9月27日

体調不良の原因が判明して1週間、母が来てくれたり、会社に行ったりしているうち、歯の痛みも完全に消えた。歯が痛くないということが、健康であるということがこれほどまでに幸福なのか!と思ったらちゃんと養生しようと思った。

歯の痛みをはじめ、秋雨前線のジメジメで胸や足のアトピーが目も止められなくなっていることなど、自分の不快さを取り除くための努力をしようと思い始めた。半日断食を始めたとき、いままで恒常的なものになっていた胸のアトピーが瞬く間に落ち着いたのを見て、ステロイドなしで、かゆくない膿んでいない状態なんて中学生以来初めてだったから本当に感動した。こんなことあるんだと思ったし、やはり探せば答えはあるものだと嬉しく思う。

それで心豊かに過ごしたくなって、一度自分に本当に必要なもの、必要でないもの、頑張るべきことがごちゃっとなっている頭と部屋を整理することにした。なんでもがむしゃらにやることはバカで若者らしくて惹かれるのだが、どうやら私はそんなに強くないのだと、ぽきっと折れてしまえばそれまでの存在なのだと今回思い知らされたので、日々養生しようと思ったのだ。
今回の土日休みで部屋の片づけを行った。その中でも自分の中で大きかった出来事が二つ。

①大量にあった本を整理する / 読まない本を実家に送る、売る
残念ながらBeforeの状態を取り忘れてしまったが、いり乱れ、棚からはみだして積み上げられ、もはやなだれ落ちんばかりになっていた本を整理した。どの本にも一つひとつの思い出があって、どんなにくだらないかも、と思う本でも二回目には気づくことがあるので、本当は売ったりしたくない。
しかし自分自身が持てるものは限られていると今回の病気で強く感じた。断食だって、大好きな「食べる」を手放すことがどんなに自分のためになるかを実感したから、本を楽しめる部屋と自分であるためにも、もう少しちゃんとする必要があった、私の本棚は。
ただ、これだけの本を売るのは初めてだったので本当に胸が痛かった。自分の人体の一部が売られていくようだった、非常に安価で。でも、今自分が何を愛し、大切にしているかが少しだけはっきりして、わくわくする本棚になった。

画像1

②アロマデフューザーを買った
ずっとほしいと思いつつ、飾りになりそう邪魔になりそう本当に必要?と思い続けてきたアロマデフューザーを買った。
体調の悪いとき、休まなきゃ寝なくちゃと思いつつ、起き上がってうろうろ、歯が痛いのに冷蔵庫を覗いてソワソワしていて、だんだん気の毒になった。自分にとって自宅が落ち着く場所でないということが。
思えば平日会社に行って、土日はスリランカ料理屋に行っていたここ数か月はほとんど家は寝るか食べるかする場所になっていて、リラックスする場所ではなかったのだ。スリランカ料理屋に行く前も、休日は行動しないと落ち着かず、何かをした気にならなくて外出ばかりしていた。長期休みになると実家か旅行に出かけてしまうので、本当にただの寝泊まり場だった。
どうりで落ち着かないわけだ。ずっと食べるか寝るか、だって自分にとってそういう場なんだもんね。それってでも、どこで私はリラックスしているんだろう……と考えていたら、自分の心や身体が気の毒になり、日々イライラするのもそうしたことが原因かもしれぬと反省し、思いついたのだアロマデフューザーだった。
しゅっとするときもちいーよ、と母が匂いのするスプレーを何気に吹きかけてくれたマスクが心地よくて、匂いって緊張を解くものなんだと気づかされた。という訳で、買ってみた。

画像2

散らかっていた部屋を片付けたからというのもあるけれど、自分の部屋がすごく好きになって、これなら無駄な残業も減らせる気がするし、ぼろ雑巾のような気持で帰ってきても、ちゃんと眠れるような気がする。

あと、したいと思っていることは、
・忙しくてもお弁当を継続すること
・半日断食を継続して、胸のアトピーを完治させること
・折り畳み式のローテーブルとクッションか座椅子を買うこと
・母に手紙と贈り物を送ること

会社でも大きな業務が降ってくる時期、整えて頑張りたい。。
人生は自分の責任なので。。。

最後に、今日図書館に本を返しに行ったら、空気が涼しくて本当に気持ちがよかった。二年前自分がここに越してきたばかりの時も、こんな季節だったなと思い出した。

画像3

画像4

画像5

去年のアッセンブリッジに、彼と一緒に行った日も11月ごろだったけど、すごく空が澄んでいて気持ちよかった。
こういうとき、どうしたらずっとこんな気持ちでいられるか、この気持ちのいい世界を保存していつでも取り出せるようにできないか、と何度も何度も思ってきたのだが、誰かといても自分ひとりでいても、やっぱり保存というのはできなくて、何かの拍子に、あのとき本当に気持ちよかったなあと思うことが精一杯の味わい方だ。

なぜか思い出すのは高橋由一だが、どの作家も、代表的な作品の他に、自分の生まれ育った田舎の風景や、没するまで制作をつづけた場所の風景を何度も描いているような時期があるような気がしていて、あれらの作品は今日の私のような気持から生まれたのだろうなと、ぼんやり思った。

写真でも、私の記憶でも、やっぱり味気なくて、この気持ちをどうしようかな~と思って、こうやって文章にしてみたり、料理作ってみたりする毎日を、いつかのための練習と思って、何度も何度も続けていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?