[論考]政治・アーキテクチャ・憲法――アクチュアルな思想史のために|上野大樹
上野大樹|UENO Hiroki
政治哲学、政治社会学。1983年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程、日本学術振興会特別研究員(DC)を経て、同特別研究員(PD)。京都大学人文科学研究所共同研究員、京都文教大学非常勤講師。著作に『3.11後の思想家25』(分担執筆、左右社)、『現代社会学事典』(分担執筆、弘文堂)、『公共圏と親密圏の思想史』(共編著、京都大学出版会・近刊)。“From Rivalry between Republicanism and Absolutism to Invention of Nation-State” in Nation-States and Beyond: Private and Public Spheres under Globalization, Seoul National University.
(Ⅰ)
「政治」とはなにか?
21世紀の幕開けを告げたこの最初の10年間は、後世から振り返って、はたしてどのような時代だったと評されるだろうか。いわゆるゼロ年代という呼称にも表われているが、大きな物語の終焉を唱えたポストモダン的文化中心主義は、紆余曲折を経たその先に、彼らが「大文字の政治」と対置して称揚してきたミクロな文化実践のある種究極の形態を見出した。「サブカル」はいまや、字義どおりの副次的な――ゆえにオーセンティシティを持ちえない――カルチャーという意味には到底おさまらない。むしろ反対に、かつてサブカルチャーであったはずのものが社会の中心的な場所を占拠しつつあるようにみえるのである。このことは、バブル崩壊後の「失われた20年」にあって日本が政治や経済の領域での国際的なプレゼンスを喪失しつつあるだけに、いっそう際立ってみえる―。ひとつの有力な見解は、およそ以上のような光景のうちにゼロ年代の基本的な特徴をみてとろうとする。
依然実態としては高尚な趣味の域を出なかったポストモダン的知の文化が日本固有の文脈に受肉化して真の民衆文化(popular culture)として花開いた実践的形態こそが、この日本が誇るサブカルだったのだとして、しかし他方、ゼロ年代が終局にさしかかるにつれて、このような総括には回収することのかなわない明らかに異質なモーメントが出現してきたことも、またたしかである。それはおそらく「政治の回帰」と名づけてもよいであろう全般的趨勢である。
このような理解には少なからず違和感を持つ向きもあるだろう。筆者がこの原稿を執筆しているのは、民主党の政権交代に沸く2009年時点の日本ではないのだから。とはいえまた、本稿執筆時点(2012年11月)ではまだ結果の出ていない年末の衆議院選における日本維新の会を中心とする第三勢力の躍進に期待をかけてのことでもないのは、言わずもがなである。では、政治の回帰とはいかなる事態を指すのか。筆者の念頭にあるのは、次のようなことである。上述のポストモダン的社会状況をもたらした基底的な要因である「ポスト産業社会の到来」(D. ベル)と呼ばれた社会の構造転換は、政治の脱中心化を決定的におしすすめ、日本でも、全共闘運動から大阪万博へという70年前後の流れのうちに、政治の季節の終焉と政治的無関心の常態化を刻印した。だが、今日の日本社会のフェーズは、大量生産・大量消費を代名詞とする工業社会から第三次産業中心のサービス社会へという、この当時の最先端であった「近代化」イメージとは本質的に異なる点がある。その核心にあるのは、いうまでもなく経済成長に依拠した成長社会の終焉という事態であるが、このことと相関して、政治に対しても大幅な役割期待の変質が生じた。すなわち、経済的パイの拡大を前提としたうえで、成長や効率性とは異なる社会的価値――たとえば政治的安定――の実現を図るべく、地方と都心の格差是正を中心とした広義の再分配機能を行政官僚機構に担わせるという「55年体制」下の自民党政治は破綻をきたし、多元主義的コーポラティズムのもとでの諸利害の調停者という役割を超えて、政治に日本社会の構造改革のイニシアティブをとることが求められるようになったのである。その意味では、安定的成長社会のもとで実質的に「行政」へとその意義が縮減されていた政治が、あらためて本来の「政治」――諸資源の配分や再分配の上位に位置すべき基底的な価値ないし目的の定立自体にかかわる営み――へと呼び戻されたのだということもできるだろう。
けれども、それが諸手を挙げて喜ぶことのできないような両義的な事態であったことも、いまからみれば明らかなことだ。失われた10年といわれた90年代に端を発し、ゼロ年代の日本を席巻するにいたった新自由主義改革とは、実のところ、このような政治社会の構造変化と軌を一にした現象であったと考えられるからである。一見すると、新自由主義は市場経済を万能とみなし、
政治・行政権力や市場へと開かれていない不透明な中間団体――談合組織や労働組合など――を社会全体の効率的な編成を阻害する障壁ととらえるので、政治の回帰という把握とはむしろ正反対の社会構想であるかのように思われる。ところが、新自由主義は実際には紛うことなき「政治思想」である。なぜなら、ひとつの社会をその土台から根本的に変革するということは、仮にそれが可能だとしても、例外的なまでに巨大な政治権力の発動をもってはじめて現実化しうるような事態だからである。このような新自由主義の倒錯した構造を、1970年代後半という異様なほど早い時期に驚異的な筆致で明らかにしたのが、コレージュ・ド・フランスの公開講義におけるミシェル・フーコーであった(『生政治の誕生』)。
かくのごとき政治のルネサンスは、したがって、必ずしも民主主義という集団的意思決定の深化や定着、それにともなう民主政治への社会的信頼の醸成を意味するものではない。現下の政治状況を一瞥するだけで、実際に生じているのがその真逆の現象であることはすぐにわかる。今日の日本の政治意識をその深層から把握するために肝要なのは、次の点を理解することだ。愛の反意語は、憎悪ではなく無関心である――。西洋政治思想の伝統においては、自由な政治社会への愛、つまり共和国への愛こそが共和主義的な民主政治の核心だと考えられてきた。ここで愛(love)の語を愛着(attachment)に置き換えてもよい。ところで、愛着の対義語が無関心であるとすれば、70年代の安定成長期から80年代のバブル経済の時代にかけての日本で、世界にも類を見ないしかたで実現したといってよいポスト産業社会としての高度大衆社会においてこそ、「政治の死」は完成を迎えたというべきであろう。当時人々は、政治というものを忘却していたのだ。翻ってゼロ年代を眺めるならば、そこに見出されるのはそのような政治への無関心とは微妙に、しかし決定的に異なる感情である。民主党の政権交代に託した希望が裏切られたという国民の感覚は、政権交代以来初の総選挙となる衆院選を覆う基調的な雰囲気のひとつとなっている。だが、国政に対する失望や憤りといった現在の感情は、かつてのポスト産業社会論が想定したような大衆の政治的無関心(apathy)とは異質な政治意識として理解されなければならない。無関心、すなわちパトス(感情)の不在が愛情の反意語だとすれば、憎悪や憤怒の感情は愛情の裏面である。少しばかり逆説的な表現をするなら、政治に対する怒りとは、政治への愛のひとつのあり方にほかならないのだから。
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