推理小説に飽きた

私はもともと推理小説が好きでした。

小学校高学年ぐらいの時から読みはじめて、赤川次郎や綾辻行人のような正統派から東川篤也のようなコメディ要素の強いもの、舞城王太郎のような奇作まで、累計で200作くらいは読んだんじゃないかと思います。

でも推理小説を何冊も読んでいると、よりひねりの強いものや奇抜なものが面白いと思えるようになってきました。最初は私の好みが変わってきただけなんだろうとしか思わなかったのですが、時代の流れを考えてみるとそうではないのかもしれません。

よく考えてみてください。いまや高密度で刺激的なエンターテイメントがいつでも簡単に摂取できる時代となり、空き時間が30分もあればアニメが一本見れますし、5分もあれば音楽が一曲聞けます。にもかかわらず、視聴者たちは特に人気のある作品を集中的に鑑賞するだけで、比較的マイナーな作品にリソースが割かれるわけではありません。一話で爪痕を残せなかったオリジナルアニメはすぐ視聴者から切られますし、冒頭数十秒が特徴的ではない音楽はtiktokに使いづらいから流行らないのです。

ただでさえエンタメ濃度が遥かに上昇しているのに、視聴者たちは一分一秒の空き時間に刺激を詰め込んで「つまらない」時間を徹底的に排除したがっているのです。

一昔前はそうでもなかったですよね。つまらないと思ったアニメでも一旦3話まで見てから判断するというオタク文化があったり、一応はCDで音楽が売れていたりしましたから。

でも今はもう違います。短時間で高いレベルの刺激を確実に得られなければ受け入れられない時代が来ているのです。

推理小説に話を戻しましょうか。刺激の密度という観点で言えば、推理小説は音楽やアニメに比べるとかなり低い部類に入ると思います。一つの物語の最後に謎解きやどんでん返しがありますが、そのカタルシスを得るまでに長編なら1時間程度はかかるでしょう。

私はどうもそれが受け入れられなくなったようなのです。

しかも作品によっては「え?ここまで時間かけて読んだのにこれだけのトリック?」とか「ここでさらなるどんでん返し…ってなんだ、そのまま終わるのか」みたいながっかり感すら感じるようになってしまいました。

そして私は次第に推理小説を読む割合が減って行ったのです。

でも結局、心のどこかではまだ推理小説が好きなんですよね。なので、自分の理想となる推理小説を自分で書くことにしました。

ただ、既存の本格推理ものを素人作家が書こうとしたところで、書店に並んでいる推理小説の劣化版が誰の目にも留まらないままネットの海に漂うだけです。当たり前ですがそんな簡単にプロの作品を超えられるわけがありません。推理小説というジャンルの土俵に立った時点で、私の作品の方が劣っているのは明らかです。

だったらどうすればいいか。

バカらしすぎてプロが書かないくらい、ナンセンスなものを書いてやろうじゃないかと。

一瞬だけ面白ければ、数人にでも目に留まれば、それでいいやと。

そんな意気込みで細々と書いております。気になった方はどうかマガジンから読んでやってください。