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社会人1年目の出来事、振り返り。

大学を卒業後、私はリフォーム会社に就職してサッカーと仕事の二足の草鞋を履く予定だったのですが、3月の末に会社に呼び出され社会人サッカーをしながらウチの会社で働くのは無理だと思うと言われた。

前例がないしウチの会社でアルバイトで働きながら慣れてきたら途中で正社員に切り替えてもいいんだよと提案されたりした。

そんなこんなで最終的に3/31の夜に内定取消となり翌日4/1からフリーターとなった。

社会人になる前日に内定取消になった人なんておそらく全国探しても自分だけだったと思う。

実際4/1になり僕の周りのほぼ全員が入社初日を迎え晴れて社会人の仲間入りした。

そんな状況を見て僕は焦りが止まらなかった。

大した経歴もなく、バカな僕は完全にスタートに出遅れてしまった。

その一方で、もう一度サッカーで上を目指そうという気持ちがより一層増して芽生えてきた。

世間はコロナのパンデミック真っ最中で、所属していたONETOKYOも活動を自粛していた。

なので社会人初日から公園で1人自主練をする日々。

ひとまずバイトを探さなくちゃと考えたけど、去年の年末から暇つぶしでやっていたUber eatsをやるようになった。

僕は幸いにも原チャを持っていたので本気になれば初任給に届くくらいは稼げると思って始めたが、4月のUber eatsでの収入は26万円と予想を遥かに超えた。

みんなは家から電車に乗って仕事をしに行くのに対して、僕は家でアプリをオンラインにした時点で仕事が始まるので通勤時間を省けた。

段々仕組みがわかってきた僕は注文が殺到する時間だけオンラインし仕事の効率化を図った。

11時より少し前にオンラインにし、昼の時間は大体14時半くらいまで配達。

一回帰宅して、17時より少し前に再びオンラインにし21時とかまで配達。

1日に大体7時間働いた。

1日の配達件数は平均16.17件。多い時で20件。
1日の売上金額は約10.000円〜15.000円。

1日のノルマを10.000円に設定して働いた。

雨の日だとオンラインにする人が激減するのでインセンティブが増えたり件数も多く運べるので必然的に収入も増えていった。

昼の時間と夜の時間に分けて、一度帰宅した時にはただ休憩をするだけでなく、時間を有効活用する為に、読書の時間を設けた。


ただ本当に眠い時は仮眠を優先させた。(睡眠時間だけは確保したいタイプ)

1日の流れをまとめると、

4/1から当面の間は、
8時に起床し公園でトレーニング。
本田圭佑さんのトレーナーからもらったメニューをひたすらに取り組んだ。
トレーニングの最後にはボールフィーリングトレーニング(リフティング、ドリブル)もかかさず行った。
トレーニングが終わり帰宅しシャワーを浴びたら朝食の時間。
その後、11時前からUber eats。
14時半過ぎに家に帰ってきてお昼ご飯を食べ、読書Time。
自己啓発本が好きなので本屋に行って表紙で良いなと思った本を読んでいった。
16時半になり少し休んだ後再びUber eats。
20時半を目安に終わらせていたが1日の売上目標の10.000円を超えるまではやるようにして21時半まで配達する日もあった。
週2、3日程度で夜練にも取り組んだ。
長い距離のランニングがメインだったが、公園の遊具を上手く利用して筋トレもした。 


こういったサイクルを繰り返した。

周りの友達が必死に働いているのに自分が何もしていないとどんどん差がついてしまうことくらいはバカな俺でもわかっていた。


だからとことん読書やYouTubeで情報をインプットした。

次第にこの生活リズムに慣れてきてこのまま正社員として働かなくても周りの友達より稼げているし、自分の時間を確保できてるからと思うようになり今の生活に甘えてしまっていた。

これに気付いたのが夏前の7月とかだったと思う。

そんな中、コロナの影響もありつつもONETOKYOはリーグ開幕を迎え、記念すべき初陣を迎えることができた。

結果は7-0。

発足して半年。

ようやく初勝利の瞬間を味わえた。

※その時の写真がこちら。武井さんも来てくれた。


緊急事態宣言が明け活動を再開し、リーグも開幕したONETOKYOでしたが選手の半数の人がサラリーマンだった。

そして自分が思ったよりもサッカーに対する熱が感じられず、知名度があったから入ってきただけなのかと思ってしまった。

練習に遅れて来るとか自分の中では考えられなかったのに残業で遅れますとか残業で休みますとか日を重ねる毎にその連絡が多くなっていった。(残業があるのはわかるけど週に2〜3日しかない練習に遅れて来るのはその人に責任があると勝手ながら思ってた。)

平日の夜、わざわざ豊洲or海浜幕張まできてサッカーコートでトレーニングができない。そもそもゲーム形式をする人数すらいない。

この環境で上を目指すのは無理だと諦め、シーズン途中で移籍はできないので、就職活動を始めた。


コロナでほとんどの業界が打撃を受けているのは知っていたが、なんとか8/21付けで商社に入社できた。

しかし、社会人は甘くないと覚悟していたが想像以上に過酷だった。僕の場合、激務とかではないが入社したてということもあり仕事量少なくほとんどの時間をパソコンの前で睡魔と戦っていたと思う。

時計がすぐ見えるところにあり秒針の針を追うくらい暇だった。

若い人が少なく年齢層はかなり高くとにかく自分が浮いた存在に思えてきた。

そして何より社内に社会人にまでなってサッカーやってるのかと僕を良く思わない人もいた。

仕事は17時半に終わってもONETOKYOのトレーニングが21時からということもあり一回家に帰り食事を済ませてからトレーニングに向かっていた。

23時に練習が終わり家に帰って来るのが24時15分とか。

そこから寝る準備をしてもベッドインするのが早くて25時30分とか。

夜中の1時半に寝て次の日は6時半に起床。


しんどいけどこの生活を続けた。

だが、3ヶ月しか保たず。


僕は仕事を辞める決断をした。


仕事を辞めてからは別のサッカーチームを探すことに注力した。


どんなチームがあるのか詳しい方ではなかったのでチームで1番頼れる先輩(ONETOKYO最年長の大庭君)にお願いして一緒に探してもらった。

キサくん(ONETOKYOの選手兼コーチ)も沢山動いてくれた。

そんな周りの協力もあったりして南葛の存在を知った。

岩本さん(南葛GM)がONETOKYOのオンラインサロンメンバーだっだこともあり、面白そうなチームがあるなと思っていた。

その一方でチーム(ONETOKYO)は都3部リーグへの昇格戦に向けて準備をしていた。

相手は僕の大学の先輩が6.7名いるチームで個人的にとてもやりづらかった。

試合当日は土のグランド。

そして強風で正直サッカーにならなかった。


ボールをクリアしても戻ってくるくらい強風で試合はどっちに転ぶか全くわからなかった。

結果的に少ないチャンスをモノにして試合は2-0で勝利し昇格が決定した。

10年連続優勝そして昇格しJリーグを目指すチームとして最低限のノルマを達成できた。

とても安堵の気持ちだった。

色々不満はあったかもしれないけど最高のメンバーと思い出を作ることができたし、何よりこれからJリーグ入りするこのクラブの初代メンバーとして貢献できたのは、大きな財産になった。

※これがその時の写真。みんな良い笑顔‼︎


だがシーズンが終わっても僕にはチームを探さなければならないので休む時間などほとんどなかった。

12月の寒くなる中、ONETOKYOのプロ志望選手数名(5.6名?)で練習したのを鮮明に覚えている。

ここでも不満に思ったのが、確かにみんなサラリーマンをやっていて公式戦が当分ないからシーズンオフに入りたいのはわかるけど、サッカーを好きでやっているのだからプロ志望をしている選手達の手助けをしてくれるものだと思ってたが、そんなことはなかった。

呼びかけても集まってくれたの毎回1.2名だった。

そんな中シーズンを終えた年末にチームメイトの威吹樹(いぶき)が南葛SCから声が掛かっているのを知った。

なのでそのタイミングで自分も1週間練習参加をさせて貰えるようになった。

チームの始動日に合流したこともあり、長期オフ明けでそこまで激しい練習はしてないけれど、要所要所で自分のプレーを出せたと思う。

そして最終日の夜に岩本さん(南葛GM)から電話があり合格の連絡を受けました。

この移籍は果たして自分にとっての最良の選択なのか。個人的にかなり悩んだが、入団させてもらうこととなった。

この移籍が成功か失敗かなんて終わった時になってみないとわからない。

これは自分自身が選んだ道。

"選択の答えは1つじゃないから、人は選んだ道を正解にできる。"

この言葉は移籍する際にEDOALLUNITED(旧ONETOKYO)の代表取締役・奥山くんから頂いた言葉。

こうして様々なことが起こった社会人1年目が終わりました。

これからもこの奥山くんの言葉を励みに歩み続けています。

END.



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