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「水」について考えてみた:四柱推命・五行



少し前のことですが、ずっと、右側の奥歯の痛みが続いていました。

奥歯というよりも、右奥の全体が痛む感じです。


大した痛みではなく、「気になった時に痛む」感じだったので、気にはなりつつ放置していました。


まあ、そのうちに治るかなと、安易に考えていたのです。


人には、「早めに病院に行った方がいい」と、しつこく言っているのですが、自分の事となると、話は別・・・

怖いし、痛そうだし・・・


「多分、私は大丈夫。」


そんな、根拠のない「自信」が、変なところで湧き上がってきて、ついつい「臭いものに蓋」をして、痛みを「無かったこと」にしていたんですね。



体のコンディションを整えるために、定期的に通っている、整体医院があります。院長先生は、「私の体のコンディションを私以上に熟知」してくださっている、頼りになる先生です。


施術の時、「歯を食いしばってますね」と、言われました。

「そうそう、奥歯が痛い」と私。


頭(脳)を使って考えていると、「気」がどんどん上に上がり、上半身に浮腫や滞りが出てきます。それに「応戦」するために、歯を食いしばって立ち向かおうとするらしい。

毎日のことなので、「食いしばってる」感がなく、というか、「食いしばる」のが日常になってしまうため、気がつかないそうです。


何かに「集中」する時にも、「食いしばる」そうで、確かに、その頃は、いつも以上に「集中」を強いられる場面がたくさんありました。


「今月も良く頑張りました」


と、院長先生に褒めてもらって、自分でも自分を褒めて、いい気分で施術が終わりました。



私の「仕事」は、「頭(脳)」しか使わないので、いつも不調が出るところが同じです。不調の「出方」や「経過」も同じです。


体調を大きく崩した時に、院長先生と出会い、その後、ずっとメンテナンスをしていただく中で、客観的にいつも体の状態を教えていただきながら、自分でも、「そろそろ危ないかも」とか、「今、絶好調ね」とか、「理論的」に自分のコンディションを知ることができるようになりました。


心と体は一つです。


心が「元気」だったら体も「元気」

体が「元気」だったら、少しくらいの「ストレス」にも、「元気な心」が立ち向かえるので、日々のメンテナンスは、「仕事」の結果を出すためにも、とても大切な「投資」だと思っています。




院長先生は、ご本人もかつて「アスリート」そして、「アスリート」の指導者として、ご活躍されています。


「アスリート」の世界は、「勝つか負けるか」の「二択」の世界です。

どんなに頑張ったから、どれだけ耐えたから、だから勝てるかは全く別のものです。「勝つ」と「良し」とされ、「負け」は「だめ」。それは、時として負けることが「終わり」の宣告にもつながる非常に厳しい世界です。


日々プレッシャーとの戦いの中、その指導も「押しつぶされるような圧力」との戦いです。


アスリートは、むちゃくちゃ「食いしばる人」

その「食いしばり」は、私と比べ物にならないレベル。
なんと、院長先生の奥歯は、「骨折」しているそうなんですよ。歯に圧力がかかり、クシュっと潰れた感じになっているらしく、治療はできず、付き合っていくしかないそうです。
「粉砕骨折」みたいな感じなんだそうです。



骨折には、2種類あります。

「単純骨折」と「複雑骨折」です。


「単純骨折」は、ポキっと折れた状態で、骨折面が、真っ直ぐでとても「シンプル」です。
これは、短期集中的に、ピンポイントで圧がかかったら起こります。

なので、治療としては、ボルトやプレートでサポートをして、骨が再生するを待ちます。真っ直ぐな面は、それがくっつくと治るので、時間をかけてくっつくのを待ちます。


「複雑骨折」は、クシュっと押しつぶされてしまった状態です。骨折面の一つではなく、複雑で、どこまでが「折れて」いて、どこからが「折れそう」な状態なのかの把握が難しいです。骨折は、表面の目に見えるところだけにとどまらず、目に見えない「奥」にも隠れている可能性もあるのです。
これは、持続的に圧がかかり続けて起こります。

治療は、できるだけ良い状態になるよう見守る。「骨」の「底力」を信じて、無理をしないようにと大切に見守ります。

だから、ちょっと厄介。



私の「食いしばり」対策としては、「ガムを噛む」こと。

それはなぜかというと、ガムを噛むことによって、「唾液」が出て、口の中を「緩めて」くれるそうです。


その後、なんと、歯が骨折してしまい、治療をしました。
私の場合は、ポキッと欠けた「単純骨折」ではありましたが、なるべく食いしばらないように、緩める意識をしています。




なぜ、唾液が食いしばりを緩めてくれるのか、五行的に考えてみました。「口」は「土」の気を宿しています。
「唾液」は「水」
「土」は「軸(自分のこだわり)」


「気」は意識をしたところに「集中」します。
ということは、自分のこだわりが、あまりにも強すぎると、「口」の状態が悪くなる。
なので、「水」を補給し、一息すると、「土」がほぐれて良い感じになります。しかも、不要な「泥汚れ」をすっきり洗いながしてくれる。
なので、解放される。

こんな感じかもしれないですね。




日々の些細な積み重ねは、「ポジティブ」なことでも「ネガティブ」なことでも、時間を重ねるごとに積み重なっていきます。結果として、とても「大きな圧力」となるのですが、じわじわ来るので気が付きません。極限状態になって、初めてその重さに気が付きます。



例えば、ちょっとした「寂しさ」とか、ちょとした「我慢」とか、ちょっとした「違和感」だったり、小さな心の「痛み」が蓄積してしまうと、突然、大きな「痛み」を抱えていることに気が付きます。

戦うにはあまりにも痛いので、痛みから逃げ出すため、その場を離れます。

ある時突然、全てを「水に流して」しまいます。


余りの突然の「出来事」に、周囲は、「どうして?」と、びっくりして「わかりやすい原因」を訪ねます。

でも、「積み重ね」は一つ一つはとても「些細」な事なので、しかも、たくさんあり過ぎて、「これです」と限定できないのです。

当の本人でさえも、「どれが一体悪かったのか」わからないので、人に説明できるすべはありません。


なぜそのようになってしまうのかは、陰陽論から考えるとわかります。
陰陽は、常にバランスをとります。

陰があまりにも強くなり過ぎた時、一瞬にして、同じ力の陽が出現します。クルッとひっくり返るのです。(陰陽の相互転化)


痛みに押しつぶされないように、「水」が「流して」くれるのです。



森羅万象の全ては、五つの「気」の集合体です。

五つの「気」がお互いに力を与えながら「進化」していきます。

それは「木」から始まって、「水」で終わるサイクルです。


「水」は「木」に力を与えます。(水生木)


全てが「水」に流れてしまっても、それは「木」に全ての力が注ぎ込まれ得たから。

だから、「失う」ことは「始まる」こと。

時が経てば、新しい芽が、ひょこりと顔を出してくれる。


五行の巡りを想像すると、少しだけ、焦る気持ちが和らいでくれるかもしれませんね。



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