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資格の話

今年の11月、IELTSを受験する。

これからの進路を聞かれた時、私は決まってこう答える。
海外の大学院。
受験するにはこの資格が必要だ。

実はこれまで何度もIELTSの受験手続きはしてきた。
ただ、勉強していると急に先の自分が怖くなり
いつも直前でキャンセルしてしまうのだ。

だが今回は違う。
キャンセルなんてしない、できない。
なぜなら一緒に頑張る人たちがいるからだ。

会社(ホテル)にいる大好きな先輩たち。
少し前、各々が取りたい資格を取ろうという話をした。
コロナ禍の今、ホテルにはお客様がとても少ない。
夜勤の拘束時間は休憩を入れて18時間である。
そこにかなりの隙間時間があることに私たちは目をつけた。
(遅い)

当初は、会社だけでなく自分のプラスになるという体裁で勉強していたが、今は各々自分の将来のために勉強に励んでいる。

資格を取ること。
これは私にとって、とても、とは言わないがかなり大事なことである。

私はよく誤解される。
特に初対面の人に。
アホ、バカ、なんにも考えてない、不思議ちゃん…

そう思われてもおかしくはない。
私のこれまでの生き方を客観的に見たら、自分でもそう思う。

小学生の時からギスギスしたまわりの友人関係を
良いとこ取りしてのらりくらりと過ごした。
高校でも自分の居場所がなかなか見つからず
どのグループにも属せない、でもどのグループとも話せる
宙ぶらりんの人だった。

周りの人、特に担任の先生はそんな私を見てよく声をかけてきた。
「お前の将来が心配だ」
「お前はその道を選んでどうするつもりだ」
その言葉は親心から来るような、親切な言葉掛けだったと思う。思っていた。

他のクラスメイトが外国語学部へ進路希望を出した時、
先生は「おう!似合っとるな!頑張れよ!」「お前なら習得できるぞ!」などと声をかけていた。らしい。
当時激励された本人たちからそれを聞いて驚いた。

私が進路を変えて外国語学部を希望した時、先生は
「…スペイン語?言語はただの手段でしかないのに。学んでどうする?」と言った。
それもクラスメイト全員が見ている前で。
とても恥ずかしかった。
この進路は間違っているんだ。
追い打ちをかけるように先生は言った。
「もうやっぱりお前の将来、ほんとに心配だ。」

自分の可能性を潰す言葉は、幼い頃から幾度となくかけられてきた。塾の先生、小・中・高担任の先生、学年主任、他クラスの先生、そして両親…

なにかを決断しようとする時、必ず彼らの言葉が頭をよぎる。
なにかに挑戦しようとする時もそうだ。
シャワーのように浴びてきた呪いの言葉が、
自分の決断や挑戦にストップをかける。
これまで呪いの言葉をかけてきた人たちは
そんな私を心配したのかもしれない。

他人が私を見て、そして話して最初に抱く感想。
その中で1番多い印象は
「この子アホそうやなぁ」らしい。
哀しいかな、でもそう言われて少しほっとしている自分もいる。
これで何も期待されない…ダメな自分でも人から責められない。
良かった、と。

かなり話が逸れてしまったが
こんな第一印象を他人に与える私は、人からなかなか信用されない。
他人に対してなんだか申し訳ないことだと思う。

アホだという印象を持たれるから、読書をすると驚かれるし
勉強なんて言葉を出したら「なんて?」と返される。
真面目な話をしても「不思議ちゃんか」と言われ、答えを貰えない。
正直イラッとする。
でもそんな印象を作っているのは自分自身だから、
なんとか自分で消化して、いつものことかとヘラヘラ顔を相手に返す。

こんな自分だからこそ、資格が必要だと思うようになった。
どれだけ私が信用ない人間に見えても、
どれだけ私がアホだと思われる発言をしても、
資格だけは私を支えてくれる。
自分の出来ることを第三者が保証してくれる。
これだと誰も疑ってこない。
安心して話ができる。

大学院に行くため。
もちろんそれもあるが、
他人から自分を信用してもらい、安心して会話をして欲しい。
私もそういう心の状態で会話がしたい。

夢に向かって!なんて綺麗な動機じゃないのが悲しいけれど
そんなわけでIELTSを勉強している今日この頃だ。