雨よ恋 3

それから雨の撮影を継続したのは1年生のYだけ。自分の兄妹を連れては、雨になると夜の近所で撮影を繰り返していた。
写真甲子園を考える前に、部活動としても、県の高校総合文化祭の出品、その他のコンテスト、何より来春の大きな校外展の準備を進めなくてはならなかった。定期考査、修学旅行の行事、週末に出される課題。本当に高校生は忙しい。

そんなこんなで秋はマッハで通り過ぎ、冬へ突入。

1月の終わりから不穏な空気が漂い始めた。ご承知のように中国武漢で発生した、新型コロナウィルスの動向である。3月のルネッサながとでの大規模校外展も、どうやら開催が怪しくなろうかと言う頃である。

予感がしたのか、この頃、自分は写真甲子園班の募集をようやくかけている。

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手を挙げたのは12人。少し多いなと思いつつ、いずれ離脱する者も出るだろうから、一応、全員承認。

すでにこの頃、2月の横浜で開催される予定のNikon社主催の全国高校生写真サミットへの選抜出場権は決まっていた。丁度、横浜でダイヤモンドプリンス号が停泊する前後辺りか…。
大会自体は関係スタッフの方々が最大限に神経を使っていただき、何とか終了し、本校の選手一人も熊切大輔審査委員長の賞も受賞し、全員がやり切った感を持って帰って来れたのは良かった。
さぁ後は、学年末試験、卒業式、校外展…そして写真甲子園出品に向けて…といく運びのはずだった。

…が、3月全国の一斉休校措置。卒業式は卒業生とその保護者、教員のみで挙行の御達しが届く。緊急職員会議。

2月の最終日。この時、ルネッサながとの校外展は既に中止が決まっていたので、覚悟はしていたが、急だった。生徒たちも動揺していただろう。
在校生は明日から登校禁止となる日の放課後に、写真甲子園班を緊急招集し、「必ず写真甲子園は開催されるから…」と根拠のない自信の口調で生徒の前で放ち、急遽、班編成もしておいた。当面、学年が入り混じっての班編成だ。当時2年の先輩4人が手を挙げていてくれていたので、後輩に何かを伝えていってくれる事を期待した班編成にした。

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休校明けにすぐ活動できるように、どんなテーマで撮りに行くか?を話し合っておいた。 マスク、人の気配など時事に反応したものも含め、この時点で20近くものテーマが挙げられているのが面白い。勿論『台風』も入ってはいる。

班毎にLINEを使って話し合い、撮影は家またはその周囲を個人で撮影し、対人撮影はしない約束とした。
それでも3月半ばに、班で密かに集まって撮影していたのが発覚。撮影させて頂いた方からお礼のメールが届いたからだ。幸い喜んでくれていたから良いようなものの、これが苦情だったら、休校自体が再開しても部活停止となりかねない。青ざめて、その班全員に電話をかけ戒め、他の班にもLINEで徹底する。

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気持ちは分かる。先行きが判らないとしても、何もしないよりは撮影したい気持ちが動いたのだろう。そのためにモチベーションこそ大事と言い続けてきたのだから。
それでも兎に角、自粛。100年に一度の疫病。世界中の誰もが、どう対処していいかわからないのだから…

命が最優先。

悶々とした日々は続く。



                                  つづく

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