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儀式の女人禁制と女性の穢れについて

女人禁制についての主な理由


古くからある伝統的な儀式、特に「神聖な存在と繋がる」ものであったり、「何か力を得る」ものであったりすると、男性のみが参加し、女性は参加することは頑なに拒絶されるという、「女人禁制」の状態が当たり前で、今でもその傾向が根強く残っています。

その理由は、女性は穢れた存在であるから。

女性の存在そのものを「穢れ」とするものから、月経や出産に伴う血を汚れとみなし、忌み嫌うなど、様々です。

ただ、そうはいっても、両性の平等は不可欠、SDGs等の動きなど、現代の西洋化された社会においては、以前問題になった「土俵に女性が上がれないのはおかしい」というように伝統的な儀式等での「女人禁制」について物議を醸すケースが出てきています。

それでも、神仏への祈願にあたって清浄性を守り禁忌の遵守が求められ、禁忌を犯すと神仏の怒りを買うなど、何か困ったこと、天変地異などが起こると信じているため、「神聖な儀式」においては、女人禁制が必要だと考える方は少なからずいるようです。

ただ、その考えってどうなんでしょうね。

女性を「穢れた」存在と見るなら、その女性から生まれた子どもたちは、穢れた存在に近いと捉えることにも繋がるのではないでしょうか。

また、天変地異などの災いは、女性の存在・行為とは無関係に起きる自然現象です。

さらに、多少なりとも医学的知識のある方ならご存知ですが、女性の月経に伴う血、経血は、実はきれいなものです。

以上のことから、女性の存在を単に「穢れ」と見做し、それを理由に女人禁制等を唱えるのは無理があるような気がします。

女人禁制も必要なことがある


それでも、女人禁制があっても良いと個人的に私は考えます。
ただし、女性を「穢れ」とは見做さないということを条件に。

その理由は大きく2つあります。

1 女性がそばにいると気が散るため

女性よりも男性の方が、異性がそばにいると気が散る傾向があるように思います。男性にはない、女性特有の容姿、見られる性として扱われた歴史が根深い事もあるでしょう。

特に、女性ホルモンの分泌が活発になる思春期以降からある一定の年代の女性は、男性にとっては魅力的な存在に見えます。

魅力的な女性は、複数の男性の関心の対象にもなりますから、時には意中の女性を巡って男性同士が対立し、大事な儀式等そっちのけで、それこそ、災いに繋がる可能性があります。

何か大きなことを得ること、成し遂げなければいけない場面においては、女性がいない方が集中できて楽のようです。私も男だからそう思えます。

戦場は男性のもので、女性・子どもは守るべき存在という認識は人類の歴史を見ても古くからあり、現在もそう考えている人は多いでしょう。

また、日本では、専業主婦を望む女性が一定数いますし、男性は外でバリバリ働いて女性を養うものだと考える人もいまだにいます。

首都圏の東大等難関高の進学率の高い私立校は、男子校、女子校の傾向が強いですよね。もちろん、入試の時に一定数の選別を行っていますし、そもそも東大等偏差値の高い大学を目指すのは男性の方が多く、学習能力の高い男性を集めた方が学校運営上で取り組みやすく、難関高合格実績上男子校にした方が効率が良いことも影響してはいますが。

ただ、女性がいない方が気が散らない、集中できるから、という理由だけで、儀式的なことに女性を参加させないのは、根拠として不十分な感じもします。

2 儀式等における女人禁制とする確からしい理由

そこで、もう少し踏み込んで、儀式、特にスピリチュアルな儀式において女人禁制とする理由についてお伝えしたいと思います。

人智を超えた存在、聖なるものに対しては、専用の祭壇を作り、食物や生きた動物を捧げ物としてきた歴史があります。時には、生け贄と称して、子どもや戦さで獲得した敵将の首を捧げるようなケースもありました。

捧げ物や生け贄には血がつきものです。

その血を通じて、「聖なる存在」が働きかけを行うことで、儀式等を行う人々に恩恵をもたらすと考えれれていたからです(聖なる存在とは何か、神とは何か、に気づけば、そんな必要はないのですが)。

ただし、魔術などに知識のある方ならご存知でしょうが、ある一定の魔術的儀式においても、捧げ物としての血が欠かせません。
残念なことに、ここで繋がるのは、邪悪な存在です(その存在の有無については別の機会でお伝えしたいと思います)。

つまり、血を通じて、聖なるものだけではなく、邪悪なものにも繋がる可能性があるので、危険なのです。

聖なるものと繋がるとして信じて用いた捧げ物としての血が、邪悪な存在と繋がって、災いをもたらすのは悲劇でしかありません。

もし、その儀式の場面で、たまたま月経中の女性が同席していたら、どうなるでしょうか。恐らく、同様な悲劇をもたらす可能性がないとは言い切れません。

また、女性が月経中かどうかは、身体検査なり、女性の自己申告なりがなければ男性からは分かりませんから、儀式から女性を遠ざけるようになったのではないでしょうか。

ただ、先に挙げたことをいちいち説明・議論するのも面倒なので、女性が穢れている存在として見做し、儀式等では女人禁制にしようと男性が一方的に決めたのが定着して当たり前になったのではないかと個人的には考えます。

繰り返しになりますが、女性の存在そのものを「穢れ」とするのは誤りであることは間違いないこともお伝えしておきます。

皆さんは、どのような感想をお持ちになってでしょうか。

それでは、今回はこの辺で。




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