1982年生まれは「花」なのか

過去の公開記事を見たら、最後の投稿が2014年。それから6年ぶりにログイン、noteに戻ってきた。

なんとなく、ここで表したいと思った。

自分と同じ1982年生まれの女性が主人公の映画が秋に公開されるのも、1つのきっかけだと思う。

日本で1982年といえば「花の82年組」とも呼ばれるように、大人気アイドルがたくさんデビューした年。

芸能界ではなく、この世に1982年にデビューした私たち。

平成元年に小学校に入学や、21世紀最初の年に高校を卒業して、大学生や社会人になるなど、何かと人生の節目と世間の節目が重なっている。

関西生まれ在住の私にとっては、平成7年(1995年)の小学生から中学生になる年に阪神大震災を経験したのも、自分の人生の節目に起きた大きな出来事だった。

中学卒業から高校入学の年(1998年)には、何か大事件が起きるのではないか?と考えて怖かった時期があった。

この年にはさほど大きな事は起きなかったが、その翌年から起き始める、同年代の人による事件によって、17歳の時に「キレる17歳」という言葉が生まれた。

大人になってからも同じ年齢の人が起こす重大事件もよくあり、「また同じ歳の…」とニュースを見ながら何度も思った。

とはいえ、同じ年齢の人たちには金メダリストも多く、職場の人には「ピンキリの世代」とネタっぽく伝えている。

私たちはいわゆる「ロストジェネーション世代」らしく、青春時代を不景気真っ只中で過ごした。

そして、就職氷河期。

私は今も非正規(アルバイト)で働いていて、独身、実家暮らしだ。

自立出来ない、甘えっぱなしなのは自覚している。

大学生の時に就職活動はしていたが、途中で元々あった留学したいという気持ちを抑えきれず、就職活動を途中でやめた。

そこからアルバイトでお金を貯めて、大学卒業から1年経たない内に念願の語学留学をした。

その留学期間は4ヶ月。物足りなくて帰国後にまたアルバイトでお金を貯めて、2年半後にまた同じ都市へ留学。

またそこで4ヶ月を過ごし帰国。

この時で年齢は26歳。

今思えば、その時に正社員での仕事を探したら、いくらでもあったと思う。

しかし、何故かその時は「もうこの年齢では、社会人経験もない人間を、正社員では雇わないだろう」という思い込みで、アルバイトを探した。

リーマンショックがあったのも、私の考えに影響していたのかもしれない。

そして、その時に見つけたアルバイト先で、今も働いている。

今年で勤務年数は11年。

勤務時間は5時間ちょっと。今もそうだ。

どこかで甘い、甘すぎる考えもあった。

その内、結婚となれば、年収的にも時間的にも続けやすい環境だ、ここは、と。

その時に彼氏はいなかった。

なぜ、そう思ったのか。人生の見通しが甘過ぎた。

それが今も続いている。

私の人生、ずっと見通しの甘いまま生きていくのだろう。

さて、タイトルの「1982年生まれは『花』なのか?」

1982年生まれの全員を巻き込むわけにはいかないので、これは私だけに言えることだが

(たまたま1982年に生まれた)私は「花というより、甘い花の蜜を吸って生きていきたい」人間だ。


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