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現型の歌舞伎『勧進帳』初演 1840年 (天保11年3月5日) 江戸・河原崎座

いまの型の歌舞伎『勧進帳』初演  1840年 (天保11年3月5日) 江戸・河原崎座

🔍 独立行政法人 日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー「勧進帳」

🔍 The能com 「安宅」

歌舞伎「勧進帳」の原型の能「安宅」もテレビで見ましたが、
亡霊などが主人公 (シテ) で能面をつけた多くの能楽とは異なり、
能面を使わず、演出もスピーディーで複数の人物が、むしろ歌舞伎以上に
隊列を変えながらよく動き、ダイナミックだった印象があります。

黒澤明監督「椿三十郎」(1962年) の、列を成して動き回る若侍たち (加山雄三、田中邦衛、平田昭彦各氏等々) を連想しました。

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その黒澤明 (監督映画30本は全て見ました [そのシナリオも全て読みました]) が1945年に「勧進帳」を原作として映画「虎の尾を踏む男達」を監督。

終戦直後に日本人の検閲官と黒澤明が口論になり、1952年まで上映禁止となりました。
黒澤明の自伝「蝦蟇の油」(がまのあぶら 岩波現代文庫など) に口論の様子などが生々しく描かれています。
映画は1時間弱の掌編ながらも黒澤特有の造形美、大胆で明快な動きに富む、充実した作品です。

タイトルは「勧進帳」最後の箇所の唄  (この後、弁慶の「六方」※1) 
「虎の尾を踏み毒蛇(どくじゃ)の口を逃れたる心地して陸奧の国へぞ下りける」
からのものでしょう。

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🔍 東大寺公式ページ 「俊乗堂」(本尊・大仏の鎌倉時代の再建「勧進」指導者・俊乗房重源上人の像 [国宝] を祀る) 

堂のほぼ中央に重源上人像を安置し、本尊としています。
江戸時代に二度目の大仏、大仏殿再建の指揮を執った公慶上人により建立された堂舎ですが、内部に入ると鎌倉時代に重源が導入した天竺様 [※2] の建築スタイルも見られる擬古的な、重源への想いがこもった空間となっています。

📷 東大寺俊乗堂

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この位置は重源の墓所でしたが、俊乗堂建立時に東大寺の北にある伴寺跡の集合墓地の、おそらく当時では一番高い位置に石塔が移動されています。

📷 俊乗房重源墓

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📷 重源墓石塔背面  西に奈良の町が見えます

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東大寺の大仏殿の西に、国宝の快慶作・僧形八幡神像で有名な「勧進所」(かんじんしょ) がありますが、こちらは先述の江戸時代の再建時の勧進事業本部で、
東門を入った時に左奥に見える建物が、その時のリーダーを祀った「公慶堂」です。

📷 東大寺勧進所 正門 (東門)   10月5日の特別公開時

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📷 勧進所 公慶堂

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勧進所から北東へ上がった所にある指図堂 (さしずどう 江戸時代の再建) は、
一説によると元来は鎌倉再建時の大仏殿設計図 (指図) を納めた堂宇で、
南正面に掲げられた額に「大勧進所」と記してあります。  

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📷 勧進所前から見た東大寺指図堂

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🔍 東大寺公式ページ「勧進所」


※1
「虎の尾を踏む男達」では、喜劇俳優の榎本健一演じるこの映画のオリジナルキャラクター・強力 (ごうりき  荷物を運ぶ仕事) 役が、
眠りから覚めると義経・弁慶一行が去ったことに気づき、「六方」を踏みながら追いかけて行く、というパロディー的なラストとなっています。

※2
天竺様 (大仏様 だいぶつよう) は同じ東大寺の南大門や、播磨の浄土寺浄土堂が有名。
俊乗堂から北に下りて右にある、俊乗房重源によって建てられた大湯屋 (おおゆや 鎌倉時代・室町時代 重文) の2017年に初公開された内部も、豪放な木組みと開放的かつ繊細な意匠との混在がユニークで、俊乗堂の内部と共通した印象を受けます。

📖 ブログ内記事 (21年2月)


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📷 春の勧進所

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📷 馬酔木の頃の指図堂

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(8日12日30日5月9月12月21年1月3月4月22年9月更新)


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