2023/03/15

Twitterの仕様が変更されて「おすすめ」タブにフォローしていない人のツイートが頻繁に表示されるようになった。普段は「フォロー中」のリストでツイートを見ているけれど、「フォロー中」のリストは時系列順になっていて、Twitterを開いていなかった期間に追えなかったフォロワーのツイートを見るために「おすすめ」タブもよく利用していた。

仕様変更によって大きなストレスを感じるようになった。フォローしていない、自分と相容れない考え方の人たちのツイートがたくさん表示されてしまうからだ。ユーモアの質が合わない、とか、意識高すぎて合わない、とかであればまだしも、RTが伸びているヘイトや嫌悪、差別や蔑視のツイートを目にする機会が増えたのは非常にストレスだ。しかし、フォロワーのツイートだけを見て、見たくないものに蓋をした結果、自分の中でエコーチェンバー(自分の意見や思想が肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする、又は価値観の似た者同士で交流・共感し合うことにより、特定の意見や思想が増幅する現象)が知らず知らずに広がっているのではという危機感もある。結局のところの正解は「Twitterを見る時間を減らす」以外ないのだが、メンタルが落ちている日に限ってTwitterを開き続けてしまい、精神をさらに磨耗させてしまう。

先月、仕事中に急に来た限界感を紛らわすために、noteを書いたり、実家に帰ったりした。そのおかげもあってなんとか回復して2月後半から3月前半を乗り越えた。そして今、また限界感が来た。限界感は何度でも来る。ここでいう「限界感」というのは、よく考えれば限界じゃないんだけどそう言いたくなるような、ちょっとしたハードルを乗り越えられなくなるような、動悸が止まらなくなるような、そんな感じのものだ。この先に進めば症状が出るけど、ギリギリ持ち堪えているような感じ。とはいえ、「やらない」自分を精一杯甘やかしてはみるものの、結局のところ解決策は「やる」ことなんだよなあといつも思う。

思い返せばいつも「やる」ことで物事を良い方に乗り越えてきた。大学を卒業するために必死に授業を受けたときも、コールセンターの仕事が大変になった時も、目の前のことを「やる」ことが道になった。じゃあやらなかった時は?やらなかった時はやらなかった道に繋がった。

このツイートの感覚に近い。やらなくても人生は続いていくけど、やらなかった道に接続されていることは確かだ。それが100%悪いかと言えばそうでもないけれど、個人的な感覚として、成し遂げたことで続いた道のほうが良い場所に辿り着けることは多かった。

となると今の最適解は「目の前の仕事を真剣にやる」か、それができないのなら「別の仕事に進めるよう努力する」かのどちらかだ。どちらも選ばないままnoteを書いたりTwitterを見たりしているとやらない道に接続されていくだけだ。

けれど、ほとんどの人間にとって、「やらない」の道は至極当たり前のもののようにも思える。振り返って、自信を持って「やった」と言える物事はどれくらいある?あったとしてもその一つのためにどれだけの「やらなかった」がある?やりたかったことが「できなかった」ことがいくつある?

結局、人生の中で限られた時間と士気とタイミングなど諸々を擦り合わせて、少しでも「やった」と言えることを作って、その道に進むということが大事なんだなと思う。何もできていない今の自分は良くない……。

人間が文章を書く、絵を描く、ということの意味が脅かされる日がすぐそこまで来ている。AIが書いた文章や絵があちらこちらに現れている。手書きがデジタルになったことで変容したのとはわけが違う変化がこれからやってくる。自分が文章を書く意味とは?生活をする意味とは?そんなものないとわかっていて、それでもやるけど、一人になると自分は何がしたいのか全くわからなくなる。

いいからやれ、の「やれ」を何にするかに悩んでいる間に、もうやってる誰かがちゃんと道を進んでいる。目の前のことを真剣にやれないことの悪さがどんどん溜まっている。良くないですね。今日は良くないという話しか出来そうにない。明日は良い話と出来る話がしたいですね。

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