見出し画像

教育は洗脳されている


教育は洗脳されている

ひたすら従順な日本人を作り出す仕組みがあった

国家の礎、土台となるのは教育と言われていますが、日本の教育システムは、東京大学を頂点とするヒエラルキー構造となっています。

これは支配者にとってひたすら都合の良いシステムです。日本人は幼少期から他者との比較、そして競争や争いの渦の中に投げ込まれ、その延々たる時間の中で、優劣、上下などの序列付けをされていきます。

この序列を決める価値・基準は支配層から押し付けられたものです。結果、支配される側は支配層から押し付けられた価値・基準を疑問にも思わないまま、その価値・基準に基づいて、被支配層の仲間同士で争い序列付けを行っていきます。

明治維新後、外国との戦争を想定して始められた義務教育

1871年に明治政府は文部省を作り、1872年に「学制」を施行しました。満6歳になったら、身分や性別によらず、誰でも9年間の義務教育を受けることとなり、それまでの寺子屋や藩校は次々に、小学校や中学、高校に移行し、欧米諸国をマネた、小学校から大学までの学校制度を整備していきました。

「学制」は、明治維新の三大改革の1つと言われています。あとの2つが「徴兵令」と「地租改正」。「学制」が「徴兵令」と同じセットに入ってるのは、明治維新の改革の一つ「学制」は、この後に続く制度への足掛かりでもあったからです。

「徴兵制」で近代的な兵隊を作る際に、各地でばらばらに語られている言語(つまり方言)は大きな障害となります。今でさえ、方言で話をされると分からないことが多々あります。兵の統率の為にも、共通言語(標準語)を学ばせる必要がありました。

https://www.nihonsi-jiten.com/gakusei/

要するに外国との戦争を前提にしているのです。

小学生の頃に、運動会で軍艦マーチに合わせて行進していました。運動会ともなると、まるで軍隊みたいに手足をそろえて行進させられる。その後の流れを見れば、もっとよくわかるかと思います。
 
明治19年(1886年)、「小学校令」で「義務教育」という言葉が初めて出され、そして明治23年(1890年)、教育に関する天皇の言葉「教育勅語」が発布されました。これは、儒教の教えをもとにした「忠君愛国」の教育を目指すものにほかならず、教育を利用して、戦争に向かわせようとしているわけです。

そして明治33年(1900年)、授業料が無料になり、明治35年(1902年)に就学率が92%にまで上がりました。国民皆洗脳装置が完成したわけです。

義務教育についてこんな意見が載せられています。

「共通の言語,文化,規範意識など,社会を構成する一人一人に不可欠な基礎的な資質を身に付けさせることにより,社会は初めて統合された国民国家として存在し得る。このように,義務教育は国家・社会の要請に基づいて国家・社会の形成者としての国民を育成するという側面を持っている。」

義務教育の目的、目標:文部科学省

つまりは共通の言語で方言をなくして、「統合された国民国家として」全国民が一つの軍隊で戦えるようにしたかったわけです。さらに「国家・社会の要請」に基づいて、国のオーダーメイドの国民を育てる。それがまさに現在の義務教育と言えそうです。

日本の教育システム構築を指導したのがフルベッキでした

フルベッキは、明治以降の日本の骨組みそのものを指導していきました。日本そのものを永久的被支配層にするためです。

Wikimedia Commons [Public Domain]

「1869年(明治2年)2月13日に、フルベッキは突然明治政府より、大学設立のために江戸に出仕するように通達を受ける。(中略)...江戸では、法律の改革論議の顧問と大学の設立の仕事だった。 」

フルベッキ記事

フルベッキは、明治新政府お抱えの雇われ外国人政策顧問、政府ブレーンとして法律整備と大学設立を指導した。記事には「1868年に復興した開成学校(旧幕府開成所)の教師を務めながら、学校の整備を行い、1869年12月には大学南校と改称した(1873年には再び開成学校)」とある。この開成学校、大学南校は後の東京帝大の前身となっていきます。つまり、今日まで続く東京大学を頂点とする日本の教育学歴システムの原型をフルベッキが作ったとも言えるのです。

フルベッキ記事

フルベッキ考

フルベッキは非常に頭脳優秀な人物で、来日後に彼は長崎そして佐賀で教師を勤め、「語学(英、仏、蘭、独)のほか政治、天文、科学、築城、兵事の諸学を講じている」とあります。この多方面に通じていたフルベッキには多くの門下生と呼ぶべき人物群が集まっていきました。薩長土肥の後の明治新政府での高官となる人物たちです。フルベッキのこれら門下生と加えて、公家側の重要人物岩倉具視もフルベッキの弟子的な立ち位置にあったようです。

消えた「フルベッキ考」

ウィキペディアのフルベッキ記事には次のようにあります。

「1868年6月にフルベッキは大隈重信に、日本の近代化についての進言(ブリーフ・スケッチ)を行った。それを大隈が翻訳し、岩倉具視に見せたところ、1871年11月に欧米視察のために使節団を派遣することになった。
(岩倉使節団)

フルベッキ記事

新政府挙げての国家事業である岩倉使節団を主導したのはフルベッキだと言うことです。ここから見えるのは、明治新政府の高官ほぼ全てがフルベッキはの弟子的な形で関連があったようです。

大隈重信、岩倉具視、伊藤博文など明治新政府の重要人物、それ以前の維新の主要メンバーまでもが、ことごとくフルベッキの門下生的な位置にあったのがベースとなっています。

経済・金融部門、教育部門、法体系部門、日本国家の骨組み作りはフルベッキ指導のもとに実行されたとも言えそうです。

フルベッキ群像写真

Wikimedia Commons [Public Domain]
フルベッキ群像写真

皆さんはフルベッキ写真をご存知でしょうか?

フルベッキ写真とは、フルベッキという人物を中心に明治維新の主要な人物がほぼ全員写っている写真のことです。上記の明治維新の真実を知った後にこの写真を見ると、明治維新が仕組まれたものであるというのが分かるかと思います。その写真といっしょに頂いた文章を紹介します。

一葉の写真が伝わっている。慶応元年2月中旬から3月18日までの間に、長崎へ集結をかけられた各藩の勤皇党は、西郷南洲翁及び勝海舟と共に、世界の情勢に明るい、オランダ人宣教師フルベッキ博士を訪問した。大隈重信・副島種臣ら門下生と共に、日本の統一をどうしたら良いか、王政復古は、どうなってゆくのかをフルベッキ博士を交え相互して議論し合った。

この写真は、写真術の祖、長崎大村出身の写真家、上野彦馬の写真スタディオでフルベッキ博士の子どもも交え、和やかな雰囲気で記念撮影されたものである。明治28年に、この写真は、宗教家で歴史家でもある戸川残花が「太陽」に掲載したが、政界の一部の圧迫を受け、やむなく佐賀藩の学生達として紹介された。このため現在まで分からなかったのである。また、この写真は、宗教記録として、フルベッキ博士が所持し、絶対に手放さなかったものを、戸川残花の強い要望により借り受けたものである。

【歴史の真実】坂本竜馬を動かした黒幕!ロスチャイルド家が仕組んだ明治維新!

フルベッキもフリーメーソンの関係者であると言われています。フルベッキの正式名は、グイド・H・F・フルベッキ(Guido Hermann Fridolin Verbeck)である。1830年、オランダのザイストに生まれる。両親は敬虔なルター派の信徒とされているが、正確にはオランダ系ユダヤ人でありいわゆる改宗ユダヤ人系であると思われる。モラヴィア教会で洗礼を受け、同派の学校で蘭・英・独・仏語を習得している。(中略)

1855年、26歳の時、ニューヨーク州のオーバン神学校に学んで敬虔なキリスト者となった。この頃、日本は1854(安政元)年に日米和親条約を結び、1858(安政5)年に欧米諸国と通商条約を結んで開国した。米国改革派教会が日本への宣教師を派遣することになり、フルベッキがそれに応募し選抜された。この時派遣された宣教師は3名であった。ブラウン、シモンズは神奈川に入港し、フルベッキは、オランダと関係の深い長崎を宣教の地として選んだ。ところで、米国改革派教会とはそも何者ぞ。改宗ユダヤ人の秘密結社的宣教師組織ではなかろうか。彼らは、キリスト教宣教師というふれこみで活動するが、それは表向きの顔で実はシオンの議定書派の世界戦略に基づく各国各地攻略の尖兵的使徒であった。(中略)

1869(明治2)年、明治政府に招かれ上京、お雇い外国人となる。政府との契約が終了して元老院顧問を辞して民間人に戻るまでの1877(明治10)年までの8年間を政府の政策ブレーンとして活躍した。日本在留中、オランダ国籍を失ったが、政府の許可を得て、日本人同様の特典が与えられた。東京でのフルベッキは多方面で活躍した。この間、大隈らの推薦で開成学校の設立を助け、のち大学南校(東京大学の前身)の教頭となった。

【歴史の真実】坂本竜馬を動かした黒幕!ロスチャイルド家が仕組んだ明治維新!

これからの教育について

教育の本質

ああ、テストのない授業のなんとおもしろいことか。
これは学びではなく純粋に気持ちよさを追求したものだ。

https://dailyportalz.jp/kiji/171226201577

非常に面白い記事で、教育の本質を突いていると思います。(中略)

子供を勉強嫌いにするのは簡単で、宿題をいっぱい出して、テストをいっぱいやることです。とどめは、親がうるさく、“勉強しろ!”と言います。これで、子供の将来性を確実に潰せることは間違いありません。 宿題をいっぱい出すことで子供の自主性をなくし、テストをいっぱいして×をいっぱいつけることで、“お前は馬鹿だ!”ということを潜在意識に送り込みます。

“勉強しろ!”とうるさく言うことで、勉強にマイナスのイメージを植え付けることに成功します。こうして子供が、楽しく学ぶことを出来なくさせるのです。こうした、子供に対する洗脳工作の名人は、親と教師なのです。その手腕はほとんど天才的で、子供たちが彼らから学ぶのは、言行の不一致、すなわち偽善です。 学校で教えていることは、いかに体制に逆らわないかということで、苦痛の45分間をおとなしく座っている能力を身に付けさせていると考えられます。このように、無事育った子供たちは、国に逆らうということはありません。なので、将来性のない子供、従順な子供を作るには、今の教育が最適であるということになります。

しかし、この記事に書かれているのは、学ぶということに対する、最も根本的、かつ重要な事柄です。それは、学ぶことは、“なんとおもしろいことか”ということです。授業を聞いて、別に理解出来なくてもそれで良し。理解出来ればさらに良し。宿題無し。テスト無し。授業が楽しいというのが本来の授業ではないでしょうか。現状のように、学ぶということが苦痛をもたらすものであるならば、いっそのこと、十分に遊ばせ、その子の興味があることを自主的に学ばせた方が、よっぽどまともなのではないでしょうか。

少し特殊な世界ですが、例えば将棋のプロ棋士になりたいという子供の場合、親が“将棋をしろ!”と叱咤激励したり、“宿題は詰将棋のp5~p12まで”などと追い詰めなくても、子供は勝手に嬉々として将棋に打ち込んでいます。よく出来る子の場合、高校に行く時間がもったいないのです。

この記事を読むと、本来教育とはこういうものではないかということを、考えさせられます。学校というのは、学びたい者が来る所で、教えたい人が教師をやっているのが自然です。ところが、どちらも、夏休みを歓迎するとすれば、これは根本的に何かがおかしいということなのだろうと思います。

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=148454

一つ目は、子供時代に十分に遊んでいることが、その後の学力の向上につながるということで、極めて常識的な事が改めて確認されたということです。

二つ目は少々意外ですが、学歴は生涯の年収に影響しないということで、重要なのは、幼い頃の家庭環境ということのようです。どのような家庭で育ったか、その子がどのような学習態度を身に付けているかが大切で、どんな高校、大学に行くかは年収に関係が無いようです。能力のある子は学歴に関係なく創造性を発揮し、豊かになれるということのようです。その能力ですが、親の与える影響が甚だ大きいらしく、家庭環境の質の高さが影響を与えていると考えられます。

この記事の見解と私とでは若干異なる所もありますが、これはかなり納得出来る結果であり、私は親の態度、物事に対する取り組み方、そして家庭の調和などが大きな影響を与えると考えています。

要するに家庭が平和で愛情に満ちており、親が常に積極的に学ぶ姿勢を見せている家庭の子供は、ことさら子供の学力に気を遣わなくとも、子供は自然に、その才能や能力を遊びを通して身に付けていくのだと思うのです。

上記の家庭環境は実のところ、貧富には関係が無いのです。ただあまりにも貧しく、日々の生活に追われている環境では、家庭内が調和して愛情に満ちた空間であるということが、少々難しいかも知れません。おそらくあまりにも貧しい家庭と、あまりにも裕福な家庭の子供たちは、まともに育つことがほとんど無いのだろうと考えます。その意味で、お金を儲けることと幸福とは、分けて考えなければならないだろうと思うのです。

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=73681

極めて当たり前の内容です。ほとんどの方は、この記事の結論に同意するのではないでしょうか。

それならば、今のわが子の塾通いや習い事をすぐに止めさせればいいわけで、子供に“もっと自由な活動”をさせればよいのです。ところが現実に自由にさせると、ほとんどの子供はゲームばかりをやって遊び呆けることになり、記事にあるような自発性や、真剣に物事に取り組む傾向などが現れるというのも信じられません。

要するに、この記事の内容は確かに事実なのですが、そこだけ取り上げて実践しても、子供の教育という意味においてはほぼ無意味なのです。幼い頃から一貫して、子育て・教育には夫婦共に一致した見解でもって取り組まなければならず、ある種の信念が必要とされます。

非常に簡単に言えば、子供の学歴や他の子供との比較ではなく、我が子の潜在的な才能を親子の関わりの中で両親が確信していること、そして子供に勉強しろと言ったり、塾に通わせたりするのではなく、親が手本を見せ、次々に自発的に学ぶ姿を見せることなのです。

要するに、親子が信頼という関係で強い絆を育み、子供の自発性を尊重する、そうした家庭環境の中でこの記事の内容のことが実践されて、初めて意味のあるものになるのです。

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=69841

その土地独自の教育が自由にできた寺子屋、藩校

現代の学校とどう違う? 寺子屋の仕組みとは:さくマガ

各自が好きな先生と好きな教科を選んで勉強する。

教えていたのは読み書きそろばん、地理や歴史、裁縫、農業、武道。江戸時代においての寺子屋は、士農工商という身分制度があり、子どもが親の職業を継ぐのが当たり前だったので、百姓には百姓のカリキュラム、商人には商人のカリキュラム、武士には武士のカリキュラムがあり、先生は、お坊さんもいれば、浪人も、町人も、農民もいたそう。

授業料は払える人が払う、払えない人は米や味噌、野菜、物で良かったみたい。寺子屋は今でいう個別教育で、今のように一斉に入学、進級、卒業するのではなくて、入学も進級も卒業も、個人個人のペースに合わせ、人それぞれでバラバラだったようです。
 
江戸時代には寺子屋以外に、藩に仕える武士、つまり藩士の子息を教育する「藩校」や、より専門的な学問を学ぶ私塾もあった。藩校も寺子屋も、その土地独自の教育が自由にできいて、しかも、そんな自由なやり方で、日本の識字率が世界一。今みたいな、日本全国東大一直線に染まってないのがうらやましいところです。

ますます先生の数が足りなくなっている

公立学校教員の残業代として支給している「教職調整額」を、月額給与の4%から10%以上に引き上げる。

Yahoo!ニュース

戦後もアメリカ監視の下、日本人はお上の情報をひたすら信じ、裏切られてもなお従順で愚直な羊として飼いならされました。ありがたいことに、子どもたちの登校拒否、そして教師の悲鳴によって、この国民一律洗脳装置である義務教育が崩れつつあります。

いじめも登校拒否も、子どものうつ病も自殺も、減らない。それに比例して教員も病み、去り、教員不足も止まらない。小学英語やICTの教科が加わった上に、特別支援学級も急増して、最近は35人以下学級になって、ますます先生の数が足りなくなっているそうです。

なり手がいない。今や、生徒も先生も義務教育に悲鳴を上げ始め、存続が危うくなっています。今こそ、日本らしい学校教育が生まれてもいい時じゃないでしょうか?

理想の教育について考えてみよう

まずはどの子も、そして親も先生も国民全員が自分の個性を知ろう。その上で、生徒と先生が面接して、生徒が先生を選ぶようにしよう。もちろん、まちがうことだってあるから、その後も、先生の変更は何度でも可能にしよう。生徒と先生の組み合わせが決まったら、まずは最初に、日本語の読み書き、買い物できるくらいの計算力、そして社会の最低限守るべきルールや道徳、徳目を教えよう。もちろん家庭で最初に教えるべきだが、念の為、学校でも何度も復習させよう。

小さいうちに、自分の国のこと、本当の日本の歴史、本当の日本の神話、日本の美しい文化を学ぼう。そして日本の伝統文化、美術、古典芸能、気の感覚も子どもの頃から訓練した方がいい。若い世代に教えれば、きっといい方向になる。あとは各自の選択に任せて、あこがれの職人についてワザを学んでもいい。外国に留学してもいい。その費用は全部、国が出してくれる。卒業前には正しい結婚と子育ての在り方を教えよう。

義務教育の9年が終わる頃には、自分に合った好きな職業を手に入れて、幸せな夫婦、幸せな家庭をつくり、そこに幸せな子どもが誕生して、幸せが永遠に続いていく。いじめも、登校拒否も、うつ病も、自殺もない。みんなが強制的に同じ教育を受けさせられる、今の学校はどんどん潰れて、ブラックに苦しむ教師も解放されて、みんな自分に合った場所で、好きなことを自由に学び、一人ひとりが自分の歩む道をまっすぐに見つめる9年間。今の時代からはとても想像できないけど。未来はきっと、こうなっている。

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=367303


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?