額安寺 Photograph

画像1 額安寺 (かくあんじ 別名・額田寺 ぬかだでら) 本堂 (江戸時代再建)
画像2 南西から額安寺を望む
画像3 南門。こちらは閉じられていました。
画像4 南門横の説明板。額田部の地に聖徳太子が設立したという熊凝精舎 (くまごりしょうじゃ) を南都七大寺の一つ大安寺の最初の前身とする説が有ります。寺伝では熊凝精舎は額安寺の前身寺院でもあるとのこと (🔍額安寺HP http://kakuanji.jp/aboutus.html )。
画像5 南門の西にある参詣口。
画像6 記銘があるものでは日本で二番目に古い宝篋印塔 (ほうきょういんとう 文応元年 [1260年] 銘。叡尊の弟子慈真が母の供養に建立 [🔍額安寺HP http://kakuanji.jp/groundsinfo.html ])。南門前の鏡池の小島から、境内の本堂前に近年移されました。
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画像8 同 説明板
画像9 額安寺南方約200メートルのところを西向する佐保川が、土手を登ると見えます。すぐ西で初瀬川 (大和川) と合流し、この辺りが要衝であったと見られます。
画像10 推古天皇を祀る推古神社。額安寺の東50メートル程。今の大安寺の東隣にも推古天皇社という神社があります。推古天皇の名は額田部皇女であり、ここ額田部の地を本拠とした額田部氏 (額田氏) の氏寺という額安寺が推古天皇の命名によるとの伝承があることからも、推古天皇と額安寺・大安寺が関連をもって見られていることが分かります。/📖 ブログ内関連記事 https://note.com/artandmovie/n/n8ff0daac01fa /
画像11 額安寺の北200メートル程にある「額安寺五輪塔」(鎌倉時代-室町時代 8基が重文。塔納置品も重文 [🔍奈国博HP https://www.narahaku.go.jp/exhibition/2016toku/ninshou/ninshou_index.html ])。
画像12 「額安寺五輪塔」で最も大きいこの塔は額安寺を中興した忍性の墓 (鎌倉時代 重文)。
画像13 額安寺五輪塔のすぐ西にある額田部窯跡 (鎌倉時代 史跡)。額安寺の瓦等を作ったと考えられます。
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画像15 額田部窯跡 覆屋の内部。/ 記事写真2017年6月12日撮影 コンデジ / 17日記事公開

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