用」にするのはあくまで「自分自身」
「学校なんて不要」の話を時々見るが、そう唱える何割かは本当に不要と思っている訳では無く「その分の資金を自分の救済に充てて欲しい」と思っているのかもしれないなと、ボンヤリ思う。
そう。「不要」で止めるのではなく、もう少し思考を深く掘り下げて
「代わりに何が欲しいのか」を考えてみて欲しい。
いつだって世界を動かして来たのは、豊かさを創っていったのは
「無駄」と呼ばれたアイディア達なのだから。
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