達磨寺 Photograph

画像1 達磨寺 (だるまじ) 本堂 (2004年改築)。聖徳太子が衣食を施した飢人の伝説が「日本書紀」にあり、後世その飢人を達磨大師の化身とする解釈が生じて (「元亨釈書」げんこうしゃくしょ) 、飢人の墓と伝わる古墳 (達磨寺3号墳) の上に鎌倉時代頃に本堂が建てられたのが、達磨寺の起こりと見られます。
画像2 本堂の基壇上から境内 (南) を望む。
画像3 2002年の本堂改築時に達磨寺3号墳から、仏舎利が入った石造の宝篋印塔 (ほうきょういんとう) が発見されました。
画像4 (参考) 2016年奈良県立美術館での達磨寺本尊・達磨大師像 (室町時代 重文 彩色は周文) 公開時の立て看板 (近鉄奈良駅近く)。展示室に誰もおらず、間近でじっくりと拝観しました。
画像5 達磨寺境内解説版。
画像6 達磨寺の境内案内板。
画像7 達磨大師手植えの伝承がある「一夜竹」。
画像8 本堂の南西隣にある一対の「問答石」。こちらは達磨大師が坐ったという「達磨石」。
画像9 「問答石」もう片方の「太子石」。「達磨石」のすぐ南にあり、聖徳太子が坐ったとの伝説。
画像10 聖徳太子の愛犬と伝わる「雪丸」の石像 (江戸時代)。以前は雪丸の墓と言われた「達磨寺1号墳」(後述) の上にありました。
画像11 達磨寺1号墳。本堂の北東隣。直径15メートル程の円墳。6世紀末頃とされ、聖徳太子の在世時と合いそうです。横穴式石室に屈んで入れます。
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画像13 達磨寺1号墳の羨道、玄室。
画像14 達磨寺1号墳の玄室。石棺の破片が立っています。
画像15 達磨寺1号墳の天井石。結構大きい。
画像16 達磨寺1号墳の墳丘。
画像17 達磨寺2号墳。1号墳の南隣。同じく6世紀末頃、径15mの円墳ですが、この横穴式の石室は全て土中にあります。
画像18 達磨寺2号墳
画像19 説明板の向こうに片岡八郎、春利の墓。画面右上に東大寺、達磨寺を焼き討ちしたという松永久秀の墓。奇しくも東大寺大仏が焼かれた永禄10年の10年後、同じ10月10日に織田信長に攻められた松永久秀は信貴山で自害し、祟りと噂されました。ブログ内記事 https://note.com/artandmovie/n/n22f07020bb90 / 記事写真2016年10月5日撮影 コンデジ / 12日記事公開

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