達磨寺 Photograph 5 ART AND MOVIE 2021年2月9日 03:00 達磨寺 (だるまじ) 本堂 (2004年改築)。聖徳太子が衣食を施した飢人の伝説が「日本書紀」にあり、後世その飢人を達磨大師の化身とする解釈が生じて (「元亨釈書」げんこうしゃくしょ) 、飢人の墓と伝わる古墳 (達磨寺3号墳) の上に鎌倉時代頃に本堂が建てられたのが、達磨寺の起こりと見られます。 本堂の基壇上から境内 (南) を望む。 2002年の本堂改築時に達磨寺3号墳から、仏舎利が入った石造の宝篋印塔 (ほうきょういんとう) が発見されました。 (参考) 2016年奈良県立美術館での達磨寺本尊・達磨大師像 (室町時代 重文 彩色は周文) 公開時の立て看板 (近鉄奈良駅近く)。展示室に誰もおらず、間近でじっくりと拝観しました。 達磨寺境内解説版。 達磨寺の境内案内板。 達磨大師手植えの伝承がある「一夜竹」。 本堂の南西隣にある一対の「問答石」。こちらは達磨大師が坐ったという「達磨石」。 「問答石」もう片方の「太子石」。「達磨石」のすぐ南にあり、聖徳太子が坐ったとの伝説。 聖徳太子の愛犬と伝わる「雪丸」の石像 (江戸時代)。以前は雪丸の墓と言われた「達磨寺1号墳」(後述) の上にありました。 達磨寺1号墳。本堂の北東隣。直径15メートル程の円墳。6世紀末頃とされ、聖徳太子の在世時と合いそうです。横穴式石室に屈んで入れます。 達磨寺1号墳の羨道、玄室。 達磨寺1号墳の玄室。石棺の破片が立っています。 達磨寺1号墳の天井石。結構大きい。 達磨寺1号墳の墳丘。 達磨寺2号墳。1号墳の南隣。同じく6世紀末頃、径15mの円墳ですが、この横穴式の石室は全て土中にあります。 達磨寺2号墳 説明板の向こうに片岡八郎、春利の墓。画面右上に東大寺、達磨寺を焼き討ちしたという松永久秀の墓。奇しくも東大寺大仏が焼かれた永禄10年の10年後、同じ10月10日に織田信長に攻められた松永久秀は信貴山で自害し、祟りと噂されました。ブログ内記事 https://note.com/artandmovie/n/n22f07020bb90 / 記事写真2016年10月5日撮影 コンデジ / 12日記事公開 #奈良 #古墳 #聖徳太子 #松永久秀 #本と写真を読む #画像投稿版 #達磨大師 #達磨寺 #奈良県立美術館 #大和路の仏像 #大和路の古墳 #大和路の伝説 #artandmovie因縁関係記事 #奈良の因縁 5 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート