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雨よ恋 12

主体性 →モチベーション →発案 →推測 →計画性 →行動 →分析 
これらは幾度も脳内をループしながら完成に辿り着くのだが、それらを支えるのが
『イメージ力』と『言語力』だと思う。 

創作活動は言語とも密接に結びついていると思う。言葉は大事。イメージしている事をより具体的に伝える道具でもあり、逆に説明し過ぎと思われてしまう場合だってある。
それでもセレクト途中に、文章でもイメージを考えたからこそ、ここまで来れていたと思う。

応募〆切3日前。もうここまで来たら、組写真もタイトルもステートメント(メッセージ)も同時進行だ。

よく生徒達は他のコンテストでも、写真を選んでからタイトルを決めるが、自分の作品に向き合のうなら、それは間違いかも知れない。タイトルイメージと作品イメージは同等だと思う。タイトル一覧のデータベースを作っておいて、その中からどうとでも取れるようなタイトルを何となく選んで付けるなんて、作品に思い入れが無いし、ミュージシャンの歌詞の一部をそのままパクっているのも苦言を申し上げておきたい。どうせ引用するなら著作権の切れた古今和歌集くらいからお願いしたいモノだ。

〆切は間近に迫っていたが、ほぼ完成に近い組写真を観ながら、文章をまたも書き出してみる。

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もはや全員詩人になりつつある。
中でも2年生R(バレーボール部上がりのジャンプ担当)の書いた上の文章中「やりすぎました」のところでは、全員が吹き出した。
この文章を手掛かりに、ホワイトボードに書き出し、全員で添削していく。何かをキッカケに停滞していた物事が転がり出すのを幾度も経験した。メンバー全員、これが最後のローリングストーンだと感じていたと思う。


写真も吟味する。なぜモノクロでなくてはいけないのか?なぜ8枚でなくてはいけないのか?なぜ、その順番でいいのか?
意見を言うなら、皆が納得する理由を持って提案しなくてはいけない。それが大人の議論というものだ。

部長Hの原案にある最後の8枚目は、不要では無いかという提案があった。私はそれに賛成ではなかった。経験値からすると状況や風景の写真があっても良いところだ。8枚目に遠くに流れる雲などあれば、雨粒の付いたメガネ越しの視線の先に思えて遥かな結末になっていたかも知れない。けれども生徒達は、それで良いと言う。「7枚目のメガネの写真で、十分に結末は不確定に見えていいんじゃ無いか?」と言う。まさに後の村上悠太審査員の指摘したところなのだが、それは人の感覚の問題かも知れない。顧問の作品では無いのだ。メンバーの決めた通りで7枚の組写真となる。

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タイトルも散々、いろんな意見が出たが、ステートメントにもっとも似合う『雨よ来い』→『雨よ恋』となった。
これが『嵐よ恋』だったら、ジャニーズファンか?
天気を男の子に見立て、快活な女の子に恋する…と言う設定だ。転がり出したら止まらない。次々と納得のできる案が出て、〆切3日前、金曜日の放課後にセレクト会議は完結した。

最後の最後に、もう一度、顧問的に心配な事を投げ掛ける。
・『雨よ恋』と言うタイトルや写真が、観る人に…特に豪雨災害のあった地域の人に不快感を与えていないか?
・ジャンプ写真もあるが、写真甲子園では過去、ジャンプ写真があまりいい評価をもらえてなかった事への懸念。
・全体に高校生が手前味噌にハイテンションではしゃいでいるだけの作品に見えないか?と言う心配。

それでも全員「これがいいです!」と言う。よし。

                             つづく

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