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お稲荷様 ⑦

うちの周辺には、お稲荷様を屋敷神として祀っている家が多い。

小さいころ、隣家との境は塀ではなく木だった。
「となりのトトロ」に出てきそうな木のトンネルを抜けて、よく隣家に遊びに行っていた。隣家とはとても仲が良く、おじいちゃん・おばあちゃんにも可愛がってもらっていた。

隣家へと続く木のトンネルの途中、小さなお社のお稲荷様が祀ってあった。
隣家が祀っているものだった。
小さいころ、よく庭の花を摘んでは、お稲荷様にお供えしていた記憶がある。
霊障だらけで、落ち着かなくて居心地の悪い家(土地)ではあったけれど、その空間だけは、いつもやわらかな日差しが降り注いでいた。
私はそこが大好きだった。

お稲荷様が移動したのはいつだったのか。
幼稚園から小学校へと進学し、隣家のおじいちゃんおばあちゃんと遊ぶよりも、友達と遊んだり習い事を始めたりで、お稲荷様にお花をお供えすることもなくなっていったのだが、気が付いたらお稲荷様の場所が移動していた。

木のトンネルは壊され、広い敷地にあった大きな家は、マンションへと様変わりしていた。家だけではない。隣家は多くの水田や田畑を持っていたのだが、それらも全てマンションへと変わっていった。

事業に失敗して手放したのだと聞いた。

お稲荷様の場所を移動させたからなのか、事業の失敗とお稲荷様は関係がないのかはわからない。
母に聞いたところ、お稲荷様の場所移動は1度だけではなく、これまでも何度か行われていたそうだ。場所を移動させる際に、何かしらの祈祷などはやらなかったらしい。

何度か移動した場所の記憶はないが、最後に移動された場所はマンションの駐車場の片隅だった。
駐車場の片隅にあっても、ちゃんと祀られていたらいいのだけれど、祀る人もおらず、お社や鳥居はみるみる朽ちていった。

幼いころに記憶している柔らかな雰囲気のお稲荷様は消えて、殺伐としたなかに静かに怒りを湛えてような、そんなお稲荷様に変わっていた。

隣家がマンションになってどのくらい経ってからだっただろうか。
その頃には、私は家の霊障を解くべく、土地の因縁を調べていた。
霊障の中に、お稲荷様の怒りもあったので、うちの家から毎日お稲荷様に手を合わせるのが日課だった。

マンション内でお稲荷様を撤去する決定が下された。
撤去工事をする人がお稲荷様の下調べをしに来ていたので、話を聞いてみると、特に御霊返しをすることもなく工事をすることになったのだそうだ。
信心深い方だったので、何も祈祷もせずに撤去することに抵抗はあるが、かといって勝手に祈祷することもできないとのことだった。

自分の家の敷地にあるお稲荷様ではないので、勝手なことはできないが、かといって、このまま何もせずにお社が壊されて撤去されるのも見ていたくない。そう思って、お社の中に残されていた神具を大元のお稲荷様に持っていくことで御霊返しとすることにした。

工事の方から預かった神具は、仏具だった。
お稲荷様は京都の伏見稲荷から勧請されて祀られていたのだが、何故か仏具で祀られていた。隣家では、祀り方はあまり気にしていなかったのかもしれない。

お稲荷様に手を合わせ、御霊返しの祈祷などはできないが、お祀りしていた仏具を伏見稲荷にお持ちすることで、お稲荷様を京都にお連れすることを伝えた。

伏見稲荷に着いて、仏具についてお焚き上げなどをしてもらえるのか聞いてみたところ、全国からそういった要望があるが(お稲荷様のお社や狐の像等々)一切受け付けていないとのことだった。

仕方ないので、本殿から奥の院までお参りし、奥の院では幼少期から守ってくれていたのに、このようにお社を撤去することになってしまったことをお詫びして帰路についた。

その夜、母が不思議な夢を見た。
赤い着物を着た狐を、母が送っていくという夢だった。

母は霊が見えるというような霊感はないが、何かしらのメッセージ性のある夢を見る人だった。
特に私が土地の因縁解消のために動き始めてから顕著になった。
私が何かをしたタイミングで、関連した夢を見る。
今回のお稲荷様もそれだった。

正式に祈祷したわけでもないし、御霊返しをしたわけでもない。
だが、母がそのような夢を見たことと、私自身、奥の院でスッと何か軽くなったような体感を得たので、お稲荷様は無事に帰れたのだと思っている。


今はもう、隣のマンションにお稲荷様が祀ってあった形跡はない。
怒りのエネルギーも何も感じず、まるでそこには最初から何もなかったかのようだ。

私の中には、柔らかな雰囲気を湛えたお稲荷様の記憶がいつまでも残っている。



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