岡寺 奥の院石窟 (太陽神と鎮魂)
📷 岡寺 (おかでら / 創建時の正式名 龍蓋寺 りゅうがいじ) 本堂
画像右 (石の囲い) が龍を封じたという龍蓋石のある池 (本ブログ 龍蓋写真等の記事 https://note.com/artandmovie/n/ncf1967ed43e4 )
📷 岡寺奥の院の石窟 本堂前から東へ山道を登った所にある西向きの石室。弥勒菩薩と書いてますね。
学芸員資格を取得 (同志社大学博物館学芸員課程) した時の野外実習で行った時は木造の施設も標示も無かったと記憶します。
その時、引率の小川光暘先生 (写真家の小川晴暘 [広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩の写真が名高い。中宮寺弥勒〔寺伝では如意輪観音〕の写真は50円普通切手の図案に1951年から1980年までの長期間5期に渡って使われていた] の御子息) が、この石室の太陽神信仰との関連説を述べられていました。
石室の本尊が、太陽神ミスラ (ミトラ) が名の由来と言われる弥勒菩薩 (サンスクリット語=マイトレーヤ / 真言=おん まいたれいや そわか) ならば、根拠の一つになり得ますね。
📷 石窟本尊 宝塔を抱いてますね。宝冠を被り、組んだ手 (定印 じょういん) に宝塔を乗せる形は弥勒如来 (弥勒菩薩の未来の姿) に多いと言われます。
🔍 KAKEN (科学研究費助成事業データベース) ページ「定印上に宝塔を載せる弥勒如来像の研究」 『弥勒即大日 (毘瀘遮那如来) という密教思想を反映』
🔍 Wikipedia「弥勒菩薩 (ミスラ神との関係)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/弥勒菩薩#ミスラ神との関係
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🐥 岡寺公式Tweet. (22年2月) 本堂本尊の如意輪観音像
📝 本堂の向かって右手前 [南東] に義淵が龍を封じたという龍蓋池があります。その東隣からは上述の石室弥勒も見つめる位置関係。
東大寺大仏の目線の先にある八角灯籠、木霊塚との類似が見て取れます。 (📖🔁 本ブログ記事「長屋王鎮魂説」
https://note.com/artandmovie/n/nf7016c4c0809#GnuLu )
🐥 岡寺公式Tweet. 本堂本尊の如意輪観音坐像 (天平時代) 日本最大の塑像 (4.85メートル)。
(追記)
本像は超然と虚空を見つめる如き、上向きの目線が独特で
「如意輪観音」も (名前の「輪」から「日輪」をイメージし得る、持物の輪宝のモチーフが太陽 [王位、釈迦、伝道] だと言われる、など) 太陽神的な意味を持つ存在かもしれません。
如意輪観音が虚空蔵菩薩と共に東大寺の大仏 (盧舎那仏=大日如来) の脇侍 (註1) であることも、「太陽」「空」さらに「宇宙」との関連の傍証となるでしょう。
岡寺の如意輪観音は、大日如来が日本で造像される以前の作ならば、
のちの大日如来・盧舎那仏 (大仏) と同じ「役割」を先駆けて持っていたと考えられます。
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「太陽神」が、(先述の奥院石窟の)「未来仏」たる弥勒のルーツであるのもとても示唆的で
「未来」の「仏」のファクターは、「王」の「子」の追善・鎮魂にも類比し得るでしょう。
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また、岡寺の本尊は封じられた「龍 (大津皇子などの怨霊との伝承もあり [ https://ja.wikipedia.org/wiki/義淵 ] )」を「見据える存在」であると同時に、
視線の先は開かれた空間でなく (以前述べた [註2] 當麻寺と同じく) そそり立つ山であり、
大きな「厨子」に祀られた本尊自身も「封じられた存在の類比」であるという、
(東大寺の大仏などにも言えることですが、)「解釈の二重性」を帯びていると考えます。
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岡寺「先代の本尊」の金銅製菩薩半跏思惟像も寺伝では如意輪観音ですが、
結い上げた髻前面の装飾に彫られた図像が「阿弥陀如来」であれば、
この半跏思惟像は「観音菩薩」(如意輪観音は [正] 観音菩薩の変化身の一つ) であり、
頭飾が「水瓶」にも見えるのでそれなら未来仏「弥勒菩薩」(修行中であることを表すモチーフが水瓶なのでしょう) の可能性もあります。
ならば「今の本尊」の巨像も、「石窟深く祀られた」奥の院像や
當麻寺の同じく「山に直面する」本尊と同じ「弥勒」の「こもり身のビジョン」かもしれません。
🐥 岡寺公式Tweet. 金銅菩薩半跏思惟像
🔍 岡寺公式ページ 本尊如意輪観音像、金銅製菩薩半跏思惟像
註1.
📖 ブログ内記事
📖 ブログ内 虚空蔵菩薩関連記事「弘仁寺」
註2.
📖 ブログ内記事
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📷 畝傍山から二上山 (雄岳頂上に大津皇子の墓所あり) を望む
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📖 ブログ内岡寺記事 「岡寺」(龍蓋石の写真有り)
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[2018年5月, 2019年7月29日撮影, 2021年4月22年1月2月19日20日10月〔タイトルに (太陽神と鎮魂) 追加〕更新]