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File.09 石井聡恵さん(オーボエ)インタビュー

お客さまや演奏家の方、様々な方との出会いを大切に活動される石井聡恵さん。nextに長く登録をいただいている石井さんならではのお話を伺いました。

―― 現在の活動を教えてください。

現在は長野県内での演奏活動や、後進の指導のほか、専門学校の講師として活動しています。演奏活動の内容は、オーケストラ、室内楽アンサンブル、ホテルのラウンジ演奏、また、ご依頼いただいたイベントでの演奏、保育園へ出向いての訪問演奏等をさせていただいています。

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―― オーボエを始めたきっかけはなんですか?

私がオーボエを始めたきっかけは、中学校の吹奏楽部です。実は、自ら希望した楽器ではなくて、入部当初やりたかったクラリネット担当に決まっていました。それが、クラリネットを練習し始めて2週間ほど経った頃、顧問の先生に「今年はオーボエを決めなければいけない年だったのに、決めるのを忘れていた。クラリネットは人数が多いから一人移ってくれ」と言われて私が指名されました。「えっ!」と思ったのですが、それがきっかけでオーボエを始めました。当時の私はオーボエという楽器を全く知らなかったので、「どの楽器だろう?」という感じでした。吹奏楽部ではオーボエとフルートが同じパートで、私は体格が小柄だったので、最初はフルートより小さなピッコロを任されたと思っていました。(ピッコロも知りませんでした。)目の当たりにしたオーボエという楽器は、私がクラリネットの仲間だと思っていた楽器でした。最初はチャルメラみたいな音しか出せず全然楽しくなかったのですが、顧問の先生が宮本文昭さんのCDを聴かせてくださり「オーボエってこんな綺麗な音がするんだ」と魅力を知って、オーボエを頑張りたいと思うようになりました。

―― 宮本さんの演奏を聴かれてから、演奏の中で意識されたことはありますか?

そうですね。まず最初に考えたことは、自分がそのとき出していた音色と宮本さんの音色がかけ離れていたので、「どうやったらあの音に近づけるのか」ということです。そんなとき、高校の吹奏楽部に入っていた従兄に、オーボエのリードを試奏できるお店を教えてもらいました。お店に行って色々なリードを試してみたら、「宮本さんの音に近いかも!」と思えるリードに出合えて、それからオーボエを練習することがどんどん面白くなってきました。

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―― 東京で演奏活動を続けられる方も多いと思うのですが、長野県に戻られるきっかけはなんですか?

正直にお話すると、地元に戻るということは当初考えていませんでした。大学は愛知県だったのでそのまま愛知で活動するか、別の大学のディプロマコースに進学しようかと考えていました。けれど、色々なことが重なって「とりあえず長野に帰ろう」という選択をしました。あまりポジティブな気持ちで長野に帰ってきた訳ではありませんでしたが、いざ帰ってきてみたら地元の方々が温かく迎え入れてくださったので、当時悩んでいたことに対しても不安なく過ごせるようになりました。今となっては本当に、長野が呼んでくれたのかなと感じています。

―― 普段演奏する上で大切にしていることはありますか?

たくさんの作品について勉強するということを大切にしています。クラシックの作品であれば、作曲された背景や楽曲分析をします。普段の演奏活動ではポップス音楽、童謡唱歌などを演奏する機会が多いので歌詞の意味をしっかり理解して、自分の中に落とし込むことを大切にしています。それから、演奏会場の空気感に合わせるということも大切にしています。コンサートホールでクラシックを演奏したり、訪問演奏で子どもたちに聞かせる場面もあれば、お祭りでは派手にパフォーマンスしたり、ラウンジ演奏はBGMのように・・・など、演奏のテンションを変えています。

―― 動画や演奏会の情報を拝見する中で、様々な楽器の方とアンサンブルをされている様子がうかがえるのですが、そういったアンサンブルはどのような経緯があって組むことになるのですか?

大学在学中は木管五重奏など、決まった形のあるアンサンブルを組んでいました。県内にはたくさんの素敵な演奏家がいらっしゃいますが、長野県在住の管楽器奏者はそれほど多くありません。そんな中で、「何かコンサートをやってください」と依頼があったときにどんな編成でも対応できるようにしたいという気持ちがありました。アンサンブルを組むうえで、聞き映えする楽器の組み合わせはあるのですが、「やりたい人同士が一緒にやればいいんじゃないか」と私は考えています。例えば、オーボエとチューバのアンサンブルは合わないだろうと思うかもしれませんが、「とりあえずやってみよう!」という気持ちでやってみたら意外と面白かったりします。それと、「この方はどういう演奏するんだろう?」という、それぞれの演奏家が持つ個性にも私自身すごく興味があるので、聞き映えする・しないに関わらず新しい楽器の組み合わせに挑戦しています。今後も先入観にとらわれずに様々な演奏家の方とアンサンブルをしたいと思っています。

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―― コロナ禍で演奏される環境が激変した2年だったと思うのですが、その中で演奏家としてどんなことを考え、どんなふうに過ごされましたか?

コロナ禍に突入したころ、自分の仕事がキャンセルになる前に東京の方々が続々と仕事がキャンセルになったと話をしていたので、「ああ、いずれ長野にも来るだろう」と思っていました。なので「県内でも感染者が出たので、コンサート中止です」と言われたときも、「ついに来たか」という感じで割と覚悟はできていました。
休業生活に突入した当初は「この先どうなるんだろう」と不安もありましたが、急に時間ができたので今までできなかった趣味に没頭していました。お菓子作りや手芸、読書、楽譜の整理などをしていました。最初は正直「練習しなくていいんだ」と気楽に思って楽器を放置していた時期もあったのですが(笑)やっぱりひととき過ぎてみると「楽器が吹きたいな」と思うようになりました。そこで私は「HINKE」という初歩のエチュードから大学受験のときにさらってエチュードまで、毎日コツコツと練習するようにしました。毎日同じことをしていると、気持ちが落ち着きました。そうしているうちに、動画撮影のご依頼があって「ああ、久しぶりに演奏ができる場がいただけた」ととても嬉しく思いました。その頃に気づいたのですが、緊張とか余計な力が入らない状態でずっとエチュードをさらっていたことで、すごく楽器が吹きやすくなりました。コロナ禍で色々できなくなったのは災難でしたが、自分の演奏を見直す良いきっかけになりました。

―― nextに登録したきっかけはなんですか?

私が長野に戻ってきた年にnextが立ち上がりました。封書で「nextが立ち上がるので登録しませんか」というご案内が来ました。長野県で演奏活動をちょっとでも増やしていきたいと思っていた時期だったので、すぐに「登録を希望します」と書類をお送りしたと思います。

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―― nextに登録してよかったことはありますか?

はい!良かったことは数えきれないほどあるのですが・・・まず、長野県のイベント事業者さんやホテル演奏のご依頼、また楽器を習いたいという生徒さんの紹介を仲介してくださったことにとても感謝しています。思い出深いのは『ひるとく』という番組に出演させていただいたのですが、そのきっかけもnextでした。
そして、なんといっても一番は「楽器とあそぼ」という企画に参加させていただけたことが、私の演奏活動の財産になっています。nextに登録してすぐに、登録者に向けてウィーンの演奏家を招いたシンポジウムの案内があったのですが、そこへ参加したときに、ちょうど同い年くらいの登録者の方が何人かいらっしゃいました。シンポジウムの後に「ここにいるメンバーでアンサンブルを組んでnextで今年やる事業に出演しませんか」とお声がけいただきました。その一つが「楽器とあそぼ」という企画です。そこに参加したことで、演奏家としてだけでなくワークショップづくりの一員として企画に携わる貴重な体験をすることができました。ホールの方や、舞台の方、司会の方、デザイナーの方、イベントに携わる全ての方々にお世話になりながら、内容を詰めていく過程がとっても面白く刺激的でした。当時、大学を卒業して間もなかった私は「企画してくださるたくさんの方と関わりながら、一つのコンサートを作り上げていく」という過程に感動しました。
「楽器とあそぼ」の初回の事業がちょうど東日本大震災の直後でした。内容も詰めて、「さあっ」というときに大災害が起こってしまいました。開催はできないだろうと思っていたのですが、県内の状況は落ち着いていたので開催が叶いました。「どうなるかな?」と思ったのですが、いざやってみたら立ち見が出るくらいたくさんのお客さまが会場へお越しくださっていました!コンサートが終わってから「こんなときだけど、本当に勇気をもらえた」という感想をたくさんいただいて、「一つのものを作り上げて、皆さんに何かが伝わった」という感動が私の心の中に大きく残りました。
その後も別のプログラムで「楽器とあそぼ」の企画に参加させていただきました。演奏するだけでなくお客さまと一体となる参加型のプログラムを作っていくことが、とても楽しくて魅力的だと思うようになりました。それが今につながっていて、現在も参加型のワークショップの要素を取り入れたコンサートを企画したり、東京で音楽ワークショップを専門的に学べる講習会に参加しています。これからもやっていきたいライフワークの一つです。それも本当にnextでやらせていただいたことがきっかけなので、nextに育てていただいたと言っても過言ではないと思います。

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―― nextに登録してよかったと思っていただけたのが救いでした。

本当に皆さんに支えていただいているからこそできるかなって思っています。自分一人だとやっぱりできることって限りがありますし、出会える方々もそんなに多くはありません。nextがきっかけで繋がれたという方もたくさんいて「楽器とあそぼ」で知り合って、住む場所は離れていても今も連絡を取り合ったりしています。お互いの演奏活動の話をしたり、今でも刺激をいただいています。
また、演奏家の中にはnext企画の出演をきっかけに「長野で演奏活動ができるなら、地元に帰ろう」と思って帰ってきた人もいます。県に演奏家を支援していただけると思うと、安心して地元へ戻って来れると思います。

―― 今後nextに期待することがあれば教えてください。

私がnext企画のイベントに出演させていただいたきっかけも、素敵な仲間に出会えたからというのが大きかったので、今はコロナ禍で難しいかもしれませんが、いつかnext登録者同士の交流会ができればいいなと思います。せっかくたくさんのジャンルのアーティストがいらっしゃるので、ジャンルを超えていろんな方とコラボレーションしてみたいです。

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―― 今後の活動予定を教えてください。

今後もワークショップの要素を入れたコンサートや、朗読とのコラボレーションなど積極的に違ったジャンルの方とのコラボレーションをしていきたいなと思っています。
また、私は長野に帰って来てからたくさんの先輩方にお世話になりました。一方で、自分の教え子の世代がもうすぐ音大を卒業します。若い世代には新鮮なアイデアがありますし、先輩方は経験や知識が豊富にあります。色々な世代が集まって企画や活動をしていけたらすごく楽しいんじゃないかなと思っています。また、お世話になった先輩方への感謝の気持ちを持ちつつ、後輩達にお返しすることができたらなと思っています。

―― これからの目標はありますか?

地元の方々にもっと音楽を身近に楽しんでもらい、豊かな時間を過ごしていただけるように工夫して活動していきたいと思っています。

<略歴>
石井 聡恵(いしい さとえ) Oboe(オーボエ)
上田市出身、在住。上田高校、愛知県立芸術大学卒業。オーボエを藤井貴宏、小林裕、和久井仁、浦丈彦の各氏に師事。
長野県内外においてオーケストラ、室内楽、ソロなどの演奏活動や後進の指導にあたる。平成16年長野県ソリストフェスティバル一般の部第一位。
オーケストラEnsemble NOVAメンバー。next 登録アーティスト。

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(取材:「信州art walk repo」取材部 山田敦子・白澤千恵子・宮澤瑞希・中村睦子)


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