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扉の内/外 三 エレファントカシマシ

ずっと考えていた。
なぜあんなに引いて見てたのか。
大阪城ホールで宮本浩次のソロコンサートを期待して行った。

テレビで見た宮本浩次の姿は私が出会うはずもない、でも会ってみたかった未来少年コナンの
ままだった。
でもオジサンの年齢。 
不思議な人。

アルバム「ROMANCE」の選曲や、団地育ちや、そして50歳代で再出発したこと。
宮本浩次のファンは自分の人生に彼の歌を重ねて感動する。

ソロから彼が中学校の同級生と結成したバンドのエレファントカシマシを聞き始めたら、毎日
SNSを参考にどんどん聴いていた。

再出発して選んだ仕事で行き詰まりがあり、エレカシの曲を朝出勤時イヤホンで聴いて、寝る前に聴いて、、200曲くらいあるらしい、沢山のタイプの曲をエレカシはあり、宮本浩次の作詞、作曲(同じバンド仲間が作った曲が少し)。

そしてソロのコンサートをエントリーは自分の住む街や周りの地域はすべて抽選から外れ、大阪のみ当たり、期待して参戦した(参加ではなく参戦、ホンキだ、苦笑)。

以前からSNSで知ってはいたが、宮本浩次の優さや、大きさが表れていた。多幸感溢れる、と表現されていた。

50代の30年以上に音楽家のキャリアがある人。
その時々、自分の精一杯を表現してきたキャリアなのは、ファンも業界の人の中でも充分承知
している。

歌の上手さも年々増しているようで、十代の頃の叫んでいた歌を50歳代のいまコンサートで歌うとその伸びやかな声に感動する。

毎日エレカシの曲を聴いているうちに、エレカシの宮本浩次を思い浮かべていた、と2022年エレファントカシマシ新春
コンサートに参戦後のいま
分かった。

どちらかも宮本浩次なのに。
ソロコンサートを俯瞰して見ていた。勿体ない。

なぜ、ソロになりあのような多幸感溢れるコンサートになったのか。
考えていて、
「ROMANCE」を発売した時のインタビューに行きついた。

そうだ、エレファントカシマシを宮本浩次は30年以上、その前から作詞作曲して、
40年近くエレカシだった。

エレファントカシマシ以前の宮本浩次、原点に戻ったんだ。
そう思った。


エレカシがブレイクしたアルバムを一緒に制作した佐久間正英さんは2014年に61歳で亡くなっている。佐久間さんはエレカシにとっては恩人であり、
”先生のようだった”と宮本浩次は言ってる。

2012年10月に宮本は耳の病気で入院、手術して2カ月間のお休みをしている。

2018年のエレファントカシマシ結成30周年の時には仲間にソロになると宣言していたそうだ。
50歳代になり、佐久間さんの事を考えてたかどうかは推測の域だが、ソロのスタートの頃の
インタビューだと現役で活動出来る時間に限りがあることを意識している発言がある。

人は何歳まで生きるかなんて神様、仏様しか知らない。
宮本は死ぬことを怖がってはいないと思う。
心と体を使いきりたいのだと思う。
だから原点に返った。
ステージと観客の幸せの往来。
優しさと温かさ。

小学生が赤羽から渋谷に満員電車で潰されそうになりながらも毎週末通い、
腹式呼吸を徹底的に教えられ、合宿して選ばれてレコードまで出し。
お母さんが”ふたりでお酒を”を口ずさみながら家事をしたり、リビングのカーテンから漏れる柔らかな光を、宮本は覚えていた。

全て私の個人的な妄想と推測だ。
宮本浩次が思い通りに生きていれば、それでいい。

最後に宮本浩次さんを呼び捨てにして気分を害した方がいらしたら恐縮です。呼び方が定まらず。すみません。

日本全国縦横無尽コンサートツアーが今年の5月まである。

ツアーのスタッフ、参戦するファン、勿論、ステージの男前五人衆、
無事で最高のステージが続きますように祈っています。




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